1. 日本の中央―地方関係
地方分権が叫ばれて久しい今日ですが、政治学では昔から「集権」「分権」は大きなテーマでした。そして、2012年に刊行された本書は、著者も認めるところの、これまでの通説に正面から斬ってかかった著作となっております。戦後日本は「明治以来の集権体制」なのか「分権の進んだ民主国家」だったのか。その切り分けがまだあなたの頭の中にあるならば、この本は十分な威力を発揮するでしょう。
日本の政治に関心がある人ならば一度は読んで欲しい本です。
2. 目次
本書の目次は以下の通り。
第1部 課題と視角
第1章 福祉国家における集権と分権
第2部 歴史編:集権体制の変容
第2章 戦時期:旧体制のもとでの機能的集権化の進行
第3章 占領改革期:旧体制の終焉と機能的集権体制の成立
第4章 機能的集権体制の中の総務省:「連動システム」の形成とその管理
第3部 福祉国家と分権改革
第5章 中央―地方関係史の包括的再解釈
3. 感想
冒頭に述べた通り、本書の主張はこれまでの政治学の通説に挑みかかろうとするものです。そのため、主張の革新性を理解するには「これまでの政治学の通説」を前提知識として持っておかなければならないのですが、期待通り、その解説から本書は始まります。
本書によると、戦後、日本の中央―地方関係における通説は以下の通りでした。
すなはち、中央政府の命令通りに動く力なき地方政府という「明治の集権体制」が、機関委任事務の存続を根拠に、戦後も温存されてしまっていた、というものです。もちろん、これに対して反論もなされました。村松岐夫による「戦前戦後断絶論」「相互依存モデル」です。
戦後になって知事や地方議員が普通選挙で選ばれるようになり、中央政府が地方で仕事するにはそういった民選政治家の協力が必要不可欠であったり、あるいは、地方政府が中央政府よりも先進的な政策を採ることで中央政府もそれに追随しなければならないという状況が生まれるというものです。
つまり、戦前と戦後では政治体制が異なっており、それが中央―地方関係に変化を与えていると村松は主張します。しかし、本書の著者はここにも疑問を投げかけます。つまり、政治体制だけでなく、行政体制そのものも変容を遂げたのだという主張です。
さぁ、この主張はどう根拠づけられてゆくのでしょうか。
第一章で早速登場する主要な概念に、「一般的事項」、「個別行政」、「機能的集権化」があります。
本書では、中央の地方に対する働きかけは「一般的事項」と「個別行政」に分けられます。「一般的事項」とはつまり、地方自治法や地方財政法、地方税法のことです。知事や議員がどう選ばれるのか(戦前の知事は官選でした)、財源はどの程度の縛りでどの程度国から移譲されるのか。
そして、こういった地方自治一般のことはべつに、個別の分野でも中央政府は地方政府に働きかけます。これを「個別行政」と本書では呼びます。例えば、学校教育法、道路法、河川法、都市計画法などが「個別行政」にあたります。
これまでの政治学では、この二つを峻別せずに、戦前=なんでもかんでも中央集権、戦後=戦前の態勢が温存という理解が中心となっており、この構造そのものに批判は加わってきませんでした。
しかし、本書は別の理解を示します。
戦前=「一般的事項」は集権、「個別行政」は分権
戦後=「一般的事項」は分権、「個別行政」は集権
つまり、戦前から戦後にかけて「一般的事項」における分権化と、「個別行政」における集権化が同時進行したと主張するのです。著者はこれを「機能的中央集権化」と名付け、第2部以降ではこうなっていった経緯と理由が述べられていきます。(とはいえ、第1章でも十分示唆されているのですが、より深い論理が展開されます)
第2部の初まりにあたる第2章では、明治時代に築かれた初期の集権制度とその動揺が描かれます。
明治時代の制度の特徴として筆者が強調するのは、知事が官選であり、ゼネラリストである内務官僚から選ばれていたこと。そして、各知事が持つ権限が非常に強力であったことです。つまり、各県が自ら知事を選べないという点では非常に中央集権的ですが、各県においては知事が独自の采配を強力に振るうことができるという点では地方分権的であったわけです
これが、「戦前=「一般的事項」は集権、「個別行政」は分権」の意味するところです。
しかし、その体制にも動揺が走ります。昭和恐慌に端を発する農村向けの公共事業の実行や、戦局の進展により全国で統一的な社会統制制度を敷くにあたり、農林水産業や社会福祉や警察を担当する各省庁が様々な手段で知事の権限をむしばんでいきます。
しかも、知事の采配で多くの事業を行うには(自由な)財源が必要となりますが、それを自らの地域や内務省の力で調達できなくなっていくことで、知事による地方自治は次第に弱まっていき、各省庁が縦割り的に各地域の行政を担っていくことになっていきます。
