1. 入門 公共政策学
「政治学」や「行政学」とは似て非なる学問領域、「公共政策学」への入門書。学際的であり、問題解決を目的であることを強調しつつ、様々な事例を通じて公共政策学の片鱗に触れることができます。
一つ一つの事例は面白いものもあるのですが、やや体系に欠けるところがあり学問分野への「入門」のわりにそれなりのリテラシーが要求されるものになっていました。
2. 目次
本書の目次は以下の通り
第1章 なぜ公共政策学か
第2章 問題 いかに発見され、定義されるのか
第3章 設計 解決案を考える
第4章 決定 官僚と政治家の動き
第5章 実施 霞が関の意図と現場の動き
第6章 評価 効果の測定と活用
第7章 公共政策をどのように改善するのか
3. 感想
目次からも読み取れる通り、実際に政策が実行されるプロセスの順を追いつつ、その中で公共政策がどのように力を発揮するのかを解説する形式になっています。
第1章では、公共政策学の特徴や生まれた経緯の概要が語られます。
現代には様々な公共に関わる問題がありますが、例えば、「政治学」や「行政学」といった学問は直接そのような問題の解決を目的としたものではありません。分析し、体系化し、系統だった説明を行うことで、政治や行政の営みの動態を人間の知によって解読できるようなものにしていくことが目的です。
その結果、そういった分野の社会科学は専門分化が激しくなり、個々の分野における上手い説明や解決策が見い出せても、それが必ずしも即効性のある直接的な問題解決に結びつかないものになっていました。
それは、問題の持つ総合性、つまり、一つの問題を解決することにより他の問題が浮上してしまったり、「解決」したか否か、なにが「問題」かどうかは人々のそれぞれの主観によるところが大きいといった、そもそもまず何を「問題」として取り上げるべきかという問題に直面することになります。
既に何を取り扱うかが決まっている分野では、何が問題か、何がテーマかははっきりしているため、それらを歯牙にもかけない主観的立場や、他の分野への影響などが軽視されがちです。そこで、学問の専門分化と抽象化を克服し、世俗的な観点を包摂しつつ具体的な解決策を生み出すための学際的な分野として公共政策学が登場するわけです。
そのため、抽象的理念との整合性を気にしないこと、普遍的な法則を軽視するわけではないが、その問題が置かれた特定の「文脈」を重視することなど、他の分野とは一線を画した特徴が公共政策学にはあり、その特徴について解説されてゆきます。
第2章では、少子化対策を例に、問題が発見されるきっかけについての公共政策学的考え方が述べられます。
近年では当然の重大問題としてメディアや国会等でも取り上げられることの多い少子化ですが、この問題が注目されるきかけとなったのが「1.57ショック」です。
合計特殊出生率がそれまでの戦後最低だった1966年「丙午」の年を割り込み、1.57になったのが1989年。これをマスコミが大きく報じ、少子化問題がクローズアップされました。
それ以降、エンゼルプランの実施や少子化担当大臣の設置など、具体的な動きが進むことになります。しかし、少子化問題の本質を考えた場合、注目に値する数字は2.0(もしくは人口置換水準を考えて2.1前後)でしょう。
「1.57」という数字にあまり意味はなく、合計特殊出生率は70年代から2.0を割っていました。しかし、注目されたのは1989年から、「丙午」を割りこんだここからです。つまり、問題の「社会的」発見は何らかの合理性に基づいて行われることがなく、ある種の「偶然」が大きな要素となります。
その「偶然」につき、著者は4つの要因を主として挙げています。
①重大事件の発生
世間の注目を集める(主観的、心理的、感情的に)衝撃的な事件であり、つきまといから殺人に発展した事件を契機にストーカーに注目が集まった例が引かれています。
②社会指標の変化
公的機関等が発表する社会指標の変化であり、「住宅・土地総合調査」による空き家率のデータから「空き家問題」がクローズアップされたことが例に引かれています。
社会指標の変化、というとあまり偶然性がないようにも思われますが、「住宅・土地総合調査」は5年ごとですし、その調査項目に「空き家」が含まれていたのも偶然ですし(つまり、そもそも何が「社会指標」として選ばれているかの問題)、先に挙げた少子化問題ですと、「2.0」基準ではなく、「丙午」基準が結果的に採用されたのもかなりの偶然だと言えるでしょう。
③専門家による分析
特定問題につき大きな影響力のある機関や専門家による特徴的な分析です。「ローマ・クラブ」によって出された報告書、「成長の限界」以降、エネルギー分野に注目が集まるようになりました。
④裁判での判決
たとえその問題を具体的な身近な問題として抱えている人の数が少なくとも、裁判でこれまでの慣例を覆すような判決が出ると、やはり注目が集まります。非嫡出子への遺産相続権が嫡出子と比べ制限されていることへの違憲判決が例に引かれており、実際に法律が改正されました。
