1. 単一民族神話の起源 その1
「日本人は1つの民族を起源としている」「日本人は大和民族の末裔である」。
政治に関心のある人ならば、そんな言説をどこかで耳にしたことがあるかもしれません。
あるいは、「日本人は農耕民族」「日本人気質」「島国根性」「統一性が高い」くらいならば政治に関係のない(と言うと政治に関心の高い人からは怒られるかもしれませんが)日常生活の中でも一度は聞いたことがあるに違いありません。
しかしながら、 厳密な意味であれ比喩的な意味であれ、日本人が単一の属性を持っている、もしくは、単一の民族から構成されているという言説や意識はどこから来ているのでしょうか。
よくよく考えるまでもないことですが、人類の祖先はアフリカのとある地域から世界各地へ広がったのですし、定住が始まって以降も世界との様々な交流の中で人類の混血は進んでいて、何がしかの意味で日本人(その定義自体も微妙ですが)の起源が特別に単一であるということはないでしょう。それでも、私たちの日常生活には広く「単一民族意識」的なものが敷衍しています。
「民族」という言葉はそれこそ定義が曖昧かつ錯綜しているので、アカデミックな場では避けられるか慎重に取り扱われるのかもしれません。しかし、このような、嘘ではあるものの一定の説得力を持っているもの、あるいは、嘘だと分かりつつもそれを信じることでアイデンティティや価値観を形成していくもの、そういった「神話」としての「単一民族意識」、つまり「単一民族神話」が私たちの日常には確実に存在するわけです。
それでは、この「単一民族神話」はどのように形成されてきたのか、その起源を探ろうというのが本書の目的です。
著者は現慶応義塾大学教授の小熊英二さん。最近、講談社から発売された600ページも及ぶ新書「日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学」でも話題ですが、本ブログではまず、小熊さん初期の傑作とされる本書の感想を述べていこうと思います。
2. 目次
第一部 「開国」の思想
第二部 「帝国」の思想
第三部 「島国」の思想
3. 感想
本書の内容自身は系統だった事実の羅列と背景解説になっているのですが、敢えてその内容から教訓めいたことを引き出すとするならば、「民族論」というものは常にそのときそのときで(現時点での日本の状況を説明するのに)都合の良い理論が持て囃されてしまうということでしょう。
開国直後、欧米列強による植民地化に怯えていた日本。
工業化・軍事大国化が進み、植民地を獲得して自意識を肥大化させた日本。
第二次世界大戦に敗北し、明治維新以来の全ての獲得領土を失った日本。
その時々で、自分たちを優等と見ているか劣等と見ているかという意識が異なりますし、また、人口に占める朝鮮や台湾をルーツとする人々の割合も大きく異なるわけです。そういった、その場その場の状況に振り回されながら、「日本民族」とは一体なになのかという不毛ながらアイデンティティと結びついてしまう問いへの答えを取り巻く混乱の様相。それが本書ではいきいきと描かれています。
本書を読むにあたってまず整理しなければならないのは、日本人の起源となる人々の候補たちです。まずは渡来人系で、主には、ツングース系とされる北方からの渡来人、中国や朝鮮からの渡来人、そして東南アジア等の南方からの渡来人です。次は原住民系で、いまでも民族問題で話題となるアイヌ人や琉球の人々といったあたり。古代における出雲の国の人々もここに類される場合があります。そして最後の候補が、「古事記」等に見られる「高天原」からやって来た人々です。「高天原」が何を指すのかは本書でも様々な論者が異説を唱えるのですが、とりあえず「古事記」には「高天原」から日本列島にやってきた人々が存在すると書かれているので(天皇の祖先も「高天原」から降り立った)、日本民族の起源の一つに数えられる場合もあるというわけです
それでは本題に入りますと、本書が最初に述べるのは、明治維新以来の日本民族論は単一民族論ではなく、混合民族論が主流だったということです。混合民族論とは、北方あるいは南方から様々な民族が日本列島に流入してきたほか、アイヌのような原住民も存在し、その中で血統を混合させながら日本人というものが作り上げられてきたという説です。
混合民族論は、外国人居留地を撤廃し、外国人による土地取得を自由化すべきか否かという議論の中で立ち現れてきます。外国資本が跋扈し日本人の生活はより苦しくなるのではないかという主張、あるいは外国人を排斥して「日本人が住む日本」を守るべきだという純血主義的な主張に対し、古来より様々な人種を混合してきた日本なのだから欧米人を混合しても大丈夫だ、と唱えるわけです。もちろん、古来より混合してきたけれど、より優等な欧米人に飲まれてしまうのは避けよう、もっと力をつけてからだ、という主張をする論者もありました。しかしながら、日本人は雑種であるという民族論がこの時期に台頭し始めるのです。
その一方で、純血説と親和性の高い国体論をうちだす論者も存在していたのですが、これは分が悪くなっていきました。日本人は全員が天皇の子孫であり、天皇を中心とした一大家族が日本なのだという国家観ですが、渡来人を受け入れてきたという事実を否定したり、この頃に起こった台湾の獲得によって国民の一定数以上が台湾をルーツにする人々になった状況に対して「それは悪い状況だ」と主張するのは環境的に難しく、まさに「現在の状態や政府の政策」にとって都合が悪い純血説は追い詰められていくのです。
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