とはいえ、ここで変化が止まったわけではありませんし、このまま戦後となったわけではありません。日本の様々な制度に変化をもたらした占領期が第3章では論じられます。
占領期の改革を主導したのはもちろんGHQの民政局です。民政局に課された使命は二つあり、①日本の民主化を達成すること、②人権が守られる社会を達成すること、でした。
さて、①の達成を図るため、民政局は内務省による地方政府支配の打破を行います。知事や地方議員を完全な民選とし、内務省の承認を必要としたいなどの要求を強硬に突き放していき、中央省庁である内務省の地方自治への影響力は劇的に低下します。
これにより、「一般的事項」における中央の関与が減少し、その意味で分権化は進行しました。しかし、「個別行政」においては逆の事態が進行します。社会福祉や公衆衛生、戦後復興を全国津々浦々の普及させ、また、その普及のさせ方も復員軍人優先などの差別的措置が行われないようにするため、経済科学局や衛生福祉局といったGHQの部局は日本の各省庁と組んで地方行政に積極的に介入していました。
民政局のメンバーも、ニューディール以降に集権化が進んだアメリカを好意的に見ている者が多く、現在で言うところのナショナルミニマムを達成するために様々な施策を実行に移していきます。ですから、神戸勧告やシャウプ勧告の中で、単に知事が民選されるだけでなくそういった個別の行政分野における中央政府の影響力を低下させるような進言が行われると、日本の中央省庁はもちろん、GHQの各部局も頑強に抵抗いたしました。
ここに、知事は民選されるものの、各個別の行政分野ではその分野を管轄する中央省庁の出先機関が力を持っていたり、実質上、知事にあれこれと指示できるような体制づくりが進んでいきます。これを著者は「機能的集権化」と名付け、これにより、「地方自治が進んだ」という論と、「戦前体制が温存された」という単純な見方をどちらも一蹴します。
第4章では、機能的集権化の状況で、内務省の後継官庁である自治省、総務省がどのように自らを位置づけていったかが論じられます。
戦後、機能的集権化のなかで、確かに、「一般的事項」である知事や地方議員の選出については、地方分権化(=民主的な選出)されました。それまでその機能を負っていた内務省・自治省がその影響力を劇的に減らしたことは事実です。しかし、一般的事項の中でも、あまり分権化されなかった、というより、完全な分権など到底不可能だった事項があります。それは、財源に関することです。
ナショナルミニマムを達成するのに重要な条件は、中央政府による指導・介入だけではありません。福祉国家における政策を地方の隅々まで行きわたらせようと思えば、地方の税負担も生半可なものではなく、当然、地方における自己調達ではすぐに限界がやってきてしまいます。
そこで、1940年に形成された地方財政制度と、1950年にシャウプ勧告によって創設された地方財政平衡交付金が自治省にとって大きな力になります。地方の財源を保証するために国が支援するこの制度においては、どれだけ支援が必要かを計算する必要があり、それは個別の政策実施予定を積み上げて必要な金額を算出する方式が採られました。
ここにおいて、各個別行政を把握し、補助金額を決定していくという大きな権力を自治省は握ることになります。のちには起債統制なども絡み、財政の点で力を発揮していきます。このように、戦後の「一般的事項」の中でも、財政に関しては中央がある程度の力を持ちました。
このように日本の集権・分権の歴史につき、新しい整理を行ったうえで、第3部では地方分権改革の評価やこれからの分権議論について著者が意見を述べます。これまでの論理から分かる通り、著者の関心は個別行政分野における中央の介入と、財源の移譲の問題にあります。
地方分権改革で地方に財源が委譲されたことを評価する一方で、自己決定権の確立とナショナルミニマムの実現とのあいだで、中央と地方がどのように役割分担するか、そのバランスの妙が鍵を握ると主張します。
中央と地方が完全に役割を分担する(ナショナルミニマム系は中央が地方の出先機関で行う)のか、それとも、ある程度地方が中央の行政実施も請け負う現在のような事務融合を続けるのか、その分野や程度はどれくらいが適切なのか。こういった細かい議論なしに、ただ権限を移譲したり取り上げたりすればよいというものではないと論じます。
そして、そういった事柄が、中央と地方のあいだの意見交換や、専門家の意見を交えて協議されることでより良い地方自治が生まれていくと結論づけます。中央―地方関係につき、非常に説得的で細かい議論を行っている本書。地方分権に少しでも関心があるなら通読しておくべきでしょう。
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