1960~70年代にかけて一世を風靡した作家、立原正秋さんの作品です。
1966年に直木賞を獲っておりますが、それまでに芥川賞の候補にもなるなど、純文学も大衆文学もこなす万能の作家でした。
本作は根津甚八さんと大竹しのぶさんの主演でテレビドラマにもなっています。
感想としては、現代の感覚からすれば「ありえない」作品です。
一般的に考えれば、この21世紀に純粋な娯楽作品として読んで楽しい作品ではないでしょう。
ただ、この作品・作家が「人気だった」ということを踏まえて読めば昭和という時代への洞察を得られるのではないかと思います。
あらすじ
1960年代前半、鎌倉の街に、三つ子の男兄弟が別々に暮らしていた。
彼らの父、中町周太郎には妻である初子がいたが、彼ら三兄弟は周太郎が結婚する前に交際していた笹本澄子という女性の子供だった。
初子が石女だったため周太郎には三人以外の子供はなく、中町家は三兄弟の長男である周太郎が継ぐことになっている。
そんな道太郎だったが、大学を中退して以来、家庭教師と賭博で生計を立てていた。
酒場で娼婦を買い、病気を貰って悪態をつくような日々。
周太郎の妹である久子の娘であり、道太郎から見ると従妹にあたる典子とも関係している。
一方、三つ子の次男である倫太郎は思想にかぶれ、左翼劇団で脚本家をしている。
新進気鋭の脚本家として名を上げつつあった倫太郎だが、同じ劇団に所属する恋人悠子と、やはり同じ劇団の女優であり浮気相手でもあるセツ子との間に板挟みになっていた。
兄とは違い、やや優柔不断な倫太郎はどちらを取るか決めきれないでいるが.......。
そして、三男の六太郎は「ローズ・ハウス」という曖昧宿を経営する女衒の首領として活動している。
性器に刻まれた刺青はそれを見るのに米兵が数ドル支払うほどの見事さだった。
しかし、この六太郎は幼い頃に誘拐されており、自分が中町三兄弟の末っ子であることを知らない。
そんな六太郎を発見し、真実を教えようとするのは、他ならぬ道太郎であった。
それぞれの道を生き、それぞれのやり方で女性と関係を持つ中町三兄弟。
それぞれの道が交錯し、それぞれと関わる女性たちの道も交錯するとき、「恋人たち」の運命が動き出す……。
感想
あらすじだけでも相当ややこしいですが、ここに典子の姉である信子や、道太郎の友人で女遊びが趣味の僧侶、志馬円道が加わり、頭の中を相当整理して読まないと誰が誰か分からなくなってしまいます。
最後は全員がてんでばらばらのペアに落ち着くので、終盤はその転回ぶりがそこそこ面白いのですが、それまでは、あまり面白くない陳腐なメロドラマと「誰が誰を犯した」という流れが際限なく続くだけです。
そんなわけで、本作は現代の感覚をそのままに読むとたいへん非倫理的な作品となっております。
しかも、昔の小説にありがちな、「ストーリー」「テーマ」「キャラクター」に一貫したところのない私小説的な作品なので、現代を生きる多くの読者にとっては評価1点未満の論外小説となるでしょう。
おそらく、100人が読んだら少なくとも95人はつまらないと言うはずです。
しかしながら、それでもなお私がこの本に興味を惹かれる理由は、作者である立原正秋が1960~70年代にかけて一世を風靡した流行大衆作家であったという点です。
現代でいえば東野圭吾さんや宮部みゆきさん、伊坂幸太郎さんや辻村深月さんにあたるのでしょうか。
そういった地位にある作家の書く作品の中で、「強姦された女が訪ねてくるなんて、俺も中町(=道太郎)なみになったようだな」というような志馬円道の台詞が「肯定的に」描かれていたのです。
「always 三丁目の夕日」の例を挙げずとも、例えば、近年のNHK朝ドラなどは過去の日本をあまりにも倫理的で清潔な場所として描写するきらいがあります。
しかし、事実は全く違ったのであって、昭和の日本というのは相応に汚い場所でした。
東京オリンピックや大阪万博に伴って多少の浄化が行われたとはいえ、道端に痰を吐き、立ち小便をするのが当たり前だった時代はそう遠い昔ではありません。
その意味で、本作は汚かった頃の日本を存分に描写した作品だといえます。
「昔といえど『日本』なんだからそれなりの清潔感があっただろう」と思っている方々にこそ、息を絶え絶えにしながらこの作品を読み切って欲しいところです。
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