フォレストはいじめにも決して屈しませんし、ジェニーが父親から性的虐待を受けていると知っても、ジェニーがストリッパーになってしまっても、ブラックパンサー党に入って偏った政治活動に身を投げていても、幼かった日々において彼女に助けてもらったこと、親友として培った友情を決して忘れず、ずっと彼女のことを想い続けます。
ベトナム戦争の渦中にあっても、戦場では決して仲間を見捨てず勇敢に戦いますし、卓球で名を馳せた後には、亡くなった戦友との夢を叶えるべくエビ漁師としてまたゼロからキャリアをスタートさせます。
不漁にもめげず漁師を続けているうちに、戦場で両足を失い、生きる希望を失っていた元上官が仲間に加わります。
そして、漁業が成功すると、元上官にとって漁業が生きる希望となるのです。
最終的には林檎の栽培業者であると勘違いしてApple株を買い、億万長者になってジェニーを自宅へと迎え入れたフォレストですが、プロポーズをした翌日、ジェニーはフォレストのもとを去っていきます。
ここでジェニーがフォレストのもとを去った理由が作中では明言されず解釈が難しいのですが、恐らく、成功者であるフォレストと、落ちぶれた自分を比較して、いたたまれなくなったのではないでしょうか。
脚本術的な視点から見ると、もし、ここでジェニーがプロポーズを素直に受けたとすると、なんとなく、ジェニーがあまり「良い人」に見えなくなってしまうという危惧があったのだと思います。
スポーツで名を馳せ、戦場を勇敢に駆け抜け、そのうえビジネスでも成功し、単に自分の利益のために行動するのではなく、様々な人を助けながら生きてきた結果として経済的にも豊かになったフォレスト・ガンプという人間。
それに対して、自分はどうだろうか。
幼少期においては、フォレストのことを支えたかもしれない。
しかし、実直な努力で活躍するフォレストとは対照的に、大学時代にはボーイフレンドをつくってフォレストのアプローチを無下にしたうえ、その後のキャリアは、ストリッパーからヒッピー、政治運動の構成員、その途上ではドラッグに嵌ったりもした、そして、いまは何のスキルもない無職の人間。
そんなとき、目の前には都合よく金持ちの男性がいて、自分に想いを寄せている。
自分はこの人のことを想い続けたことなどなかったのに。
そういう罪悪感を抱えて、フォレストのプロポーズを受けきれずに逃げ出した。
このような展開を挟むことで、視聴者がジェニーに対して抱く印象を再構成することができる。
つまり、幼少期は純真だったものの、節操のない、悪い意味で子供のような大人になってしまった、という印象を塗り替え、ジェニーの心中にもまた義侠心があり、落ちぶれた自分に対してかけられる過度な優しさに耐えきれないという美徳を持っている人物として描く。
こうしてようやく、視聴者の心にも、ジェニーがフォレストにとって精神的な意味で相応しい人物になったのだという印象を与えることができるのだと思います。
ジェニーが去ったのち、心にぽっかりと穴が空いてしまったフォレストは、ジェニーに貰ったスニーカーを履いてアメリカ横断のランニングを始めます。
唐突にも思える展開ですが、非常に痺れる展開です。
大学アメフトの選手になり、ベトナム戦争へ従軍し、卓球選手としてピンポン外交に参画したのち、漁業ビジネスで奮闘し成功する。
こういった「大人の世界」での話が続いたからこそ、恋人に振られた勢いで駆けだす、という少年の心を剥き出しにした衝動的な行動に出るフォレストの後姿が放つ爽快感は別格です。
そして最終盤、ランニングをはたと止めたフォレストのもとに届く、ジェニーからの連絡。
不治の病に冒されているから、あなたとの間にできた子供を引き取って欲しい。
フォレストとのあいだに儲けた子供を独力で育てているのだが、自分が不治の病に冒されてしまっており、子供のことを想えばフォレストに連絡せざるを得ない。
そういった状況になってはじめて、しかも、フォレストがアメリカ横断ランニングを辞めた時期を見計らって連絡する。
そういった涙ぐましい努力と気遣いをジェニーが見せることで、視聴者の心の中にはようやく、素晴らし人間としてのジェニーが回復し、フォレストと愛を誓いあう存在として認められ、フォレストとジェニー、そしてフォレスト・ジュニアという三人の人物の組み合わせによって物語が終幕を迎えることに納得できるようになるという導線には心地よいものを感じます。
ここにおける感動はひとしおであって、さすがのヒット作という貫禄に溢れていますね。
いつもは「運頼み」や「しょせんは才能」、「ご都合主義」にひときわ厳しい態度を取ることが多い本ブログなのですが、冒頭に述べた通り、本作におけるこういった偶然要素によるマイナスは、フォレストの生き様によってカバーされています。
フォレストはいつだって実直かつまっすぐに生きていて、他者のためならば自己の命の危険など顧みません。
知能つまり判断力に劣るはずのフォレストだけれど、彼が実直かつまっすぐに生きると、そこにはいつも激動だが充実した人生のイベントが待ち構えているという逆説。
主人公に楽をさせるためではなく、主人公が次のステージで他者を助けるために、数々の「ご都合主義」が力を発揮して主人公の人生を荒波の方向へと運んでいく。
まっすぐに生きるほど人生が劇的になるという爽快な逆説がもたらす意外性と、実直に生きていると「運」だって味方してくれるという、視聴者の心を温めるような「偶然」の使い方。
そういった側面こそが、「奇跡」「偶然」「ご都合主義」に溢れていながら、本作が良作となっている所以なのでしょう。
あらゆる面に優れている、どこまでも名作な作品、とまでは思いませんでしたが、飽きることなく視聴し続けることができ、随所で「おお」と思わされる映画であることは間違いありません。
というわけで、評価は3点(平均以上の作品・佳作)といたします。
コメント