しかも、内縁の妻が女児出産とともに死亡してしまい、日雇い労働と育児を並行する日々を送っていたというのですからたまりません。
もし自分がそんな境遇に陥ったら、ふと何かのはずみで犯罪を犯さないと言えるだろうか。
医師の家系に生まれ、災害や戦争の被害をほとんど受けることもないままに医学部を卒業。
漫然と裕福な生活を送り続けていたという自覚のある啓造は、自分が恵まれ過ぎてきたことそのものに罪悪感を覚えてしまうほど生真面目な男なのです。
人間は誰もが、優しさと卑しさ、勇敢さと臆病さを同時に持っている。
そのような人物造形と描写が多用される点に、著者である三浦綾子さんの人間愛と原罪への強い意識が垣間見えます。
最終盤、陽子が自分の背負っている「罪」に気づいて著した手紙の中でタイトルを回収するという技術も上手だなと思わせます。
けれども、いま陽子は思います。一途に精いっぱい生きてきた陽子の心にも、氷点があったのだということを。
陽子という人物を、まさに太陽のような朗らかで芯の強い人物として描いてきたからこそ、その心が凍り付いて粉々に砕け散るカタルシスには強烈なものがあります。
そんなわけで、概ね面白く読めた作品ではあるのですが、明らかな欠点もちらほら見受けられます。
まず挙げられる欠点は、物語全体があまりにも冗長であること。
本作は上下巻合わせて700ページ以上の大作なのですが、あまりにも風景描写や日常描写が細かすぎるうえ、本筋にはあまり絡まないエピソード(啓造が溺死しかける場面や、辰子が登場する各場面、陽子がアルバイトを行うくだりなど)が多く、小説の完成度としては低く感じました。
こういった冗長性は特に旧い小説全般の傾向として顕著なのですが(昔は余暇時間に対して娯楽が少なかったので、出版する側もテンポにあまり拘らなかったのかもしれません)、本作はあまりにも冗長すぎます。
もちろん、どの場面も物語の本筋と全く関係がないわけでもなく、何らかの効果は与えているのですが、そのあたりの繋がりが薄すぎるきらいがあります。
本作は、各登場人物が陽子というキーパーソンに対して様々な感情を抱き、しかも、その感情が陽子の「正体」を知った前後で大きく揺れ動く、という要素が物語の幹として存在していて、その感情の動きとそこから発せられる行動が最も読者の感動を誘う本筋なのですから、もっとそこに描写を集中させるほうが没入感が途切れずに続くでしょう。
枝葉のエピソードを挿入するならば、少なくとも本筋の展開に対する伏線になっていたり、本筋の感動をより増幅させるような描き方にするべきでしょう。
さらには、最終盤で陽子の感情をさらけ出すのに「手紙」の内容を長々と地の文で書くという手法には技術の低さ、感傷を削いでしまう稚拙さがあります。
「ビルマの竪琴」の感想でも述べましたが、手紙の内容が延々と綴られるだけという場面は動きが少なすぎて退屈ですし、動作や会話の中ではなく、地の文によって登場人物の感情を垂れ流すことで物語を収束させてしまうのは盛り上がりに欠けて勿体なく感じます。
やはり「手紙」という形式では、「手紙」という形式そのものをよほど上手く扱わない限り、クライマックスシーンとしての劇的さに欠けてしまいますね。
そういった欠点を考慮して、本作の評価は3点(平均以上の作品・佳作)に留めます。
とはいえ、冒頭でも述べた通り、これほど斬新で味わい深い側面を持つ作品はなかなかありません。
じっくり読書をしたい際にはお薦めの作品です。
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