1. 名探偵コナン ベイカー街の亡霊
1994年に週刊少年サンデーで連載を開始して以来、その名前を知らない人はいないというくらいに国民的作品として認知されるようになった「名探偵コナン」。アニメも長らく大人気で、映画も毎年制作されております。最新作の「名探偵コナン ゼロの執行人」では興行収入が100億円を越えるなど、その人気は今日でも右肩上がりに上昇しているようです。
そんな映画シリーズの中でも、特に高い評価を得ているのが本作品。歴代作品をランキングづけしているサイトも多くありますが、上位3つには必ず入っていると言っても過言でないくらい定番の作品となっています。とはいえ、単独の映像作品として作られた数々の作品と同じ俎上に並べてしまえば星2つが限界です。悪くはなかったのですが、小さな子供から大人までが肩の力を抜いて見られる娯楽として作らなければならないという側面と、何か映画として高尚なメッセージを残さなければならないという意識の板挟みの中で中途半端になってしまっている印象が強く、普遍的で古典になり得るような作品にはなっていませんでした。
2. あらすじ
IT業界の雄、シンドラーカンパニーが開発した最新ゲーム「コクーン」。カプセルに入って仮想空間を冒険するというこのゲームは完成披露パーティが開かれることになっており、政治家や大銀行の有力者の子息たちがゲームの体験者として招待されていた。
工藤新一(=コナン)の父である工藤優作がシナリオ作成に協力した関係でパーティに招待されたコナンたち少年探偵団。阿笠博士と蘭に連れられてやって来た会場では、有力者の子息たちが親の地位を鼻にかけて我が物顔に振舞っており、コナン達は不快な思いをさせられてしまう。
そんな雰囲気の中で始まったゲームの体験会。しかし、カプセルに入った子供たちを操るコンピュータ・システムには侵入者がいた。その名も人工知能「アーク・ノア」。カプセルの中で五感を奪われている子供たちは「アーク・ノア」の人質になってしまう。「アーク・ノア」の出した子供たち解放の条件。それは、50人の子供たちのうち、1人でもゲームを攻略できたら全員を解放するというもの。
コクーンに用意された5つのステージのうち、「オールドタイム・ロンドン」を選んだコナンたち。19世紀のイギリスを震撼させた連続殺人鬼「ジャック・ザ・リッパー」の謎を解決するステージに挑むコナンたちに降りかかる数々の試練。
コナンはゲームを攻略し、現実の世界へ戻ることができるのか。そして、ゲームを仕掛けた「アーク・ノア」の想いとは......。
3. 感想
仮想空間で本当の命を賭けたサバイバルゲームをするというストーリーは時代を先取りしている感があり、2002年公開であることを考えると慧眼だといえるでしょう。また、仮想空間だから、という理由で阿笠博士の発明品も使えず、蘭と新一の恋愛模様にもあまり突っ込んだ描写がないというのは当時の劇場版としては異色でした。コナン映画であるにも関わらずこのような作品になった理由は、脚本を小説家の野沢尚さんが務めたからであり、意図して従来のテレビシリーズや劇場版の要素を引きずらないようにしたのだと思います(劇場版は第1作から第9作まで、本作品を除き古内一成さんが脚本を担当)。ロングヒットしている作品というのは結局、そうやって時々のテコ入れが成功し続けているのであり、無謀なことはしないが安住もしない、絶妙な「挑戦」がされ続けている作品ということなのでしょう。
本編の感想としては、まず良いところとして、謎が幾重にも張り巡らされていて複数のストーリーが同時に進行している、という点があります。ゲームの世界から脱出できるのか、あるいは死か、というメインストーリーとは別に、「アーク・ノア」が本当は何を狙っているのか(思考が腐敗している金持ちのボンボンを集めて殺してしまうことで日本を再生する、という動機が最初に表明されるのですが、それでは「一人でもゲームを攻略すれば全員が助かる」という迂遠な方法を執る説明がつきません)、ゲームの開始直前に現実世界で樫村忠彬(ゲームの開発主任)を殺したトマス・シンドラー(シンドラーカンパニー社長)の殺人動機は何かという2点が解決されるべき謎となっています。サバイバルゲームを推理とアクションで乗り切っていくコナン映画の定番的演出とは別に、殺人さえ決意させてしまう人の心の闇にも迫っていく構成で視聴者を飽きさせないような工夫がされています。
