1. おジャ魔女どれみ
1999年から2003年まで放映されていた子供向けのアニメシリーズです。現在は「プリキュア」シリーズに引き継がれている、テレビ朝日の日曜朝のアニメ番組ですね。グッズの売り上げも凄まじく、大きなセンセーションを巻き起こしたことは、この番組を視聴していた世代やその親世代には懐かしい思い出なのではないでしょうか。
後継の「プリキュア」シリーズが15周年を迎えるにあたり、また、今年放映中の「HUGっと!プリキュア」では社会派な作風に寄せてきたこともあり、あらためてこの「おジャ魔女どれみ」という作品を再視聴するいい機会なのではないかと思います。
2. あらすじ
美空町に住む春風どれみは小学3年生。いつも快活だがドジを踏むことも多く、そのたびに「わたしって世界一不幸な美少女だぁ」とおどけて見せるのが癖である。
そんな彼女も恋愛となると奥手な性格で、憧れのサッカー部の先輩に気持ちを伝える勇気が出ない。「魔法でも使えたらなぁ」と嘆くどれみはある日、ひょんなことから本物の魔女であるマジョリカと出会う。
しかし、「魔女だ!」とどれみが口にした瞬間、マジョリカはカエルのような姿になってしまう。魔女は人間から魔女であることを指摘されると呪いによって魔女ガエルになってしまい、指摘した人間を魔女にしなければその呪いは解けないのである。
嬉々として魔女見習いになることを受け入れたどれみ。どれみの友達である藤原はづきと妹尾あいこも魔女見習いに加わり、三人は魔女試験を突破しながら魔女を目指していく。
けれども、魔女試験は三人の物語の添え物に過ぎない。美空町や美空小学校で起こる、些細だけど重大な事件に、三人は勇気と優しさと、ほんの少しだけの魔法で立ち向かっていく。
魔女見習いであり、大人見習いである小学生たちの、笑いあり涙ありの青春。
3. 感想
シリーズ4作品のうち、今回視聴したのは第1作(いわゆる「無印」)なので、その感想を述べていきます。
全体として、非常に巧い構成になっているかと言われればそうでもありません。未就学児に分かりやすいようにするためなのでしょうが、大人の立場から見れば過剰に説明的な描写や事物の過度な単純化、ご都合主義も数多く見られます。また、半分は前世紀の作品なので、性別役割分担主義などが当然のような描写もままあります。
そんな中でも光るのは、第一に、個人個人の心の問題、大きな視点で見れば些細なことだけれど、個人の人生の中では大きな悩みになっていることに毎回焦点を当てていることです。第6話「ウソつきは親友の始まり?」ではついついウソをついてしまう女の子を周囲がどう受け入れているかという話が展開され、コミカルな展開ながら現実もこうあればと思わされますし、第11話「早起き少女まりなと心の花たば」では、いつもクラスで一番早くに登校して花に水をやる女子生徒が、「なにかで一番になるような取り柄がないから一番に登校している」という理由でその習慣を続けていることが明らかになり、一番の能力がなくとも一番の習慣を持つことで自尊心が育まれ、人生を豊かに生きている様子が描かれます。また、第43話「パパと涙と花火の思い出」では、父親にぶたれたことがない女子生徒の悩みがテーマになっており、現代においてはよりいっそう面白い話になっております。父親にぶたれないのは父親が自分に対して愛情を持っていないから、と解釈してしまう気持ちは、現代では純粋に悪とされつつある体罰のような行為でも、一昔前では真逆に解釈され、そして、それを受けられないことが不名誉とさえ思われていたということ、それを日曜朝のアニメ番組で流して違和感のないものだったことに驚かされます(昔とは言っても、半分は今世紀の作品ですが)。ラストシーンにおいて、愛情がないという誤解に対して父親が娘に一発かますところが皮肉ですね。一歩引いた視点、演繹的な視点から「それは善か悪か」ということを考えるよりも、周りがやっているから善/悪なんだと考えてしまい、時代が変われば「時代だから」と呟いて手のひらをひっくり返してしまいがちな私たちの愚かさを感じさせます。
第二の美点は魔法の使い方です。作品中では、「人の心を変える魔法は使ってはいけない」というルールがあるのですが、それ以外ではハリー・ポッターもびっくりの超強力魔法が連発されます。止まってしまったライフライン(上下水道・電気・ガス)をたちまちに復活させたり、大量の花火を打ち上げたりしますし、あまつさえ「時間を止める魔法」は最頻出魔法の一つです。しかし、それが却ってこの作品のテーマと相乗効果を生んでいます。どの話も「心の悩み」に焦点をあてており、物理的な解決方法が存在するものではありません。ゆえに、「人の心を変える魔法」以外の魔法では、たとえ「時間を止める魔法」を使ったとしても、根本的に解決することができないのです。そこで、どれみたちは超強力魔法が使えるという条件下であっても、どうしたらクラスメイトたちの葛藤を和らげ、彼らの進む道を照らすことができるのか、こじれた人間関係をどうやったら修復することができるのかという点に着目し、彼らの背中をそっと押してあげられるような、彼らが気づいていない社会や他人の良い点に光が当たるような魔法の使い方をします。もちろん、人間が人生で抱える悩みや葛藤の解決が簡単でないことは特に大人にとっては自明でしょう。しかし、そこに、「魔法」というフィクションを持ち込んだうえで、「どんな強力魔法でも、魔法だけでは人生の問題を単純に解決できない」という物語構成にすることで、そういった悩みや葛藤の奥深さを効果的に強調しています。そして、「どうやったら悩みや葛藤が和らぐのか」というアプローチを通じて、視聴者である未就学児を啓蒙しようという意図さえ感じられ、非常に好感が持てます。
