「寄生獣」や「ヒストリエ」で有名な漫画家、岩明均さんが著した歴史漫画です。
単行本には表題の中編二編が収録されており、前者は戦国末期に有力大名だった佐竹家で起こった「川井事件」というお家騒動、後者は疋田陰流という剣術流派の祖となった疋田文五郎がまだ戦国大名である長野家に仕えていたときに起こった架空の少女ハルナとの交流を描いた作品となっております。
のちに「ヘウレーカ」や「ヒストリエ」といった漫画によって歴史漫画家としての地位を盤石にする岩明均さんというだけあって、史実をもとにしながらも起伏に富んだエンタメを提供する漫画となっており、安心感のある面白さだったという印象。
強烈に刺激的な感動、というわけにはいきませんが、演出や構成力の巧みさと読み易さを両立した佳作に仕上がっております。
あらすじ
・雪の峠
関ヶ原の戦いで西軍についたため、常陸国(概ね現在の茨城県に相当)を長らく統治していた名門大名佐竹家は出羽国(現在の山形県と秋田県に相当)へ転封となってしまう。
新領地にて新たな居城を建築することになった佐竹家だが、当主である佐竹義宣は家老たちの意見を軽んじ、新参者で若手の渋江内膳の意見を重用するのだった。
先見の目と才気に溢れる内膳の手によって築城場所が決まり、その設計も進んでいくのだが、古参の重臣たちにとってそれは面白い状況ではない。
いつしかその不満は鬱積し、ひとつの凄惨な計画となって内膳を危機に陥れる.....。
・剣の舞
血を血で洗う戦いが各地で繰り広げられていた戦国時代。
戦国大名である武田家は長野家が治める上野国(概ね現在の群馬県に相当)を激しく攻め立てていた。
戦乱の中、農民の娘であったハルナは野蛮な兵士たちによって誘拐され、凌辱されたうえにその家族を殺害されてしまう。
復讐に燃えるハルナは剣術を学ぶため、半ば強引な手段で疋田文五郎という達人に弟子入りするのだが......。
雪の峠
戦国時代から江戸時代へと移ろう流れの中で、時代に取り残されていく者たちと時代を先取りしていく者たちの確執と愛憎劇が巧みに描かれた作品。
家臣同士の妬み嫉みがやがて暗殺計画にまで発展してしまう戦国時代の烈しさと、関ヶ原における「敗北」によって負け組として戦国時代を終えることになった佐竹家が次なる太平の時代に生き残るため大胆な脱皮を行う、その瞬間のきらめきが印象的でした。
お互いの腹の内を探り合うような評議が醸す滑稽な緊張感や、評議と評議のあいだに行われる姑息な作戦会議の様子、殿と家臣、老人と若手、それぞれの持つ異なった時代感覚の錯綜といった要素が満遍なくかつ効果的に散りばめられており、サスペンス的な群像劇の面白さが凝縮されています。
戦国時代から江戸時代へと向かう流れに沿って、軍事都市ではなく商業都市を築こうとする内膳と、その発想についていくことができない古参の家臣たちが陰に陽に衝突し、最後には流血が避けられなくなってしまうのは、戦国時代の荒々しさと犠牲なしには時代の境界を乗り越えることができない人間の悲しい性をひしひしと感じます。
本作を一言で表すならば、「矛を収める先が必要」ということでしょうか。
タイトルとなっている「雪の峠」は、本作の序盤で語られる上杉謙信についてのエピソードに由来しています。
武田・北条軍に包囲された友軍の城を救援するため、険しい雪の峠を越えて大軍を率いてきた上杉謙信。
しかし、謙信が到着する直前に城は陥落してしまい、謙信は無駄足を踏むことになってしまいます。
すると、謙信は城を守り切れなかった城主の子供二人を呼びつけ、即座に斬首してしまったのです。
それはなぜか、作中では明言されませんが、もちろん、そうでもしなければ、険しい雪の峠を強行軍で越えさせた部下たちに示しがつかないからでしょう。
援軍として謙信を呼びつけたにもかかわらず、謙信が到着するまで城を守れなかったその城主の子供たちに、謙信に無駄足を踏ませた「責任」を取らせたわけです。
なーんだ、陥落したのか、じゃあ、帰るか。
そんなことでは、謙信の威厳が保たれませんし、部下たちも納得しない。
厳しい戦国の世だからこそ斬首となったのでしょうが、この「矛を収める先が必要」の精神はいつの時代も存在する人類集団の悲哀でしょう。
苦難の道を乗り越えて歩くには、不合理にも思える犠牲が必要である。
本作を薄く包む悲愴な空気感が読者の胸の裡をざらざらと撫でまわすことでしょう。
剣の舞
残虐なシーンも多いですが、戦国時代を舞台にしたガール・ミーツ・ボーイの定番物語的な構成となっており、筋書きとしては一般的な漫画の読者にも読み易くなっている作品です。
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