スポンサーリンク

「ブルシット・ジョブ」デヴィッド・クレーバー 評価:3点|無意味な仕事ばかりが増大していく背景を社会学的に分析 【社会学】

スポンサーリンク
ブルシット・ジョブ
スポンサーリンク

とはいえ、他人事だからくすりと笑えるけれども、自分が実際に行うとなると空恐ろしくなるようなブルシット・ジョブの事例が世界中からかき集められていて、個人的には、厳選されたそれらの体験談を読むことは楽しい営為でしたね。

本論に戻りますと、ブルシット・ジョブの主な増加要因として、グレーバー教授は「サービス経済化」を挙げています。

経済全体に占める第一次産業(農林水産業)と第二次産業(鉱工業)の比率が低下し、代わりに第三次産業(サービス業)の比率が上昇することを指す言葉ですが、グレーバー教授はその「サービス業」の中身が重要だと説きます。

つまり、増加しているのはカフェの店員やクリーニング屋さんではなく、行政官やコンサルタント、事務員や会計スタッフ、IT専門家といった「情報労働」に従事する人々であり、この分野こそがブルシット・ジョブの源泉になっていると言うのです。

そういった分野では、政府によるまやかしのような規制に対応するためだけの部門や、金融や保険といった数字を操るだけで利益を上げる業種、権威づけのための取り巻き役職や、世間体を良くするためだけの中身を伴わない広報活動的業務が生まれやすいうえ、事務職員の階層が際限なく細分化することで、大量の中間管理職が出現する体質になりやすいと本書では説明されています。

さらに、組織が拡大するにつれ、いわゆる実質的な仕事よりも、実質的な仕事の内容についてプレゼンを行ったり、実行されたことやこれから実行されることについて評価を施したり、その評価の手法について議論したり、自分たちの抱えている仕事の量と種類を管理したりするだけの仕事が増えてしまい、組織内における実質的仕事の比率がどんどん下がっていく傾向があるといいます。

大きな組織に所属している方々にとっては頷くことが多い内容でしょう。

映画業界において「プロデューサー」や「ディレクター」、「エクゼクティブ」、「マネージャー」、「インキュベーター」という肩書の人間ばかりが増殖し、肝心の「映像づくり」に従事する人々の数や時間が少なくなっていることが本書では実例として紹介されています。

スポンサーリンク

解決策編

多くの人々を精神的に傷つけながら、産業の情報化に伴って際限なく増えていくブルシット・ジョブ。

この流れを反転させ、ブルシット・ジョブをこの世から消滅させることは果たして可能なのでしょうか。

この点を議論するにあたって、グレーバー教授はまず、ブルシット・ジョブの存在を支えてしまっている現代社会の構造とその精神的基盤から説明を始めています。

まず第一に、現代社会においては、ある仕事が生み出す社会的な価値とその報酬とが反比例の関係にあることをグレーバー教授は指摘します。

自由市場を信奉するタイプの経済学とは真逆の考え方ですが、本書ではその論拠が述べられていきます。

そもそも、ブルシット・ジョブはその業務に従事している人々でさえその業務の社会的価値が存在しないかマイナスであると考えている仕事です。

それでいて、ブルシット・ジョブのほとんどはホワイトカラー・ジョブであり、それなりの報酬と外見上の社会的地位をもたらす仕事であって、ブルシット・ジョブ・ワーカーたちもその点には同意しており、そういった美点があるからこそ、渋々ブルシット・ジョブを続けているという声も少なくないことが本書では語られています。

こうしたブルシット・ジョブ・ワーカーたちが感じている主観的矛盾が客観的にも正しいことの証明として、グレーバー教授は米国の経済学者が行った調査を引用しています。

それは、米国における高級取りの職業がそれぞれどの程度の社会的便益と社会的コストを生んでいるかを計算し、その2つを合算することで、ある職業がどの程度社会に貢献しているか、あるいは社会を破壊しているのかを算出するというものです。

その結果は、例えば教師が給料1ドルあたり社会に1ドル分の価値を提供していたり、エンジニアが同0.2ドルの価値を提供しているのに対して、弁護士は同マイナス0.2ドル、金融部門はマイナス1.5ドルだったとのこと。

また、イギリスのニューエコノミクス財団が「社会的投資収益率分析」により調査した結果も引用されております。

それによると、病院の清掃員は給与1ポンドごとに10ポンドの社会的価値を産出し、保育士が 同7ポンドの社会的価値を産出しているとのこと。

一方、シティの銀行家は同7ポンドの社会的価値を破壊、広告担当役員は同11.5ポンドの社会的たちを破壊しているというのですから、その差は相当ものです。

そして、私達の社会にはこういった現状を精神論的に肯定する言葉が溢れています。

つまり、高い報酬を受け取っている人たちは、自分たちがこなしている業務の内容がつまらないことであり、人間にとって耐え難いことであるからこそ、そういった仕事に敢えて耐えているからこそ、忍耐の報酬として多額の金銭を受け取っているのだと説明します。

一方、報酬の低い人たちは、それでもその仕事を続けている理由、頑張り続けている理由に、自己効力感を挙げます。 

私がいないと、この現場(介護・病院・保育・清掃・インフラ整備etc…)が回らない。

子どもたち、患者の皆様、利用者の皆様の笑顔を守りたいから、社会の役に立ってるから。

コメント