母親と喧嘩をして、家出をしたその夜に殺されてしまい幽霊になった絢音。
「もっといろんなことがしたかった」
そう語る絢音の遺体探しを手伝ううちに、死んだような生き方では大きな後悔が生まれてしまうことを友也とあおいは悟ります。
だからこそ、友也は母親の意に反して美術の道へと進む決意を固め、あおいはいじめに抵抗して学校生活を生き抜く覚悟を決める。
ここまではベタとも言える展開でしょう。
本作に他作品とは違った色合いを与えているのは、もう一人の高校生である涼の存在です。
バスケットボールに勤しむ楽しい高校生活を送っていた涼は、ある日突然不治の病に罹ってしまい、余命9か月の宣告を受けている状態。
(だから「死に触れようとしている人」にしか見えない絢音の姿が見えています)
余命宣告をされて自暴自棄気味に気落ちしていた涼は、絢音との交流を通じて「生」への活力を取り戻すのですが、それは余命を桜の季節にまで伸ばす程度の力しか発揮せず、涼は病気で亡くなってしまうのです。
本作のラストシーンは、遺体探しを経て絢音が成仏した夏から一年後に、友也とあおいが滑走路で花火を手に持ち、新たな「サマーゴースト」となった涼に会いに来る場面となっています。
絢音の遺体探しを通じて友也とあおいの精神は救われますが、身体を蝕む凉の病気までは治りません。
けれども、遺体探しを通じて、凉は残りわずかとなった人生を真剣に生きる活力を得たし、なにより、こうして会いに来てくれる友達を得ることができた。
凉の病気まで治ってしまうと「何でもあり」すぎてしらけますが、友也とあおいのエピソードだけですと、あまりにも平凡な物語過ぎて印象に残りません。
不治の病は治らないとする程度の現実的な冷やかさと、けれども、死にゆく彼に希望と友情とを残す程度には温かな物語。
この温度感の独特な塩梅が本作を小さいながらきらりと輝くような、決して欠伸の出るような凡作ではない作品に昇華させていると言えるでしょう。
絶妙な温度感を保った終わらせ方は本作の非常に淡々とした雰囲気とも実に合っていて、切ない余韻を残してくれます。
こう表現すると「それは面白いのか?」と思われてしまうかもしれませんが、本作は遺体が見つかる場面ですら過度なBGMを用いたりせず、登場人物が叫んだり走ったりする際もその「盛り上がり具合」が抑制的に描かれています。
そうした、いかにもドラマやアニメでしか出てこなさそうな「派手な描写」が排されていることで、生と死を扱った本作の迫真性が却って強調され、登場人物の造形にも現実感が出ています。
「最後にいい思い出ができた」「友也くん、頑張るんだよ」
遺体が見つかったとき、絢音は友也にそう告げて、静かに消えていきます。
母親に自分の死を報せることができることへの喜びについての台詞ではなく、「最後にいい思い出ができた」という台詞が出てくるあたり、絢音が抱えている本当の心残りは「友情」への渇望だったのかもしれません。
「もっといろんなことがしたかった」
そうは言いながらも、生きているあいだに掴み損ねていた本当の心残りは、損得勘定抜きで自分のことを心配して遺体探しまでしてくれるような、そんな友情だけだった。
優等生であることを息子に強要する母親と対峙する友也や、スクールカーストに根差したいじめに対峙するあおいの状況も「愛情」や「友情」に飢えている状態だと捉えれば、本作はそんな渇望者たちが寄り集まって紡いだ親愛の物語だともいえるでしょう。
ところで、心残りがなくなったことで絢音が成仏できたということからは、まだサマーゴーストとしてこの世に残っている凉には何か心残りがあると解釈できるわけで、友也とあおいが凉に会いに来ているラストシーンからは第二の冒険が予感されるという点も脚本の上手さだと思いました。
優等生となって安定した人生を過ごせという親からの抑圧や、学校でのステレオタイプないじめ、不治の病、成仏できない幽霊、といった要素のベタさは痛いところで、40分という時間制約からは仕方がないとはいえ、物語が二転三転するようなハラハラ感や、深い心理描写による絶大な感動はなく、名作級を示す4点はつけられません。
しかし、短編アニメ映画としては十分に楽しめる作品であり、きらりと輝く佳作ではあることから、評価は3点(平均以上の作品・佳作)といたします。
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