2000年に筑摩書房から発売された新書で、著者は早稲田大学教授の石原千秋氏。
「この本は、大学受験国語の参考書の形をとった教養書である」
本書冒頭の言葉であり、本書の性質をよく表現した文章となっている。
テーマごとに2つずつの論説文の過去問が紹介され、著者が解説しながら解いていくという形式で本書は進行していくという構成。
精選された論説文と、その解説の中で表現される「近現代社会というものを国文学者たちはどのように考えているのか」という思考枠組みが本書の核心となっている点が面白いところ。
つまり、近現代社会を分析する視点がなければ大学受験国語を解くことはできないため、大学受験国語の参考書は必然的に近現代社会分析の解説になる、というわけである。
本記事では本書の教養書としての側面を重視し、紹介されている論説文の中から印象に残ったものを取り上げて感想を述べていく。
目次
序章 たった一つの方法
第一章 世界を覆うシステムー近代
第二章 あれかこれかー二元論
第三章 視線の戯れー自己
第四章 鑑だけが知っているー身体
第五章 彼らには自分の顔が見えないー大衆
第六章 その価値は誰が決めるのかー情報
第七章 引き裂かれた言葉ー日本社会
第八章 吉里吉里人になろうー国民国家
感想
・過去問② 自然と共同体からの開放
個人が個人として独立し、共同体から切り離された「個」となったことが近代社会の特徴であると述べる文章。
その過程において、生産活動が共同体としての営みから個人が行う「労働」だと見なされることになったという主張は興味深い。
本論によると、かつて生産活動は祈りのようなものであり、哲学的、道徳的、宗教的な活動の一端だと考えられていたという。
21世紀に入って以降、労働はますますドライな営為として扱われるようになり、ウェットな要素が含まれる「プライベート」とは一線を画されるべきだという考え方が主流になりつつある。
個人的には、こうした考えが徹底されるほど却って労働忌避の風潮が強くなっていくと思う。
人間はウェットな時間を生きたいと思う傾向があり、ドライな時間をなるべく人生から排除したいものだからだ。
ベンチャー企業等の「意識高い系」界隈において、やりがいやチームとしての一体感という価値観が重視されているのはその証左だといえよう。
宗教的な活動の中に身を投じ、祈祷行為の中で陶酔感を味わいたいのが人間の性である。
(祈祷行為は静かに祈る行為を含むが、祭典、舞踊、生産活動や日常の習慣もその範疇に含まれる)
世の中の風潮とは裏腹に、ドライな「労働」に傾倒していく企業は滅び、そうではない職場環境を提供できる企業がこれから生き残るであろう。
・過去問③ 脱構築論
現代社会における本質的なものと現象的なものの逆転について論じられている。
商品という本質があり、それに対する装飾として広告があったはずなのに、広告が商品の価値を形成し、消費を生み出しているという逆転現象の不思議が本論では指摘される。
生産と消費の関係すら逆転しており、生産があるから消費があるのではなく、消費に合わせて生産するという「消費社会」が生まれていることを解く。
しかし、こらはいかにも20世紀末的な論評であり、消費社会の変容こそが今日の世界で注目するべき点であると私は思う。
もちろん、過剰な広告によって消費を生み出そうとする活動は今日でも盛んであり、各国政府も景気浮揚のためとにかく消費をつくりだそうと藻掻いている。
ただ、ここ20年ほどで世界を大きく変えた製品やサービス、例えば、iPhone、Facebook/Instagram、YouTube、Googleの検索エンジンというものは決して消費社会への媚態(=マーケティング)によって生まれたわけではない。
エンジニアたちの発明・生産への情熱によるプロダクトアウトから生まれたのだ。
YouTuberを目指す子供はますます多くなり、MineCraftで創作活動に励む子供も少なくない。
消費の在り方ではなく創作や生産の在り方によって自己を表現する社会への回帰には「消費社会」からの脱却を強く感じるところである。
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