1. 老人と海
「武器よさらば」や「誰がために鐘は鳴る」などの作品で知られるアメリカの小説家、アーネスト・ヘミングウェイの代表作で、ノーベル文学賞受賞のきっかけとなった作品だとされています。
新潮文庫の100冊に何十回も選出されるほど日本でも親しまれている作品であり、名実ともに人気を博している古典文学だといえるでしょう。
「老人を主人公とした武骨な冒険小説」という類例は現代文学に至ってもなかなか類似例がなく、文学界においていまなお稀有な立ち位置を維持しております。
そんな「老人と海」ですが、評判に違わず傑作といえる作品でした。
広漠とした海を舞台に、人間とカジキマグロが情熱的な大勝負を闘う。
その迫力と余韻の素晴らしさに、思わず感嘆のため息が出てしまいました。
2. あらすじ
舞台はキューバ、主人公は老漁師のサンチャゴ。
大型魚の一本釣りで生計を立てていたサンチャゴだったが、ある日を境に数か月もの不漁に陥ってしまう。
いつも漁を手伝ってくれていた弟子の青年マノーリンも、両親の指示によって別の漁船に乗ることになってしまい、サンチャゴは一人で漁に出る日々が続いていた。
かつては凄腕漁師だったサンチャゴも、さすがに衰えが隠せないようだ。
そんな噂を立てられながら、サンチャゴは今日も漁に出る。
しかし、この日は何かが違った。
サンチャゴが垂らした釣竿の針に、巨大なカジキマグロが喰いついたのである。
そして始まる、サンチャゴとカジキマグロとの昼夜を隔てぬ大勝負。
誇りをかけて闘う両雄の運命はいかに.......。
3. 感想
主人公が老漁師であり、描かれる場面のほとんどが老漁師とカジキマグロが大海原でせめぎ合う様子という、非常に渋い小説です。
村の人々に馬鹿にされながら、その中でただ一人、自分に気を遣ってくれるマノーリンに対しても意地を張りながら、今日も無為かもしれない漁に出陣するサンチャゴ。
冒頭ではその様子が淡々とした筆致で描かれ、物語は生々しい緊迫感に飲まれていきます。
照りつける太陽、どこまでも広がる大海原、小さな漁船。
ただそれだけしか画面上には現れないのに、いやだからこそ、戦場の鮮烈な印象が読み手の胸に刻み込まれていきます。
そして、ついに始まる戦いの場面。
驚くことに、本書のおよそ三分の二はカジキマグロと闘うサンチャゴの肉体的・精神的な動きについての記述です。
張り裂けそうになる筋肉、激痛に軋む身体、カジキマグロと闘いながら別の魚を頬張るという、荒々しい食事の描写。
削られた木肌を思わせるような、ざらざらとした手触りの描写に、心はどんどん熱くなっていきます。
釣りの最中、老人が思い出す過去の話なんかもいい味を出しています。
丸一日かけて闘った腕相撲対決に勝った話には、かつて伝説的な武闘派だったサンチャゴの、まさに怪力と忍耐と漢気だけで身体が構成されているような、そんな海の男らしさが現れています。
ところどころ挟まる、敵であるカジキマグロを称える独白なんかも、誇り高き「生き物」同士が対等な立場で尊敬しあいながら闘っているんだという雰囲気をつくり、否が応にも物語を盛り上げていきます。
老人とカジキマグロがただお互いを引っ張り合っているだけの場面をこうも長々と記述し、それでいて読者を物語に惹きこませられるような作家は文学の歴史上でもヘミングウェイ一人でしょう。
しかし、本作の神髄はその終盤、老人がカジキマグロを釣り上げた後の展開にあります。
サンチャゴが釣り上げたカジキマグロはあまり大きく、それこそ漁船よりも大きいので、普通の魚を釣ったときのように船の上に乗せることはできません。
それゆえ、サンチャゴは漁船の横腹にカジキマグロを括りつけます。
しかし、カジキマグロの身体には銛が刺さっていて、絶え間なく血が海へと流れ出しています。
そして、大海原にはそんな死体を狙う輩がいるのです。
狡猾なサメが漁船に迫ります。
櫂を武器に抵抗するサンチャゴですが、サメの群れを撃退することはできません。
サメたちはカジキマグロの肉を喰らい、ついにカジキマグロは骨だけになってしまいます。
その様子をじっと見つめながら、むなしい事実を敢然と黙して受け入れるサンチャゴの背中。
その様子こそ「哀愁」描写の極致だと言えるでしょう。
侘しさや切なさの沈痛と、剛毅な強さが並立する瞬間。
その瞬間をこれほどの静寂と感情の高ぶりの中に描き出す、それが、ノーベル文学賞作家の小説技術なのだと確信できます。
そして、最後の場面では、マノーリンが島に帰ってくたサンチャゴを迎えます。
コメント