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【大人になりたい夏の旅】映画「菊次郎の夏」北野武 評価:3点 【日本映画】

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1999年公開の映画で、監督は北野武。

主演である菊次郎役も北野監督本人が勤めております。

暴力性の強い映画で知られる北野監督ですが、本作は不良中年男と小学生の少年がひと夏の不思議な旅を経験するロードムービー。

北野監督独特のクセが強いながらも、基本的には人情感動路線の作品です。

そんな本作を鑑賞してみたのですが、なかなか魅力的な映画でした。

物事について一面的な見方をせず、酸いも甘いもある「人間」を描こうとしている意欲作。

あまりにも清潔になりすぎた現代社会では失われてしまった人間臭さと、その中にある「大切だったかもしれないもの」について思いを馳せられる作品です。

ビートたけし (出演), 関口雄介 (出演), 北野武 (監督) 形式: DVD
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あらすじ

小学三年生の正男(まさお)は、東京の下町で祖母と二人で暮らしている。

家庭は貧しく祖母は毎日働きに出ており、両親もいないため、夏休みだというのに正男は旅行に行くこともできない。

父親は正男が小さい時に他界し、母親は遠くに働きに出ている。

祖母からそう聞かされていた正男だったが、あまりにも惨めな状況にいてもたってもいられなくなり、正男は僅かなお小遣いを握りしめ、母を探す旅に出ることを決意する。

しかし、駅に着くまでもなく正男は近所の中学生からカツアゲに遭ってしまう。

そんな正男を助けたのは、偶然通りかかった祖母の友人である気の強いおばさん。

その後、事情を聞いたおばさんは、夫である菊次郎(きくじろう)を正男のお供にして母探しの旅へと送り出すのだが……。

感想

中年男と少年が夏休みの旅に出る、というあらすじから想像されるのは「郷愁的な雰囲気と少年の成長」なのでしょうが、そんなベタに媚びないところが北野監督らしさでしょう。

本作の肝は、大人になりきれない不良中年男性である菊次郎が、少年のときに体験しておくべきだった様々な経験を旅の中で積むことで、遅まきながら「ひと夏の想い出」と大人になるための経験を得ていく話になっております。

渡された旅費を我慢できずに使い切ってしまい、盗んだ自動車で走り出し、卑怯な手段によるヒッチハイクを試みて、ようやく目的地へと辿り着く。

しかし、目的地で発見したのは、平然と再婚して暮らしている正男の母親。

正男を慰めるためのキャンプを敢行する一方で、決して上手くはいっていない自分と母親との関係に思い至り、母親が暮らす介護施設へと足を運ぶ菊次郎。

しかし、菊次郎は母親に声をかけることができない。

作中では明言されませんが、きっと、母親に会わせる顔がないくらい情けない自分に気づき、どうしても足が動かなかったのでしょう。

しかしながら、これは傍若無人に生きてきた菊次郎がようやく、自分の「弱さ」や「子供っぽさ」と真剣に向き合う機会にもなったのだと思います。

いい年なのに、大人として振る舞えないことへの葛藤。

少年である正男を庇護しながらの旅という過程で、菊次郎がそんな気持ちを抱いていることが度々示唆されます。

まるで大きな少年のように生きてきた菊次郎にとって、大人として少年に対するなど初めての経験なのです。

正男を慰めるため、キャンプに引き続き、菊次郎は正男を縁日に連れていきます。

そこで喧嘩に巻き込まれた菊次郎は、威勢よく啖呵を切った末にボコボコに殴られて伸びてしまうのです。

より強い相手に殴られ、屈服させられる経験を通じて、少年の瞳が大人になっていく。

「少年の成長」を描いた作品でよく見られる経験を、中年である菊次郎はようやく経験します。

旅の途中で出会う、「ちゃんとした大人」や「ちゃんとしてない大人」たち。

衣食住を手に入れるため、清濁併せ飲んだ方法を行使する経験。

それを小学生の少年である正男にではなく、大人になりきれていない大人である菊次郎に体験させるところに、北野監督からの示唆があるような気がします。

「ひと夏の冒険」系の物語に出てくるような出来事を経験する機会は社会から急速に失われつつあり、誰も彼もが非日常や別世界でのちょっとした無茶を行わないまま年齢だけ大人になっていく。

そんな社会で量産される、幼稚な大人を北野監督が冷笑し、それへの皮肉として描いていて、それなのにロードムービーとして強い感動があるような作品です。

肝心の旅程が映画の半ばで終わってしまうことや、本格的に旅が始まる前の、競輪関係のシーンでやや中だるみがあること、キャンプでの「おふざけ」がちょっと寒いかな、という点を考慮して5点や4点とはしませんが、3点(平均以上の作品)に十分値する映画でした。

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