そのうえで、ヴァージニア大学政治学部教授レナード・ショッパの言葉を引きながら、日本はアメリカ等に比べて引っ越しのコストが高いため、人々は地域に定住せざるを得ず、地域の治安コスト等を引き受けざるを得ない状況に留め置かれる。
だからこそ、地域活動に積極参加して地域貢献を行おうとするのだという説が示されるのです。
そして、そんな「社会参加」の度合いも近年低下していて、日本が持つ社会資本(ソーシャル・キャピタル)が毀損されていることに著者は警鐘を鳴らします。
第4章では、人助けもせず、他者を信頼せず、社会参加もしない社会の行く末が論じられます。
それは公共財供給の過小化であったり、功利的には有効な再配分への合意形成が妨げられることであったりといったところで、要は「やさしい国」であることは社会全体の利益に適っているし、そうでない国になりつつあることは不幸な国になりつつあることだ、というわけです。
そして第5章では、「やさしくない国」になりつつあり、そして経済的な意味でも「貧困国」になりつつある日本への処方箋としてベーシック・インカムという政策が紹介されます。
本書全体の構成として、ここで突如「ベーシック・インカム」章が現れることには困惑してしまうのですが、論調からは著者が相当程度「ベーシック・インカム」推しであることが感じられ、どうしても語りたいんだな、ということが察せられます。
さて、「ベーシック・インカム」というのは近年しばしば政策界隈で言及されるようになった概念の一つであり、それは、政府が全ての国民に対して一定の所得を保障するというものです。
国民全員が年金を貰っているような状況を想像すればよいのではないでしょうか。
なかなか過激な政策に見えるのですが、経済右派の視点からは、様々な社会保障制度をベーシック・インカムに統合することで官僚的な無駄を省いて小さな政府を達成できる点が評価され、経済左派の視点からは、様々な条件制約や「水際対策」によって社会保障制度の枠組みから零れ落ちる人々が存在していたり、「ブラック企業」が提供するような労働条件に縋りつかなければならない人々が存在する現状を改善できる政策として評価されている政策でもあります。
著者はやや左派的な立場から本政策を支持している様子が見受けられ、特に日本人同士の互助関係が薄れていく中で、生活保護制度利用等を妨げる「恥」概念や過度な自助精神だけが残存すると、ベーシック・インカムでもしない限り社会的弱者を助ける術がなくなってしまうのでは、という危機感が滲み出る章となっております。
本書には「他者に優しくない日本人」と「日本の貧困化」という二つのテーマがあると冒頭で述べましたが、第4章までで少しずつ示唆してきた「貧困化」というテーマをここで一気に顔出しさせたような章となっております。
そんな本書に対する全体的な感想ですが、どの論点についても薄味だったなという印象です。
実際のところ日本人は他者に優しくない、というテーマ自体は刺激的で興味深いのですがm「日本人が他者に優しくない」という論点を立証するためのデータも幾つかの国際調査が散発的に用いられるだけですし、その「優しくない/優しくなくなってきた」ことについての根拠を示す箇所でも、散発的に仮説が挙げられるだけ。
加えて、その解決策として挙げられるベーシック・インカムの章にしても、他の様々な政策との比較なしに唐突な形でベーシック・インカムが出てくるのは「著者がその話題を喋りたいだけ」感が強く、本書のテーマから必然的に導かれた解決策なのだという論理性に欠けます。
包括性が薄く、こんな考え方もあるよ程度の「紹介」的な言説が続き、他の可能性を潰しながら厳密に「論証」していこうという書籍でなかったことが残念です。
出現するデータによっては興味深いものもあるのですが、書籍全体としての纏まりを欠いていおり、僅か100ページ強の著作に色々な要素を詰め込もうとし過ぎて失敗しているように思われます。
それは違うだろ、と思うようなこともないのですが、本書ならではの魅力があるかと問われれば答えるのが難しい本であり、評価は2点(平均的な作品)が妥当でしょう。
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