『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』4部作の最終作であり、1995年のTVアニメシリーズから続くエヴァンゲリオンシリーズの完結作でもあります。
前作である「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の感想はこちらから。
そして本題である本作の感想ですが、どうにかこうにか「エヴァ」を終幕させた作品といったところ。
不満点を挙げればきりがありませんが、様々な要素が散逸して収集がつかなくなっている「新世紀エヴァンゲリオン」という作品の歴史にそれなりのエンディングを用意してなんとかピリオドを打った努力だけは激賞されるべきでしょう。
ここがおかしい、あれが変だ、と指摘するのは簡単なことですが、いまから「新世紀エヴァンゲリオン」を完結させにいくとして、本作よりもまともな形で終わらせることは誰が指揮をとろうが困難なのだろうと思います。
あの「エヴァ」が完結したということ、そのために相応の努力が払われたのだということを確認するための、まさに古参ファンのための作品です。
あらすじ
フォースインパクトの発生後も葛城ミサト率いる反NERV組織WILLEは各地を転戦。
旧NERVユーロ支部を解放することでEVA2号機の修理パーツと8号機改造のための追加パーツを入手するなど、NERVとの最終決戦に備えた行動を執っていた。
一方、シンジとレイ、アスカの三人はニアサードインパクト後に生存者が寄り集まって出来た「第3村」へと辿り着く。
大人になった鈴原トウジや相田ケンスケと再会した三人だが、反応はそれぞれ異なっていた。
トウジの家に居候しながら恋愛関係を育むアスカ、第3村のコミュニティに入って農業に勤しむレイ。
そして、自身がニアサードインパクトを起こしてしまったという罪悪感に耐えられず、無気力に日々を過ごすシンジ。
周囲に励まされながら少しずつ自分を取り戻していくかに見えたシンジだが、NERVを離れたレイの身体には危機が迫っていて.......。
感想
内容的には大絶賛できる代物ではありません。
強引な展開や相変わらず十分な説明のないまま進んでいく会話及び戦闘など、つまらなく不満足な面も多かったです。
ただ、なんとか辻褄を合わせて大団円へと運び込んだことだけは称賛できます。
特に「第3村」でのエピソードはそれなりに良かったと思います。
どこか抽象的で浮ついた空気のある「エヴァ」という作品に「生き残る」ことの生々しさが付与されて、ぐっと現実味が増加しました。
思春期の少年が大人になっていく過程での葛藤と、その心理的動揺に連動しながら進む、世界を救うための戦闘。
「エヴァ」の見どころやテーマはそこにあると考えているのですが、そうなると、完結編となる本作では「大人になる」ことの答えを見せなければなりません。
その答えこそ「第3村」におけるトウジやケンスケの姿でしょう。
自分のことよりも村人たちのことを優先し、献身的に共同体の利益へと貢献する姿。
妻子の養育と職業人生を通じて自己実現を図り、気持ちを充実させている格好良さ。
こんな難しいこと、自分には無理だよ。
この世の中は自分に対してだけ不公平で不条理だよ。
そんな思春期の少年が思い描く自分中心の世界はもうありません。
世界=第3村を救うために不条理や不公平を積極的に受け入れ、自己犠牲的に働く姿こそ大人の姿であるということ。
世界というものは、そもそもが不公平で不条理であるということ。
だからこそ、誰よりもまず自分がその不公平と不条理を一身に浴び、率先してその解決に取り組むべきだということ。
14年間眠り続けていた子供のままのシンジの眼には、そんな彼らの仕事ぶりが驚愕とともに焼き付いたことでしょう。
「第3村」こそがシンジの世界に不足していた「父親の背中」を見せてくれたに違いありません。
そして、アスカやレイの存在も重要です。
14年分生きたために、精神面では30歳近いアスカ。
「ガキシンジ」とシンジを馬鹿にしながらも、世界を救う可能性を秘めた、かつて好きだったその人が立ち直れるように言葉をかけたり、上手くレイを嗾けたりします。
レイは不機嫌な態度で周囲を遠ざけるシンジにも熱心に話しかけ、様々な方法で世話を焼きます。
これこそ、思春期の少年に対する母親の態度だと言えるかもしれません。
(実際、綾波レイはシンジの実母である碇ユイをモチーフに製造された人造人間なので説得的です)
そこには上官でもあった葛城ミサトとは異なる愛情があり、そのおかげで、シンジは少しずつ立ち直っていきます。
そして、そんなレイが突然「死亡」してしまうという展開がシンジに覚悟を決めさせます。
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