罵声と暴力による抗議には手慣れていても、博愛の精神を示し、人間性を思い出させ回復させようとする方法には急所を突かれたのです。
それも、「男が男に惚れる」という状態にあった相手からのキスなのですから。
いかにも「日本軍人」なヨノイが西洋風の「仁」や「義」を表す騎士道に直面して内側から自分を変えていき、この事件を決定打として人間としての変革を受容し、最後にはある方法でセリアズに対して敬意を示す。
人間の精神的な「生き様」を深く描いた物語になっています。
本作ではセリアズとヨノイがこれまでいかにしてその人格を形成してきたのかというエピソードも挿入されるのですが、寄宿学校で弟を見捨てたという辛い思い出があるからこそ、セリアズはなり振りかまわない博愛の心意気を他者に対して示す人物となり、二・二六事件に参加できなかったからこそ、ヨノイは人一倍頑なに日本軍人的であろうとする。
そんな二人の邂逅という構成が絶妙ですよね。
次はローレンス中佐とハラ軍曹の友情ですが、こちらはお互いが均等に惹かれていく物語といってよいでしょう。
ローレンスはカネモトに対するハラの粗暴な振る舞いに怒りを露わにいたしますが、ハラの感覚からすれば男性同士の淫行など切腹して当然、それどころか、捕虜になっても切腹しないお前らなど信じられないという様子。
ずっと死を覚悟して生きている、あるいは、もう死んだと思って生きているというハラの発言はまさに当時の日本人的精神性の一端を表しているでしょう(もちろん、ハラはやや特殊な存在であり、近年に見られる戦時下における「普通の」日本人を描いた作品やその元になっている史実資料が平均的実態をよく表しているのかもしれません)。
頻繁に繰り返される体罰もローレンスには理解できないものです。
しかし、恩給を与えるために戦死扱いにするとか、ヨノイに無断でセリアズとローレンスを釈放するとか、そういった振る舞いの中にローレンスは「粋」を感じていく。
最後まで理解できない部分がありながらも、ハラという人物を異文化からやってきた人間として理解しようとする。
その一方で、ハラもローレンスの言葉に心を動かされていきます。
ローレンスの西洋的な言動に、いままで心の中にこびりついていた日本的な精神に対する疑問が湧いてくるのです。
セリアズとローレンスを解放するシーンで泥酔しているのも、制御しきれない心の動揺のためでしょう。
だからこそ、終戦後を描いた最後の場面が光ります。
ハラが英語を勉強したというのが面白いですよね。
自分だけが英語を理解できず苛々した態度を見せることも多かったハラですが、そこには単に言葉を理解できない苛立たしさ以上に、内心では惹かれている異文化の話を聞くことができない葛藤もあったのではないでしょうか。
ラストカットの「メリークリスマス」はどのようにも解釈できますが、あの純朴な笑顔とともに映されることからも、ハラを暴力的にしていた何かが削げ落ち、自分は以前と変わったのだということをローレンスや観客に伝えようとしたのではないでしょうか。
心の中の頑固な「日本人」が解け切った表情。
他者や異文化を受け入れられるようになった解放感からくる表情。
文化の相克による心の葛藤を乗り越えたとき、人間の顔に現われる歓喜と安堵の表情。
その表情はこの映画の「結論」にふさわしい最高のカットになっております。
そして、ハラが変容以前の自分を理由にBC級戦犯として処刑されてしまうところ、それが上手く空しさや切なさを演出していますよね。
物語の主軸はこの2つの友情ですが、これ以外にも様々な関係性において対比が効果的に使われております。
わたしは「分かっている」と言いながらヨノイの暴挙に唖然とするしかないローレンスと一歩踏み出していくセリアズとの対比、「西洋」に原理主義的なあまり日本軍人の振る舞いに対して強情であることしかできないヒックスリー俘虜長と、日本を理解しようとするセリアズ・ローレンスの対比。
どれも物語を面白くする巧妙な手管になっております。
ヨノイのセリアズに対する想いをハラが忖度し、ローレンスに対して「粋」な態度を見せようとしたからこそハラは2人を解放したにも関わらず、ハラの行動に込められた心意気を理解できないヒックスリーがずっと反抗的なままなのがやや滑稽だと目に映るのは、わたしもそれなりに日本人だからかもしれません。
4. 結論
キスという行為に至ったセリアズのバックグラウンドを示すのには必要だったとはいえ、回想シーンが長くテンポを乱しているという部分や、無線機事件の唐突さ、英語を喋れる人間の異様な多さなど、ところどころ没入を妨げる要素もありましたが、それでもテーマ性や物語性は相当高いレベルにあり、星4つに値する作品です。
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