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「他人の顔」安部公房 評価:2点|顔とは他者から自己の内面を覆い隠す蓋であり、他者から見た同一性を保全するための道具である【純文学】

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他人の顔
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ノーベル文学賞の有力候補だったと言われているほか、芥川賞、谷崎潤一郎賞、さらにはフランス最優秀外国文学賞を受賞するなど、国内外で評価が高かった小説家、安部公房の作品。

「砂の女」「燃え尽きた地図」と並んで「失踪三部作」の一つに位置付けられています。

このうち「砂の女」は当ブログでもレビュー済みであり、日本文学史上屈指の名作であると結論付けています。

圧倒的感動に打ちのめされるという経験をさせてくれた「砂の女」と同系列の作品という評価に期待を寄せて読んだ本作。悪くはありませんでしたが、その高い期待に応えてくれたわけではありませんでした。

「砂の女」と同様、都市化・資本主義化していく社会の中で人々の自己認識や他者との関わり方が変化していくというテーマそのものは面白かったのですが、「砂の女」が見せてくれたような冒険的スリルやあっと驚く終盤のどんでん返しがなく、主人公の思弁的で哲学的なモノローグがあまりにも多すぎたという印象。

もう少し「物語」としての起伏や展開による面白さがあれば良かったのにと思わされました。

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あらすじ

主人公の「ぼく」は高分子化学研究所の所長代理として研究に取り組む日々を送っていた。

そんなある日、「ぼく」は実験中の事故により液体空気を浴びてしまい、重度のケロイド瘢痕を顔中に負ってしまう。

見るも不気味な顔となってしまった「ぼく」は包帯で顔を覆いながら生活を再開するものの、元の顔を失ってしまったというだけの理由で研究所の職員たちや妻とは疎遠になっていく。

生活の中で顔が果たしていた大きな役割を自覚した「僕」は、顔に装着するための精巧な仮面を作ることによって自己と社会との関係を修復しようと試みる。

その究極の目的は妻との性的な関係の回復だったのだが......。

感想

極めて難解な文体のうえ、文章のほとんどが「ぼく」の独白で占められているため正直なところ非常に読みづらい小説です。

しかし、純文学の大家が著した作品だけあって、随所にはっとさせられるような心理描写が見られます。

たとえば、主人公は当初、顔というものを失っても中身はれっきとした自分なのだから、他者の自分に対する態度は変わらないだろうと考えていました。

しかし、実際には研究所職員たちがよそよそしい態度をとるようになり、妻にも行為を拒絶されます。

そう、顔というものはまさに、自分自身の中身にとっては全く意味のないものであるにも関わらず、他者との懸け橋となり、他者に見られることによって効果を発揮する、いわば自分自身に張りついた他者であることに主人公は気づきます。

同時に、他者の顔というものはそこに現れる表情を見ることによって自分自身を知るきっかけとなる、まさに他者に貼りついた自分自身であるということにも主人公は思考を巡らせます。

そして、顔に「ぽっかりと深い洞穴が口をあけた」 ような幻覚から脱するため、他者との懸け橋になる、「顔の穴をふさぐ栓」としての仮面をつくろうとするわけです。

そんな主人公は仮面を完成させ、これを被って外の世界を出歩くわけですが、ここで主人公は仮面の意外な効果を感じ取ります。

街行く人々は主人公の仮面を主人公の顔として認識するわけですが、主人公にとっては文字通り仮の面にすぎず、いつだって仮面を脱ぎ捨てて素顔になることができるわけです。

つまり、主人公は永続的なアリバイを得たことに気づきます。

そうなると、主人公は世間に対して不思議な優越感を覚えるのです。

いま、自分だけは何を行っても咎められない(仮面の中という)自由な安全圏に潜んでいて、その圧倒的優位から真の自由なき人々を見下ろしているという感覚です。

素顔には自己同一性が宿っており、素顔は自己の連続性を担保します。

昨日の自分と今日の自分が同じだといえるのは、そして、他人から同じ人物だと認識されうるのは、まさに同じ素顔を自己(鏡を通じて)や他社に確認されるからです。

そのため、素顔で街を歩く人たちは明日の自分に迷惑をかけないために表情や行動に工夫を凝らさなければならない一方、仮面を被った主人公にはその制約がないわけです。

(仮面を付けたまま悪事を働いた後でも、人知れず仮面を外して闊歩すれば主人公のことをあの悪事を働いた人間だとはだれも思わない)

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