逆に、読者の心を同程度に揺さぶることができるのであれば、小説の世界においては、殺人事件も夜間歩行も同じ価値を持ちます。
本作において読者を物語に惹き込むために用意されている設定は「気になる異母兄弟のクラスメイト」です。
気になる存在なのだけれど、教室では一度も話しかけたことがなくて、けれども、一度くらいは話しかけてみたくて。
学校生活というものを過ごしたことがある読者ならば、この設定を聞くだけで心情を揺さぶられることでしょう。
本作において「あの人になんとか話しかける」以上に派手な事件が起こることはありません。
しかし、私たちの心情にもどかしい波紋をもたらすような、そんな設定や展開、心理描写の連続に翻弄されているうちに夢中となって、あっという間に最後まで読み終わってしまう小説なのです。
気になるあの人に話しかけたいだけの長編小説。
空想の物語を書くのですから、殺人でもイジメでも要素として使うことができます。
それなのに、恩田陸さんが用意する仕掛けはただこれだけの設定であり、これだけの設定なのに、どうしようもなく心が揺さぶられます。
夜間歩行の中で囁かれる、友情や恋愛の噂話。
特異な雰囲気の中だからこそ生じる、本音の吐露。
星空の下で、お互いを熱烈に愛し合い、ささやかに憎しみ合う高校生たち。
学校や教室という、あの狭い空間の中に凝縮された濃密な人間関係の美しさと膿とが間断なく描かれます。
そして、高校生活の総括を行うように、決意を胸に抱きながら、ある者は葛藤し、ある者は行動する。
高校生活でたった一度だけの、人生でたった一度だけの、特別な夜。
様々な作品において、それまで伏線的に人間関係構築を行っておき、文化祭や修学旅行でそれらを一気に展開させて感動の夜を演出させるような構成が見られますが、本作はその「文化祭」や「修学旅行」の部分だけを切り取ったような作品です。
そんな無茶なことができるのか、と思うかもしれませんが、そこだけを切り取っているのに、物語として説得的で納得感のある小説となっており、最高潮の緊張感とそれが解き放たれる爽快感だけが終始一貫して作品全体を包んでいます。
あまりに地味すぎる設定という意味で特殊な作品ながら、その内実は圧倒的に王道で、とんでもなく感動的な青春小説。
「みんなで夜歩く。ただそれだけのことが、どうしてこんなに特別なんだろう」
肩を並べて歩く貴子と融。
二人が交わし合う表情のきらめきが、いつまでも心に残る名作小説です。
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