「天満天神繁盛亭」という落語の定席に、人生で初めて落語鑑賞に行きました。
大阪にある唯一の落語定席(定例公演を行う施設)らしく、2006年に本施設が開園するまで60年以上ものあいだ大阪には落語の定席がなかったそうです。
毎日、朝・昼・夜に分かれて落語の公演があり、私が鑑賞したのはある日の昼席でした。
「平林」「尻餅」「河豚鍋」という三つの古典落語に加え、歌謡ショーと紙芝居、最後に現代を舞台にした新作落語が披露されました。
私にあまり落語の素養がないからか、十分に楽しめたかと問われれば微妙なところです。
(前説的な役割の方が「笑ってあげてください」のようなお願いを最初にするのは逆にしらけるからやめた方がよいのではないかと思いましたが、それだけ「落語」というものがもう誰にも笑えない演目になってしまっているのかもしれません)
そんな「笑い」のない落語鑑賞でしたが、「天満天神繁盛亭」を去る私の胸には大きな感傷が残っておりました。
落語鑑賞を行ったのは日曜日だったので、翌日は「仕事」に行かなければなりません、
それなりにプレッシャーのある、それでいて自分が心から熱望しているわけでもない、それどころか、どちらかといえばやりたくない業務をサラリーマンとして行うわけです。
それに対して、落語家の方々の「仕事」とはどのようなものでしょうか。
話芸を鍛錬し、それを観客の前で発表することが彼らの本業なのです。
もちろん、落語家には落語家の苦労が多くあるのでしょう。
しかし、そうやって自分自身を高めること、それを通じて他者を楽しませることが「仕事」なんて、とても素敵だなと思ってしまいました。
私は文章を読んだり書いたりすることが好きで、小説を書いて新人賞に投稿していたこともあります。
(二回ほど最終選考に残りましたがデビューには至らす、しがないサラリーマン稼業をやっております)
毎日毎日、仕事をしながら「早く帰りたいな、早く帰って、素晴らしい物語を鑑賞したいな」という考えばかりを頭に巡らせていて、仕事に精進しようなんて気持ちは全く湧き上がってきません。
それなのに、一週間のほどんどの時間を、精進しようともしていない仕事に費やしている。
その一方で、「天満天神繫盛亭」では、落語家たちが「仕事」として一日の大半の時間を「落語」という芸の向上と実践に費やしている。
なんて素晴らしい、楽しそうな人生なのだと、隣の芝の青さをひしひしと感じてしまいます。
私もいつかどこかで、物語を鑑賞して愉しむ時間や、物語を創り出して誰かを愉しませるような時間が一日の大半を占めるような、そんな人生に移行したい、そうでなければ人生が勿体なく終わってしまうのではないか、そんな気持ちが掻き立てられました。
いつかどこかで、サラリーマンを辞める勇気が生まれて欲しい、自分に対してそんなふうに祈る、そんな奇妙な気分になった落語鑑賞でした。
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