ジョーンが抱える問題は、単に自分以外の人間の考え方が理解できない、というレベルを超えています。
ジョーンは他者を理解する「必要」さえ感じていないのです。
なぜなら、ジョーンは自分と同じように考えない人間がこの世にいるとは露とも思っていないからです。
いわゆる「常識」を捨て去り、情熱的な衝動や「本当の自分」に身を委ねて生きてしまおう。
時にそう思ってしまうことが、むしろ人間の普遍的な心理の在り方だと言えるでしょう。
しかし、ジョーンはそんな心理を持つ他者が存在するとも思っておりません。
たとえ「常識」に反し世間の批判を受けようとも、何らかの「漢気」を貫こうとする。
そんな信念を持った人間の生き方に触れても、「気持ち悪い」と思うだけなのです。
ジョーンのこういった思考が如実に現れるのが、レスリー・シャーストンを巡るエピソードです。
レスリーは銀行家チャールズ・エドワード・シャーストンの妻なのですが、ある日、チャールズが横領を行っていたことが分かり、裁判(チャールズ側の弁護士はロドニー)の末、チャールズは服役することになります。
その後、レスリーは二人の幼子を女手一人で育てることになるのですが、親戚からの子供を預かるという申し出も断り、園芸農家として立派に身を立てます。
子供たちにも父親が横領の罪で捕まっていることを正直に話しており、女だてらの漢気と信念、そして行動力と根性の塊である人間性はジョーンとまるで正反対の人物なのです。
服役から戻ってきた夫は酒浸りで頼りにならないのですが、それでもレスリーはめげません。
ジョーンは彼女の人生を「悲惨で気の毒な一生」と考え、前科者の子供という負い目を子供たちに持たせた点でも愚かな人物であると考えていますが、夫であるロドニーはレスリーを高く評価しており、ジョーンはこの点で夫に対して不満を抱いているのです。
作中ではロドニーとレスリーの淡い恋愛関係のような紐帯も示唆されており(とはいえ、手も繋がないどころか親しげに話すわけでもなく、それなのに、二人のあいだには何か特別に通じ合うものがあるように見えるという描写)、ジョーンの憤慨は留まるところを知りません。
さて、ここまで読んで頂いた方々はもうお気づきとは思いますが、本作において、ジョーンはまるで人間としての汗臭さや泥臭さのない、一見、良識があるように見えながら全く血の通っていない人物として描写され、それ以外の人間は、多少の不道徳な側面があるにしろ、あるいは、それがあるからこそ、苦労しながらも自身や周囲の幸せを真剣に考えて生き抜こうとする生々しい「人間」であるという描写がされております。
なぜジョーンはこのような、良識があるように見えながら全く血の通っていない人物になってしまったのでしょうか。
娘からショーンに向けられた言葉にそのヒントがあります。
「お母さまは、あたしたちのために何をしてくださるの? あたしたちにお湯をつかわせてくれるのはお母さまじゃないでしょう?」
高収入の夫を持つジョーンは、自らお金を稼ぐこともしなければ、家事や育児さえもメイドを雇ってやらせています。
金も稼がなければ家事もしない。
そんな気楽で苦労知らずな環境がジョーンの中に泥臭さや人間臭さが全く反映されていないふわふわの「常識」を構築させ、その「常識」の視点からから所謂「クソバイス」だけを送る存在としてしまっているのです。
とはいえ、本作はジョーンの独りよがりな言動を延々と見せ続けるだけの小説ではありません。
本稿ではショーンが他人の感情の動きに「全く気付いていない」という点を強調いたしましたが、これはやや不正確な物言いです。
砂漠の中の駅に取り残されたジョーンは、その回想を通じて、徐々に、ゆっくりと、うっすらと、「あれ?」と思うようになっていくのです。
この「ジョーンがついに気づくのでは?」「気づいてしまって、いままでの自分に絶望するのでは」という予感の盛り上がりが本作の物語を牽引する魅力となっております。
自分は「常識的な発言」をすることしか能がない薄っぺらな人間であること、その薄っぺらさと、それによって周囲に与えてきた悪影響。
その深淵に気付きかけて、いやいや、そんなはずはないと突き放し、でもやっぱり、という疑念をぬぐえない。
そんなジョーンの心理的な揺れ動きが仔細に描写され、頼むから家族のためにも気づいてやってくれよ、という希望と、これに気づいたら絶望でジョーンの精神がおかしくなってしまうのではないか、という恐怖が同時に盛り上がる、そんな心理的サスペンスの極致を本作では味わうことができます。
最終盤、イギリスへの帰還を果たしたジョーンは家族ひいては自分自身にどう向き合うのか、その結末については読んでのお楽しみということにしますが、最後の最後まで人間描写の巧妙さには脱帽させられます。
というわけで、本作には間違いなく良い評価を与えたいのですが、名作・名著を意味する5点や4点を与えるには以下の2点がやや物足りないかなとも感じました。
1点目は、テーマの凡庸さです。
アガサ・クリスティの優れた描写や物語構成の巧みさに騙されてしまいがちなのですが、本作は究極的には「偏狭な常識を押し付けてくる迷惑な人間」の挙動をひたすら描いているだけであり、彼女が自分の決定的な過ちに気づいて改心するか否か、というだけの物語になっております。
そう思うと、ちょっとテーマに捻りが足りないかな、と思います。
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