pixivで連載されていたコミックエッセイの書籍化作品。
「寂しさのあまり性体験をしたこともないのにレズ風俗に行く」というセンセーショナルな煽り文句と、その切実な内容のコントラストが魅力です。
あらすじ
大学中退後、精神的な病気を患い、アルバイトも長く続かなかった著者、永田カビ。
親との関係も上手くいかず、頭には「死」がよぎる。
「なにくそ、立ち直ってやる」。
そう意気込み、息苦しさから自分を解放するために選んだ手段。
それはレズビアン風俗に行くことだった。
生きづらい現代で自分に自信を持つとはどういうことか。
レズ風俗での体験を通じ、著者が自分として生きていく方法を掴んでいく物語。
感想
共感できる人とできない人が真っ二つに分かれる作品でしょう。
真っ二つになる基準は「自分に自信を持っているか否か」です。
非常に個人的な観点ですが、現代を生きる人々を敢えて二つに切り分けるならば、その基準として「自分に自信を持っているか否か」を使うのはかなり良いアイデアなのではないかと感じます。
そこには、個人の性格とそれを形成してきた家庭や社会の環境が如実に反映され、しかも、自信を持っている人/いない人同士は決して相互に理解しあえず、共感できない。
相手の立場や気持ちを想像することさえ困難であるという、のっぴきならない溝がそこにはあります。
自分に自信を持って生きられる人、というのは、なにをやっても息苦しさを感じない人。
現代の「普通・常識」をそのまま自分自身の「普通・常識」として当てはめても存分に生きていける人なのです。
人間関係の構築に苦しんだり、当たり前のことができないなんてことはありません。
無意識のままの動きが、そのまま常識やその場の空気にフィットするような人々です。
その対極にいる人々が、本書の著者の立場になっております。
こうした人々は、基本的に周囲に「認められる」ことがありません。
それどころか、いつも「自分はまともに生きていないのではないか」という不安や焦燥に悩まされ、ますます自分自身を追い込み、どんどん普通の生活から遠ざかっていく、という悪循環が生まれます。
親に自分の好きなことを否定され、それも、親が親自身の信念を発露させて激しく否定するのではなく、世間・常識・普通はそうでしょ、と、狂人を見る目で否定してくるとき、子供は言葉をぐっと飲まざるをえません。
身近な大人にそう言われてしまえば、議論の心理的余地は失われてしまいます。
それゆえに、親に対しては自分の心を誤魔化し続ける必要が生まれ、そして「ちゃんと誤魔化せているだろうか」という不安を抱きながら生きなければならないのです。
そういった状況を経験し続けた著者が「とにかく抱きしめられたい」と思うのも無理はありません。
「自分に自信を持って生きている人」は「常識」が無条件な肯定を与えてくれます。
その対極にいる人は、常に「常識」から否定を受け続け、無条件な肯定を得ることがありません。
著者が思い切ってレズ風俗に行き、お姉さんに抱きしめられ、少しだけ生きる自信を取り戻す。
突飛な展開に見えますが、親からとことんまでに自尊心を奪われた人間にとって、これは自然な展開だと言えるでしょう。
そして著者も気づくのです。
この「自信」というものが、どれほど万能で有用なツールなのかということを。
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