アメリカ生まれながらヨーロッパでも長い時間を過ごし、米欧双方の視点や文化が入り混じった小説を書いたことで有名なヘンリー・ジェイムスの作品。
日本では「デイジー・ミラー」と並んで容易に入手できるのがこの「ねじの回転」です。
文学作品と言うだけあって、技巧を凝らした心理描写は優れていました。
ただ、技巧ばかりで、なにか普遍的な人間真理を衝くような、そんな迫真性にかなり欠けていた作品でもありました。
あらすじ
イギリスのとあるお屋敷に家庭教師として雇われた「私」。
面倒を見るように頼まれたのは幼い兄妹。
両親を失った兄妹は叔父のもとに身を寄せているのだが、お屋敷の主人でもある叔父は二人の教育に全く関心がない。
使用人たちには学がないため、「私」が勉強を教えることになったのだ。
そんな「私」は当初、この職に就けたことを喜んでいた。
品行方正で見目麗しい兄妹と触れ合う時間は楽しく、立派なお屋敷での生活は身に余るほど。
しかし、しばらくすると、「私」の生活に文字通り影が差す出来事が起こる。
なんと、このお屋敷には幽霊が出るのだ。
その幽霊はただその辺りに浮かんでいるだけではなく、子供たちに影響を与え、悪の道に引きずり込もうとしているようだった。
子供たちを幽霊から守ろうと決意する「私」。
ところが「私」以外には幽霊が見えていないようで......。
感想
読者にとって信頼に値する人物がいない、登場人物の誰も彼も信頼できないサスペンス作品、というのがこの小説の特徴です。
主人公は若い女性家庭教師で、彼女の一人称で物語は語られます。
彼女はいちいち物言いが大仰なのですが、それも、最初は田舎からのお上りさんが豪奢な屋敷に来たからだ、と読者に思わせるようになっているのが本書の巧みなところ。
麗しい容姿と輝かしい頭脳を持つ幼い兄妹はまるで天使のように見え、お屋敷に迎え入れられた自分は一段高い人間になった気がする。
それを可愛らしい田舎娘の反応のように見せておくことで、いざ幽霊が発見されてそれに対する反応が大げさであっても、不自然でなく感じられます。
そのため、読者も最初はこの怪奇現象が起こるお屋敷に恐怖を感じ、兄妹を守ろうとする主人公に共感を覚えるのですが、次第にその共感を疑念に変わらせていく筆致が本書の見どころです。
主人公以外に幽霊が見えている素振りをする登場人物はおらず、彼女が幽霊のせいにしている諸々の事象も、全て彼女の妄想なのではないかという疑いが徐々に大きくなっていきます。
しかしながら、兄であるマイルズが夜に外出したりと、子供たちの様子がおかしいのは確かであり、主人公の目線からすればまさに幽霊の仕業。
幽霊に憑りつかれてしまった兄妹がこそこそと何かよからぬことを企んでいる。
主人公の心理は段々とそんな推測/妄想に支配されていきます。
一方、兄のマイルズが何らかの理由で放校処分になっているという情報が冒頭で明かされていることから、この兄妹も読者としては信頼できない人物となります。
幽霊に言い含められ、幽霊が見えないふりをしている、という可能性もあるわけです。
幽霊が実在するか否か、放校処分の理由は何なのか、お屋敷の主人は何を考えているのか。
多くの事実が明らかにされないまま終わる点には不満が残りますが、幻惑的な雰囲気のこの小説には合っている終わり方だとも思います。
また、この話そのものが、貴族たちが夜に暖炉を囲んで行う談話会で語られた怪談である、という設定になっていることもこの小説の妙味を増しています。
この話を持ち出したダグラスという男はこの話にどのような関係があるのか、この話のどこまでが「真実」であり、どこまでが怪談としての作り話なのか。
二重、三重の構造がよりミステリー的考察に深みを与えています。
このように、幻惑心理ホラーエンターテイメントという意味では悪くないのかもしれません。
ただ、そういったダークな面白さがある一方で、人間真理に迫る文学的な装いは少なく、心揺さぶる感動的な場面がないのは重大な欠点。
全体的に曖昧な書きぶりに少しばかりの中だるみを感じたのも正直なところです。
そのため、評価は2点(平均的な作品)といたします。
不思議な話を読みたいという人、煮え切らない覚悟ができている人は手に取ってみるのも良いのではないでしょうか。
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