そして、こういった「問題発見」の問題と同時に、「問題のフレーミング」も重要だと著者は述べます。例えば、少子化問題の場合、「産まれる子供の数が少ない」という事実の原因は様々に考えられます。
家庭の収入、ライフモデルの変化、子供を育てる環境の変化。
そういった中では、例えば「子育て支援」を重視するのか、「結婚の奨励」を重視するのか、「子供を産み育てるという価値観の醸成」を重視するのか、という政策の選択が、この問題の原因が何なのかというフレーミングによって決定されます。
極端な話、母子関係の問題としてフレーミングし、「女性の社会進出が(悪い意味で)問題だ」などというフレーミングもあり得るわけです。また、より周辺の事象をもフレーミング内に収め、「結婚=出産」という価値観、あるいは「人生=結婚」の価値観から敢えて脱却して子供を産むことを独立したものとして捉えれば、また解決方法は変わるかもしれません。
「発見」され「フレーミング」される「社会的問題」。この観点から物事を見るのが、公共政策学だと本書は述べます。
第3章では、中心市街地活性化を例に、解決策の設計について述べられます。
解決策を検討するにあたり、まず関係部署が行うことは現状の分析・将来の予測です。その予測方法につき、以下の3つが挙げられています。
①投影的予測
過去のトレンドから推測する方法。近年の上昇、下降傾向はもちろん、周期的な変化にも注目する。
②理論的予測
物事の因果関係から予測する方法であり、「人口が増えればごみ排出量が増える」といった具合の予測方法です。
③類推的予測
分析者の主観や判断による予測。①、②ができないときに用いられる。
中心市街地活性化では、①投影的予測が人口動態や産業の状況につきあてはめられ、そこから実施する施策に合わせて予測を上下させた「目標値」が定められます。
次に、具体的な方法ですが、主に3つに分類できると本書は述べます。
①直接供給・直接規制
政府が社会に対して直接に財やサービスを提供したり、財やサービスの提供を禁止することで、自由市場では民間によって十分に供給されないものを供給したり、負の外部性や情報の非対称性のために供給過剰になるものを規制したりすることです。
前者の例として、警察や防衛、学校や病院、交通インフラ・サービスなどが挙げられ、後者の例としては工場排水の制限や薬品の安全規制が挙げられます。
②誘引
政府が直接介入するのではなく、誘引を設定することで民間の行動に対して間接的に影響を及ぼす方法です。
具体的には、補助金や助成金で参入や事業継続をしやすくしたり、特定分野への技能投資や進学を促すことがあり、一方で、罰金や税金で特定の行動を手控えさせたりさせることもあります。
住宅ローン減税や、政策融資、混雑税が例として挙げられます。
③情報提供
広報などを通じて企業や住民に特定の情報を伝達する方法で、人権や環境に関する事象では多用されます。
金銭的なインセンティブがない分、①や②よりも効果に疑問がつくこともありますが、そもそも知らなかった情報を知ることで行動が変わったり、人権意識や環境意識といった、ゆっくりでも広く浸透していって行動に影響を与えるものもあります。
中心市街地活性化政策では、コンパクトシティという目標のもとで郊外の開発を規制する①や、中心地への企業立地、移住を進めるための②が想定されます。
さらに、設計段階で重要なのは、果たして施策が費用に対して妥当な成果を挙げられるかということを検討することです。
その代表的な分析手法として、本書では費用便益分析が挙げられています。
施策がもたらす様々な効果を数値化することで比較しようとするもので、例えば、新道路の建設ならば、それによってもたらされる混雑緩和・時間短縮の効果が金銭的価値に換算され、建設・維持費用を上回るのか否かが検討されます。
第4章では、医薬品のインターネット販売規制緩和を例にとり、実際に政策がどのように決定されるかが公共政策学的に分析されます。
政策の内容は官庁の担当部局で検討が行われますが、官僚のみがそれに携わるのではなく、専門家や業界に属する企業や団体からの意見聴取が行われます。
担当部局がこれらの部外者に頼る理由は二つあり、一つ目は「専門知」を得るため、二つ目は「現場知」を得るためだと本書は述べます。
「専門知」とは文字通り専門家のみが精通している知識のことであり、ジェネラリストとしてキャリアを歩む日本の官僚には殊に身につかない部分のため、外部から専門家を通じて「専門知」を政策に反映させることになります。
「現場知」は実際に業界に身を置かなければ知りえない知識や経験であり、慣行や細部の事情は官僚には知りえないため、業界人の知見が活用されます。
これらに加え、市民代表とされる人物が呼ばれることもありますが、市民一般を代表する意見を述べられる者がいるとは考えづらく、パブリック・コメント等が活用されて市民の意見が集められ、場合によっては政策に反映されたり、政策に説明が加えられたりします。
