こうした確執は「エリート機関」ではまず起こらないものであり、だからこそ、多くの人の生身の人生に迫るものなのではないでしょうか。
大手を振って反旗を翻す者、淡々と自分の練習をこなす者、実は3年生の緩い態度の方が好きだがなかなか口には出せない者。
それぞれの立場が微妙な空気感の中で混じりあうような環境こそ「高校の部活だった」と感じる人は少なくないと思います。
きっと、三年生の中にも少数派として真面目熱心派がいたのでしょう。
しかし、部活動というものは、在籍するそれぞれの学年(特に最上級学年多数派)の「空気」が色を作ってしまうものなのです。
反旗を翻した挙句辞めていった希美に対する態度は人それぞれで、冷たく拒絶する田中あすか(たなか あすか)から、必死に引き入れようとする中川夏紀(なかがわ なつき)、そして無関心の振りを決め込む多くの部員までグラデーションが存在して、どこまで相手の立場に踏み込むかも含めて各人の個性が出るわけです。
このような状況における「気まずさ」の描き方が絶妙で、本作の出色な点となっております。
希美が復帰してもしなくても必ずしこりが残ってしまう。
北宇治高校吹奏楽部が部活として成功して欲しいし、登場人物誰もに幸せな結末が訪れて欲しい、けれども、全てを丸く収められるような解決策は見当たらない。
そんなジレンマが視聴者をずっとはらはらさせ続ける、それが本作の面白さなのです。
しかも、この話を派閥対立の勃興と再統合による解決という「大きな物語」として描くのではなく、そういった派閥対立や嫌な空気感をリアリティのある生々しく繊細な「背景」として据えつつ、物語そのものは「鎧塚みぞれと傘木希美の個人的関係」に焦点を絞って展開させ、二人の関係性の変転が全体の問題に影響を与えていくという構成も巧妙です。
鎧塚みぞれと傘木希美は南中学校吹奏楽出身の友人同士だったのですが、一年前に起こった部内抗争を経て、みぞれは北宇治高校吹奏楽への残留、希美は離脱を選択しています。
そのとき、吹奏楽部を辞めるという相談を希美はみぞれに対してすることなく、みぞれの視点からすれば親友が何の前触れもなく突然に部活を辞めていったという状況が展開されてしまいます。
希美のことを親友だと思っていたけれど、希美にとって自分はどうでもいい存在だったのかもしれない。
そんな悩みを抱えたまま吹奏楽を続けてきたみぞれは希美のことを避け続けてしまいます。
狭い世界で繊細な感覚を剝き出しにして生きなければならない高校生たち、彼女たちの心理を取り巻く承認欲求や特定の関係への過度な依存といった感覚が独特の「間」を持った映像的演出も相まって効果的に伝わってきます。
そして、中川夏紀という登場人物もまた、希美が突然辞めてしまったことに困惑していた友人の一人ですが、みぞれとは逆に、彼女は希美が部に復帰できる雰囲気づくりに粉骨砕身して努めます。
「悩んでいるときの希美に何もしてやれなかったから」
同じ「相談されなかった」人間の対応でも、みぞれと夏紀の行動には大きな差が出ていて、人間関係に対する考え方やアプローチの違いという点でキャラクターの個性を上手く活かしながら物語を進めていく手法には惹き込まれます。
最終的には、紆余曲折の末にみぞれと希美が「親友」としての関係を取り戻し、積極的に動いた夏紀にはめぼしい心理的報酬が与えられずに「希美復帰騒動編」の物語は幕を閉じます。
夏紀は全く報われないのですが、それでいいんだ、という態度を夏紀は見せます。
からりとした性格で、自分の弱さは隠すくせに、他者の面倒は人一倍見ようとする夏紀の「かっこ良さ」を視聴者にだけは見せて幕を引く、という終わり方が実に粋で感心しました。
ただ欠点を挙げるとすれば、みぞれが希美に執着する理由がやや凡庸すぎたこと。
孤独で内気で陰気な自分を吹奏楽部に誘ってくれて、いつも相手してくれるから、というのは使い古されたパターンで、確かにコミュニケーションが苦手な自分をいつも引っ張ってくれる存在が大きいというのは理解できますが、そういった一般的な理論よりももう少し踏み込んだ、みぞれー希美特有の関係や個性を表すような捻りが欲しかったところです。
また、演出面ではやや芝居がかったところが目につきました。
特にみぞれと希美が仲直りする一連の流れは「あり得なさ」が強すぎ、「ああこれはフィクションだった」と我に返ってしまいます。
リアリティとフィクション性のバランスの中で視聴者は夢中になる(現実ありのままを淡々と見せられても引きこまれないしフィクション作品を見る意味もなくなってしまうが、かといって非現実的なことばかりだと共感できずにしらける、「どうせ嘘の話」となる)わけですから、もう少し配慮があればと感じました。
以上が第1話~第4話の感想です。
次項である中編は第5話のみの感想、後編でそれ以降の話数の感想を述べます。
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