感想
家出した少年が不思議な力を持った美少女と出会い、ひと夏の冒険をする、というのはジュブナイルの世界では王道といえるでしょう。
小説や漫画、ゲームを通じてそうした類の物語に馴染んてきた人々にとっては受け入れられやすい設定だと感じました。
冷たい都会、自分を匿ってくれるはみ出し者の男と美人のお姉さん、美少女との恋愛、世界を取り巻く秘密、という諸要素もアニメ的世界の古典を揃えてきたなという印象を序盤は受けました。
情景描写や音楽の被せ方は相変わらずの素晴らしさを誇っていて、よほど脚本が不味くなければ、つまり、王道古典設定をそのままに王道古典物語をしっかりやりきれば「君の名は。」に及ばないまでも名作にはなるだろう。
そう祈りながら観ていたのですが、案の定、脚本の粗さが所々に顔を出しており、残念な気持ちになりました。
矛盾とは言わないまでも、無理のある展開が多かったのです。
例えば、物語の中で特異な印象を放つ「拳銃」という道具の使い道です。
作中、帆高は偶然に拳銃を入手します。
現代の東京で平凡な少年が拳銃を入手することはまずないでしょうから、本来ならば、これは本作が何か特別なことを仕掛けるための演出であり、拳銃という道具は視聴者を楽しませるためのギミックに使われて然るべきです。
それなのに、拳銃の独自性が活かされた使い方が物語中であるわけでもなく、拳銃についての事件が伏線になるわけでもなく物語は終わってしまいます。
また、ヒロインである陽菜との出会いも偶然に頼りすぎで説得力がありません。
ハンバーガー屋で出会う一度目の偶然は物語の端緒として許されますが、二度目もまた偶然が二人を出会わせるわけで、それを許容していては何でもありになってしまいます。
結局、偶然で出会えるのならば、二人が近づいたり離れ離れになってしまうことにもドキドキを感じられなくなってしまいます。
加えて、本作全体を通じて主張される「都会の冷酷さ」も雑な設定と脚本によりその厳しさが薄まってしまっています。
帆高に関する描写では、東京では何をするにも身分証明を求められ、子供であることの無力さを強調する場面が多くなっているにも関わらず、陽菜については未成年であるにも関わらず書類偽造程度でアルバイトの面接に一度は受かってしまうなど、かなり甘い描写が為されていて一貫性がありません。
身分証明書を持たない未成年が書類の偽造でアルバイトができるという世界観が正なのであれば、序盤において帆高がアルバイト探しに苦労することなどないでしょう。
物語の都合上、帆高にはアルバイトをして欲しくなく、陽菜にはアルバイトをして欲しいという製作側の我儘がそのまま出ているだけです。
また、陽菜が弟の凪(なぎ)と一緒に子供だけで部屋を借りて生活しているのも不自然で、大家も行政も全く現実のように機能しておらず、ここでも「東京」が陽菜にだけ甘いという不自然な描写が見られます。
さらに、終盤あたりでは帆高に対しても随分に甘い展開が続きます。
警察から逃亡するシーンでは夏美が偶然バイクで近くを通りかかるのがご都合主義すぎますし、凪が帆高の向かう場所を知っていて、帆高を助けに来るのも「どうやって知ったの?追いついたの?」という疑問が残ります。
なにより、全体的に警察が弱すぎてどうしようもありません。
序盤から終盤まで一般人の体当たりで簡単にやられすぎです。
これは余談かもしれませんが、帆高たちはいつも対面式受付のラブホテルに入ろうとして身分証明を求められますが、ちゃんとラブホテルを虱潰しに当たっていけば機械で受け付ける方式の場所に辿り着くでしょう。
そうすれば、身分証明書問題はクリアできたはずですし、必死になってホテルを探しているような演出がされているのに、対面式の場所ばかりに到達するのは不自然です。
そして、この手の物語では殊更にリアリティが大切なため、こういった不自然さは本作の評価を致命的に損なっていると感じました、
この物語では、「100%の晴れ女」というあからさまなフィクション設定を使っております。
現実世界にちょっとしたファンタジー要素が紛れることによる連鎖反応が本作の特に中盤における盛り上がりの核になっています。
だからこそ、「100%の晴れ女」以外の部分が精緻にリアルでなければならないのです。
「100%の晴れ女」以外の部分がリアルだからこそ、「もし、現実にこんな能力を持った女の子がいたら」という前提で進む展開に説得力が生まれ、感動や興奮を素直に受け入れることができます。
コメント
こんにちは。映画ブログを運営しているものです。
天気の子の感想が独自の視点でまとめられていて、とても読みやすかったです!
メッセージ性が強そうな作品ですね。この映画は評判も良いので、前から見ようと思っていました。
やはり新海誠作品ということで、映像と音楽を楽しみにして鑑賞しようと思います!
応援完了です!