第三に、瀬川おんぷというキャラクターの使い方が注目に値します。第35話「転校生は魔女見習い!?」でどれみたちのクラスに転校してくる彼女は、小学生にして有名な芸能人という設定で、実はどれみたちと同じく魔女見習いという側面も持っています。やや高飛車な性格で、呪いを防ぐお守りを持っているから大丈夫と言う理由で「人の心を変える魔法」を連発し、どれみたちに注意されてもそれを止めることがありません。それゆえ、彼女は、悪役とまではいかないまでも、問題児として作中で描写されます。しかし、このキャラクターこそ、本作品に一段上の評価を与える決定的な役割を果たしています。子供ながらに芸能人としてちやほやされたとき、普通の人間は謙虚な気持ちを保てるでしょうか。「呪いが降りかからないようにしたから、禁断の魔法を使っていいよ」と言われたとき、普通の人間はそれでもルールの遵守を続けられるでしょうか。調子に乗りますし、魔法を使うでしょう。おんぷちゃんは、我々なのです。そして、対照的なのはどれみたち三人です。どんな問題にも首をつっこみ、単純な優しさから皆を救おうと奔走することに躊躇いのないどれみたち。たとえ魔女試験合格に不利になりそうな行動でも、いま目の前の誰かを助けるために簡単に迷いを断ち切ります。この勇気と優しさは、主人公としては持っていなくてはならないのかもしれませんが、感情移入し、共感するにはあまりにも「弱さ」がありません。視聴者からすれば、共感の対象はむしろ瀬川おんぷになるはずです。普通の「弱さ」を持つ瀬川おんぷと理想的「強さ」を持つどれみたちの交流の中で、私たちはどちらかというと瀬川おんぷの「弱さ」に共鳴してしまうのではないでしょうか。これが本作を、誰もを惹きつける普遍的な物語にしているのです。おんぷが芸能人を目指した理由が「芸能人になれなかった母親の理想を叶えるため」ということであり、その母親がマネージャーでもあること、父親は電車の運転手で単身赴任していることなど、背景をいくらでも深読みできるやや暗澹とした家庭設計も単なる子供向けアニメの域を超えています。
このような理由から、単なる未就学児向けアニメと片付けられないのが本作品であると言えます。大人になってから見返してみても、色々な発見があるのではないでしょうか。
それでは最後に、全51話の中で、わたしがお気に入りの2話を簡単に紹介しましょう。
1つ目は第50話、「最後の見習い魔女試験」です。文字通りどれみたちが魔女になるための最後の関門であり、お題は「魔法を使って善いことを行い、『ありがとう』と言ってもらうこと」です。
さっそくどれみたちは美空町で活動を始めるのですが、魔法を使ったことがバレないようにしなくてはならないのがポイントで、超常現象で人を助けながら、超常現象の種明かしをせずに感謝してもらうという難題になっています。
夕方になり、試験の期限が迫る中、どれみたちの魔法玉(これがないと魔法が使えない)はそれぞれ1個ずつになってしまいます。もう後がない中で、どれみたちは狐の子供が川で溺れているのを発見します。躊躇いながらもそれぞれ最後の魔法玉を使い、連係プレーで狐の子供を助け出したどれみたち。でも、魔女試験は。失意のどれみたちのもとに、親狐がやってきて......。あとはご想像の通りです。「善行をする、『ありがとう』と感謝される」と言われたときに、人間を助けることしか思い浮かばない私たちの浅はかさを巧妙に突き、単純ながらはっとさせられる展開になっています。
2つ目は第49話、「パパに会える! 夢を乗せた寝台特急」です。新型の寝台特急が運航されることになり、その第一号運転手に選ばれたおんぷのパパ。おんぷは単身赴任でなかなか会えないパパに会うため、その寝台特急のチケットを取りますが、あいにく重要なオーディションと日程が被ってしまう。普通に受ければ発車時間に間に合うはず、けれども......。という話。とにかくカットが素晴らしく、作画の妙味があります。おんぷが変身するシーンや、振り向くと新幹線の中にいるシーンは「おぉ」と感嘆してしまいました。深夜アニメでは「美麗な作画」ばかりが強調されがちですが、こういったテクニカルで、カットで心理を描写することこそ映像作品ならではの良さなのではないでしょうか。子供向けアニメながら、「語らずの語り」がよく表現されている話で、お気に入りです。
4. 結論
やや長くなってしまいましたが、全51話のアニメの感想としてはこんなものでしょうか。最初にも述べました通り、2018年のプリキュアは「自己実現・子育て・ブラック企業」という社会的なテーマを意図的に内在させている様子で、ただ派手なだけの作品から往年の「おジャ魔女どれみ」路線への切り替え・復活を目指しているような気さえいたします。この機に「古典」であるこの作品を観ておくのもよいのではないでしょうか。
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