小説 「こころ」 夏目漱石 星3つ

こころ
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1. こころ

日本文学を代表する作家、夏目漱石のそのまた代表作といってもよいでしょう。長年の高校教科書掲載作品としても有名で、書籍を手に取って読んでみたことがないという人でも教科書掲載部分の内容くらいはなんとなく覚えているのではないでしょうか。また、累計発行部数は700万部を超えており、日本で最も売れている小説であることから、書籍として手に取り通読したことがあるという人もそれなりにいるのだと思います。

そんな本書は恋愛の三角関係が物語後半の枢要を占めることもあり、殊更に恋愛小説面を強調したプロモーションがかけられることも多いように感じられます。しかし、本書の主題は「時代の趨勢と人々の『こころ』」であり、漱石自身もそれを意識して書いたという解釈が通説となっております。派手なアクションシーンや意外などんでん返しなどがあるわけではなく、ぐいぐい感情を揺さぶられるというわけではありませんが、手堅い面白さのある作品です。

2. あらすじ

東京帝国大学の学生である「私」は夏休みに訪れていた鎌倉の海岸で「先生」と出会う。ひょんなことから「先生」との交流を始めた「私」だったが、「先生」にはどこか謎めいたところがあり「私」には「先生」の奥底が理解できないように感じられていた。「先生」とその妻との関係、そして「先生」が毎月行う墓参にヒントがありそうだが、「私」にはそれが掴めない。

そんなある日、「私」は重い腎臓病を患う父のいる実家へと帰省することになった。当初は父も元気な様子だったが、明治天皇が崩御し、乃木大将が割腹自殺で殉死した頃から元気を失くすようになってきた。事態の悪化を受け、「私」は東京へ帰る日取りを延期していたが、いよいよ父の容体が危なくなったその日、「先生」から手紙が届く。手紙の末尾に記されている結末を先に見てしまった「私」はいてもたってもいられず実家を飛び出し、東京行きの汽車へと乗るのだった。

そして、汽車の中で「私」は「先生」の手紙を読み進めていく。明治の人間として「先生」が自身の犯した罪にどう決着をつけるかを示した手紙。そこに綴られた若き日の恋物語とは......。

3. 感想

「先生」は下宿させてもらっている家の娘(お嬢さん)が好きになる。しかし、精神衰弱気味の友人Kをこの下宿に連れてくるとKまでお嬢さんのことが好きになってしまう。「先生」はKの恋心を知りながらお嬢さんの母親に「お嬢さんを私にください」と結婚を申し込む(親に「告白」するのは当時は普通のことだった)。Kは煩悶と苦悩の中で自殺し、「先生」もまた友人を裏切ったという記憶を抱えたままその後を過ごす。

これが恋愛三角関係を軸にした本書の解説となるでしょう。友人が好きな人を好き。自分が先に告白して友人からチャンスを奪い去る。そんな自分に対する嫌悪にずっと苛まれる。恋愛は罪深い。

しかし、本書のテーマは上述の通り、「時代の趨勢と人々の『こころ』」 。恋愛パートだけをそれっぽく切り取った解釈だけでは本書を楽しみきれたとは言えないでしょう。三角関係という盛り上がりパートをしっかり後半(「下 先生と遺書」)に据えてくるのは大衆小説家としての実力も兼ね備える漱石の腕前が表れているといえますが、本書を十全に味わうためにはまず前半部分、「上 先生と私」「中 両親と私」にまずは注目しなければなりません。

最終的に、「先生」はKとのあいだで犯した罪にたいして自決という選択をするわけですが、主人公である「私」に対してその罪を明かすのは既に死を決意した後、もう「私」が「先生」の自殺を止められないくらい物理的に遠くに行ってしまったところで、「私」に対して手紙という形で罪を告白するわけです。

なぜ、「先生」は私と出会って交流を深めた時点、つまり「上 先生と私」の時点で「私」に対してこの罪を告白しなかったのでしょうか。

それは、「先生」も作中で述べている通り、「私」にはそれが深い罪だということも、そういった罪を犯したから死んだように生きているのだという自身の心境が究極には理解されないと考えていたからです。理解されないのを分かっていてまるで同情を引くがために語るようなことはするべきではないというのが「先生」の考えになっております。

そんな「先生」は「私」を見くびっていたのでしょうか。いいえ、「先生」の眼力は確かなもので、「私」が本質的には「先生」の抱える懊悩の深さや罪に対する悩みの深刻さを理解することができない人物なのだということが作中で示されます。

その場面とは「中 両親と私」において、乃木大将の殉死に対して何も感じない「私」と急に気落ちして元気を失くす父との対比に表れます。明治維新以来の忠臣であり日露戦争の英雄でもある乃木大将の殉死、というのは本書執筆時最大の時事ネタといってもよい事件で、明治天皇崩御後、大喪の礼終了後に腹を十字に割いて自刃したという衝撃的な自殺方法とともに大ニュースになったのです。しかも、本書の結末部分にも記載の通り「西南戦争の時敵に旗を奪られて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、ついに今日まで生きていた」という意味の言葉を書き残していたということが人生の主だった部分を明治時代に生きてきた人々には特に衝撃をもたらし、深い感銘と共感を与えたのでした。

