本ブログで紹介したエンタメ小説の中からベスト7を選んで掲載しています。
「エンタメ小説」の定義は難しいところでありますが、本記事では、肩の力を抜いて楽しめる作品でありながら、同時に深い感動も味わえる作品を選ぶという方針でランキングをつくりました。
第7位 「オリエント急行の殺人」アガサ・クリスティ
【華麗な推理と意外な犯人が魅力の名作古典ミステリ小説】
・あらすじ
舞台は真冬の欧州を走る国際寝台列車オリエント急行の車内。
ロンドンへ移動するため、名探偵エルキュール・ポワロはイスタンブール発カレー行の列車に乗車していた。
しかし、猛吹雪に飲まれた列車はヴィコンツィ(クロアチア)とブロド(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)のあいだで立ち往生してしまう。
不安と焦燥に包み込まれる車内、そして事件は起こる。
サミュエル・ラチェットというアメリカ人実業家が刺殺された姿で発見されたのだ。
ポアロは乗り合わせた乗客たちを一人一人呼び出し、尋問にかける。
相矛盾するような証言はしかし、どれもが真実めいて見える。
十二か所もの刺し傷を負った死体の謎。
果たして、犯人は誰なのだろうか。
・短評
序盤で殺人事件が起きたあとは、ポワロがひたすら乗客を尋問していくだけで、大きな事件は何も起きません。
読者自身がポワロと一体化し、証言を聞きながら頭の中であれでもないこれでもないと推理を組み立てては崩し、組み立てては崩す。
そんな「推理」の面白さを楽しむことに主眼を置いた、まさに本格ミステリの王道を往くような作品です。
私自身はあまりミステリ慣れしていない人間ですし、推理力もお粗末なため、途中からは混乱してばかりでしたが、本作一番の特徴であるその犯人とトリックの正体が明かされたときには思わず感嘆の溜息を漏らしてしまいました。
確かに、邪道であり禁じ手のような犯人なのですが、本作の緻密な展開がその意外な犯人とトリックの在り方に強烈な説得力を与えています。
私が一番驚いたのは、単に個々の人物の言動や特徴だけでなく、「真冬の国際寝台列車に世界各国の富豪や外交官、ビジネスマンに医師が乗り合わせている」という、作品をお洒落に見せるためだけの舞台設定にも感じられるマクロな状況そのものを推理に活かして正解に辿り着くというポアロの思考です。
もしかするとネタバレになってしまうかもしれませんが、そもそも観光シーズンではない真冬のオリエント急行はそう混雑するものでもなく、予約なしの乗車を試みても普段ならば空いているコンパートメントがあるはず。
しかし、ポアロが乗ろうとしたときには既に空きがなく、現れなかった乗客が予約していたコンパートメントを車掌の厚意でポアロが譲ってもらう、という場面からこの小説は始まります。
物語冒頭でさらりと描かれる、「季節外れなのに意外にも混雑しているオリエント急行」という舞台の「特殊」な状況が推理の決定打になるのは構成としてとても美しく感じました。
加えて、見事な推理が為されて犯人が判明したあとの、被害者と犯人を巡る過去の悲しい事件のあらましが明らかになっていく場面と、最後の最後にポアロが下す決断が呼び起こす温かくも哀しい結末にもドラマがあり、単なる「謎解き」を楽しむ作品以上の感動があります。
そして、このような静謐な緊迫感と悲哀を作品にもたらすような、描写の力が優れている側面も本作の美点です。
上述の通り、「真冬の国際寝台列車に世界各国の富豪や外交官、ビジネスマンに医師が乗り合わせている」という状況そのものがお洒落ですし、そんな列車が豪雪の中で立ち往生してしまい、クローズド・サークル化したところで殺人事件が起こる、という舞台設定にも妖しく静謐な魅力があります。
上質で気品あるミステリの古典という形容がうってつけの作品なのではないでしょうか。
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