さらに、「アーク・ノア」の狙いとシンドラー社長の犯行動機が全く別のもに見えて実は表裏一体という部分もよく練られていると思います。コナンの推理により、「アーク・ノア」の狙いが実は「ボンボンの子供たちに助け合い協力していくことの大切さを知って欲しい」だったことが最終盤に明かされます。自分の血統を鼻にかけてふんぞり返る人間ではなく、仲間と一緒に汗をかいて困難を突破できる人間になって欲しい、という想いです。一方で、シンドラー社長の犯行動機も工藤優作によって暴かれ、それは、シンドラー社長が「ジャック・ザ・リッパー」の子孫であることが樫村氏に知られる危険性があったというものです。穢れた血統では世間から批難を受けてしまうという恐れが彼を犯行に駆り立てたわけです。しかし、工藤優作は「なぜ世間に対抗しないんだ」と彼を難じます。誰は誰の子孫だから、という理由で人を毀誉褒貶する世間こそおかしいのだから、あなたは戦えばよかった、というわけです。もちろん、予想される世間からの不条理なバッシングに対し、シンドラー社長が個人として戦えばよかった、というのはやや人間の弱さを無視した短絡的な発想に思えます。しかし、「『良い』血統を鼻にかけるな」「『悪い』血統が何だって言うんだ」という二つのメッセージが同時に発されることにより、「人間は生まれじゃない」というテーマが効果的に押し出されているのはやはり小説家が脚本を書いているだけあるなと思わされます。
一方、テーマに関わる要素の出現が散発的で、映画全体としても起伏に欠けてしまったのは大きな難点でしょう。ゲームの中で「死んだ」子供はゲームオーバー(ゲームから退場)になってしまうのですが、そもそも「誰かが攻略しなければ全員現実に死んでしまう」という設定なので、最初に人質にとられた時点で全員死んだも同然ですし、結局、コナンがゲームを攻略することは視聴者にとって織り込み済みなわけですから、どうせ「生き返る」はずの「死」があまりに悲劇として強調され過ぎる演出は寒かったですね。ゲームの内容も、最後の「ジャック・ザ・リッパー」との列車上での対決以外は盛り上がったりドキドキするシーンがなかったのは拍子抜けでした。良心を試すような苛烈な二択、単年に準備し上手くいくと思っていた戦略・仕掛けがあっさりと無駄になってしまうなど、ゲーム的面白さをもっと出すべきでしたし、その方が「アーク・ノア」の「優しさと勇気を持て」というメッセージがよりハイライトされたのではと思います。シンドラー社長のエピソードも、「卑しい生まれの人間に不当なバッシングを行う世間」のような演出を冒頭あたりに入れておけばもっと迫真性が強くなったのではと思いました。「名探偵コナン」という設定上、殺人事件や胸糞悪くなる出来事を起こして良いという国民的アニメにしては珍しい自由があるのですから、それをもっと活用できないと肩透かし感は免れないでしょう。コナンのメイン視聴者層は子供たちなので、子供たち向けのメッセージを用意するのは良いとしても、もっと「あからさまな」展開ではないとメッセージへの気づきを促せないのではないでしょうか。逆に、大人の観衆を意識するにしては「人間は生まれじゃない。強く優しく生きろ」というだけのメッセージは単純すぎて社会の複雑さが反映されてない感が拭えないでしょう。
また、ゲームの最終盤において、コナンはワインを使った仕掛けで一命を取り留めるのですが、ワインの存在を仄めかすような描写がその前になかったのはアンフェアですね。注意深く見ていないと気づかないほどにその存在を仄めかしておけば、多くの視聴者は「やられた、その手があったか」と思ったでしょう。その意味で、主人公が絶対絶命を乗り切ったにも関わらずそのシーンの興奮は薄いものでした。
4. 結論
いわゆる30分アニメの映画としては十分な出来で、「コナン」映画としては異色という声もありながら評価されているのも分かります。ただ、あくまで凡庸なアニメ映画の中では少し上かもしれない程度の印象です。星3つには至らず、星2つが妥当でしょう。
コメント