たった一度の小さな失敗について、それを死に値する恥だと思い、死のう死のうと思って生き続ける。現代に生きる私たちにとっても、そして明治人ではない(明治天皇崩御時点で学生の)「私」にとってもそれは理解しがたいことである一方、「私」の父や「先生」といった人物にとっては、時代が進むにつれ薄れてきた「明治の精神」を鮮烈に思い出させてくれる事件になったわけです。社会を良くするだとか、自分が幸福になるためだとか、いまふうに言えば「社会貢献」「自分らしく生きる」「自己実現」だとか、そういった生き方を明治の人々は、特に一定以上の階級に生まれ育ち品格を持っていた人はしなかったのです。心の中に独特な功罪の感覚を抱き、生き恥を晒すことを何よりも恐れていた時代では「社会貢献」ですら「違う」のです。その代わり、一人の人間として立派に生き遂げられるかという、自分自身との剛毅な勝負に生きることが「明治の精神」だったのです。「お天道様が見てる」の精神ともいえるかもしれません。

「私」の父は乃木大将の死によって「明治の精神」を思い起こし、自分が生きる意味について自分に対して問い始め、だからこそ容体が悪化していく。「生きていることが一番大事」「あなたの命が何よりも大切」。それが至上とする精神はそこにありません。「いかに死ぬか」。それこそが価値であり、「どう生きたか」の証である。ある種、肯定的な「生きる意味などない」がそこに生じるわけです。だから、父は危篤に陥ります。

そうです、父の危篤と同じ時期に「先生」からの手紙が「私」のもとにやってきたのは偶然ではありません。明治人たる「先生」の心の動きも「私」の父と全く同じ軌跡を辿ったのです。罪を抱えたまま生きることの価値は忽然と消え去り、明治の精神というフィルターを通して死の価値が浮かび上がってくる。そして、自分は明治の精神とともに死ぬということ、罪を意識して死んだように生き、そして明治の終わりとともに死んでいくのだということ、その意味があなたには分からないだろうということ、それらを結論とした罪深い過去を告白するという内容の手紙を「私」に送るのです。

この「あなたには分からない」明治の精神というのが本書の核心、「時代の趨勢と人々の『こころ』」 に通じています。その時代時代に生きる人々の心を縛る独特な道徳心。それは昭和生まれの人々にも、平成生まれの人々にもありますし、きっと令和生まれの人々も抱くのでしょう。それは言葉にするには難しく、簡単に抗えるようなものでもなく、その道徳心に逆らおうとすると何か不思議な感覚が自分を押し戻そうとするような気持ちになるはずです。そして、その感覚は同じ年代生まれの人々とは簡単に共有できるのに、異なる時代生まれの人々には驚くほど通じず、ただただ苦笑いするだけという場面に遭遇するような代物であるはずです。

もちろん、私にも読者の皆様にも明治の人々を内側から律していた「明治の精神」は分からないものです。しかし上述のように、昭和世代を内側から律する「昭和の精神」を平成世代が理解してくれないと悩んだりすることや、そんな時代の移ろいに感慨深くなったりするという現象は多くの人が経験したことでしょうし、「平成の精神」を令和世代が理解してくれないなんてこともこれから多発するのでしょう。世の中の動きが速くなり、そんな現象がこれから多発するということを予見したかのように、本作は100年前に書かれたのです。 当時急浮上した感覚であり、誰もが言葉にしづらかったことであり、永遠普遍のテーマとして現代にも引き継がれる「時代の趨勢と人々の『こころ』」。本作はそれを鮮やかに描いた小説であり、だからこそ「明治世代」にも刺さり「大正世代」にも刺さり、いまでも読み継がれているのでしょう。

なんとなくですが、恋愛感覚の変化や「忠君報国」精神の変化というのが明治から大正の転換期に起こったというのは、同じく恋愛感覚の変化や「(会社への)滅私奉公」精神の変化が起こっている平成から令和への転換期としてのいまに似ている気がして感慨深いですね。

さて、上述のような遠大なテーマを通俗小説の外形にうまく包んで普及した、いわば「うわべを読んでも面白く、深く読んでも面白い」本作ですが、ややうわべ側に難もあります。

新聞連載作品なので「何か書かなきゃ」というプレッシャーがあったのかもしれませんが、 全体的に冗長で、特に恋愛が絡む「先生と遺書」以外はエンタメ的面白さもないので文学技術の発展した現代から見るともっと圧縮の余地があるように感じられます。三角関係の描き方もワンパターンで、特にお嬢さんが感情のない道具のような存在になっているのは減点対象ですね。

加えて、本当にカジュアルに読んでいく層に対してテーマが一端でも伝わるのかという疑問があります。もちろん、作品を深く理解するには考察や探求が必要ですが、本当に良い作品というのはエンタメ的にも面白く、それでいてテーマについても多少なり万民の心に引っかかりを残すものであるはずです。そういったテーマに纏わる万民共感箇所を「明治の終わり」や「乃木大将の殉死」といった時事的な要素に頼っているという点で普遍性に欠けるでしょう。

読んでいるときのワクワクやドキドキという点をある程度加味して星3つが妥当だと思います。

ついでですが、終盤に出てくる「先生」がKの悩みを誤解していたという点が個人的には好みです。寺で育ち、学問に対して実直で己に厳しい。そんなKは「先生」のようなちゃらんぽらん学生の中にあって明治の残り香のある人物として描かれています。彼が自身の犯した罪、自分自身に誠実でなく道から外れてしまったという罪において自決する。この事件もまた、新時代人になりかけていた「先生」を明治の精神に引き戻し、少なくとも死んだように生きることを決意させたのでしょう。旧時代と新時代の感覚のあいだで揺れ動く世代というのはいつだって存在するもので、それこそ、いまの30代~40代には心にひっかかる箇所ではないでしょうか。

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