そうして官庁としての案がまとまっても、次は官邸との調整が待っています。「橋本行革」以降、小選挙区制とも相まって官邸の力が強化されたため、もはや官邸の賛同なしに政策を通すことは難しくなっています。
ここでは、首相などの閣僚はもちろん、経済財政諮問会議など、官邸や首相に直属する機関との折衝も行われます。
そこでは、官僚が参照した専門知や現場知とは異なった意見・立場の者と官僚側は交渉・妥協することが求められます。
その後、あるいは同時並行的に、官僚には与党との交渉が求められます。自民党を例にとると、政務調査会の関連する部会や議員連盟で官僚は案について説明し、そこで議員たちの反論を受けることになります。
部会から案が上に上がっていき、最終的に総務会での賛同を得られなければ党議拘束のかかった与党・政府案として国会に提出されることはないため、ここでそれぞれの利害を持つ議員たちに対し、柔軟に政策が変更されてゆきます。
このようにして、専門家や議員、官邸との交渉を経るなかで政策案は変化してゆき、最終的には議員・官邸と官僚が折り合ったところで案が最終決定されます。
医薬品のインターネット販売規制がどのような経路をたどったかは本書を実際に読んでいただくと分かりますが、このように、政策案は当初設計そのままというより、様々な立場の利害が調整された結果に落ち着くことになります。
第5章では生活保護政策を例に、政策が現場でどのように運用されてゆくかを論じます。
法律が制定されても、実際にはそれだけで行政が何かをできるわけではありません。法律の文言は抽象的で曖昧であり、その文言だけでは具体的に何を実行してよいか分からないからです。そこで、政府は「政令」「省令」「通達・通知」という形で具体的な運用を指示したり、学習指導要領のような包括的な実施要領を定めます。
例えば生活保護では、生活に困窮しているとはどういう状態で、どう認定するのか、無料になる医療はどのようなものなのか、どのように生活を支援して生活保護から脱させるのか。そのような、法律には直接書いていない具体的な実施方法が実施要領や関係通知に示され、「生活保護手帳」にまとめられています。
それでもなお、政策の実施は一律のものとはなりません。そこには、第一線の職員による裁量の余地があります。
教室での授業や生徒との触れ合いにおいて教師が大きなフリーハンドを持っていることは自明でありましょうし、生活保護においても、ケースワーカーがどの受給者にどれほどの時間や労力を割くかは結局、現場の裁量となります。
このように、法律を制定する段階からも数多くの分岐を経て、わたしたちのもとには具体的な政策が到達するのです。
第6章では、学力向上政策を例に、実施された政策がどう評価されるかが論じられます。
政策を構成ロジックには①投入、②活動、③産出、④成果の四つがあり、政策評価ではそのそれぞれについて分析が行われます。
①投入は、政策を実施するために投入される資源であり、資金や人材、資材がこれにあたります。
②活動は、投入された資源を使って政府が行った活動であり、道路の渋滞対策では道路の拡張、学力向上政策では新しいカリキュラムに沿った授業になります。
③産出は、政府の活動により供給された施設やサービスの分量であり、道路の渋滞対策では新車線の数やバイパス、学力向上政策では生徒たちの勉強量・質がこれにあたります。
④成果は、文字通り成果であり、道路の渋滞対策では渋滞緩和の程度、学力向上政策ではPISAなど各種テストの成績にあたります。
特に④成果の評価につき、インパクト評価という手法が本書では紹介されます。政策が目標を達成するような成果を挙げたかにつき、政策が要因になった効果だけが浮き彫りになるよう対照群を用意して対照実験を行うというものです。
もちろん、全国的に実施せざるを得ない学力向上政策では対照群を用意することができないため、そう言った場合には学力調査など必ずしも対照実験とは言えない手法が成果のバロメーターになることもあります。
第7章では、ここまでの知見を踏まえ、公共政策の決定・実施をどのように改善していくべきか、公共政策学の考え方が示唆されます。
ざっくりとまとめると、専門家の専門知による「合理的」決定が重要なのははもちろんだが、その政策が「受け入れられるか」も同様に重要であり、非専門家、市民の意見も従前に取り入れ、また、言説やフレーミングも重要視しながら政策決定・実施がなされるべきだと著者は述べます。
4. 結論
全体として、即物的な知識を得たい人にとってはやや汎用的な解説に過ぎ、アカデミックに学んでいきたい人にとっては断片的で体系に欠けたものになっている印象でした。
一つ一つの章で学べる知識を整理し、自分で咀嚼する力や、その咀嚼・解釈の偏りにかなり依拠してしまう点が大きく、入門書・紹介本として果たして良いものなのかという疑問があります。
それでも、有用で興味深い指摘や知識は散在しており、注意深く読むにはいい本です。
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