教養書 「戦争の世界史」その2 ウィリアム・H・マクニール 星3つ

戦争の世界史
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1. 戦争の世界史 その2

たった一人で通史を描き出した「世界史」という本で有名なマクニール教授が、今度は「戦争」という観点から世界史を描き出した本作。「その1」から続いてレビューしていきます。

教養書 「戦争の世界史」その1 ウィリアム・H・マクニール 星3つ
1. 戦争の世界史 その1古来から人類社会と切っても切り離せない関係にあった「戦争」という営み。本書のサブタイトルである「技術と軍隊と社会」という言葉の通り、「戦争」は人類の生活に絶え間なく影響を与え続け、いまなお私たちの生活と切っても切り離せない関係にあると言えるでしょう。レトルト食品からインターネットまで軍事技術から生まれた製品は数知れず、また、「軍隊式」と呼ばれるような集団の行動様式や規律保持方法は会社や学校と行った私たちの暮らしの中心となる場所に多かれ少なかれ浸透しています。軍隊の階級こそ戦後日本の企業体や雇用方式の源流になったという考え方は「日本社会のしくみ」でも紹介されていましたね。経済という意味でも、防衛関連産業は世界各国において主力産業となっていますし、より時間を戻せば、社会経済の全てが戦争に動員されていた時期だってあるわけです。だいいち、現存する国家(諸集団・諸社会)というものは必ず、これまでの「戦争」を生き残り滅亡を免れてきたわけですから、その歴史や特徴を考えるとき「戦争」という切り口が有効なのは火を見るより明らかでしょう。...

2. 目次

・上巻
第1章 古代および中世初期の戦争と社会
第2章 中国優位の時代 1000~1500年
第3章 ヨーロッパにおける戦争というビジネス 1000~1600年
第4章 ヨーロッパの戦争のアートの進歩 1600~1750年
第5章 ヨーロッパにおける官僚化した暴力は試練のときを迎える 1700~1789年
第6章 フランス政治革命とイギリス産業革命が軍事におよぼした影響 1789~1840年


・下巻
第7章 戦争の産業化の始まり 1840~1884年
第8章 軍事・産業間の相互作用の強化 1884~1914年
第9章 二十世紀の二つの世界大戦
第10章 一九四五年以降の軍備競争と指令経済の時代

3. 概要

第四章では、1600~1750年のあいだに進行したヨーロッパ軍隊の劇的な質的変容が語られます。

イタリア諸都市が市民皆兵から傭兵にその軍備の中心を移行して以降、ヨーロッパでは傭兵が戦力の中心になっていきます。やがて、それぞれの領邦や都市は特定のキャプテン(傭兵団長のような存在)と信頼関係を深めていき、徴税基盤が整っている領邦や都市は常にそのキャプテンの傭兵団を手元に置いておくようになります。これがヨーロッパにおける常備軍の誕生です。安定した暴力装置を常に動員できる状態は各国の治安改善を導き、それが徴税基盤をますます整えさせ、常備軍はさらにその規模を増していきました。

そして、それまでの騎士たちや市民皆兵軍とは違い、常備軍の兵士たちは毎日の「軍務」が仕事なわけですから、戦争のないときでも戦闘訓練を行います。繰り返し同じ動きを練習する「教練〈ドリル〉」が日常ルーティンとして軍隊内に立ち現れるのです。規模が大きく、練度の高いヨーロッパの軍隊はヨーロッパ外で連戦連勝を収めます。

また、この頃の定番軍事戦術は「小型の野砲による砲撃→小火器の一斉射撃→パイク(長槍)兵と騎兵による突進」だったのですが、気を付け、前へ進め、担え筒、捧げ筒、というルーティン教練を施せば施すほど戦場で兵士たちの行動に規律が生まれ、戦術の威力が増していくことがヨーロッパ中の将軍に経験則として知られていきます。教練は次第に熱を帯び、一人の司令官が三万人までならば兵士たちを戦場で自由に進退させられるまでに軍隊の質は上がっていったのです。敵を目の前にしても整然と行動する集団がつくりあげられていき、まさに戦争の近代的「アート〈技芸〉」が発達していく時期でした。

そんな「教練」勃興時代の中でも、特に顕著な功績を挙げたのがオランダの将軍であるナッサウ伯マウリッツです。

マウリッツは怠惰を極端に嫌う性格で、戦場で土を掘る際にも、それまでは近隣から労働者を募って土を掘らせていたところ、労働者にではなく兵士に土を掘らせるようにしました(防御側の堀や城壁に対して、土を掘って身を守りながら接近するのが定番戦術でした)。一見すると兵士が疲れてしまいそうですが、むしろ攻囲戦のあいだは怠惰に過ごすことが一般的だった時代において兵士たちに緊張感を持たせ、きびきびと動かすのに成功したそうです。

マウリッツの謹厳実直さはもちろん、教練にも現れます。マウリッツは火縄銃発射のための動作を42分割し、号令とともに全員が一斉に動くように繰り返し教練しました。42分割は同時の基準でも相当に細かく、この教練によって兵士たちが火縄銃を装填・射撃する速度は格段に早くなり、一斉射撃のバラツキも減って火縄銃隊の威力が劇的に上昇していきます。この成果により、マウリッツは軍隊内のパイク兵の割合を減らして火縄銃兵の割合を上げる決断をします。 

そして、マウリッツ式教練を最も象徴するのが「背進」の教練です。兵士たちを縦隊として整列させ、最前線で横一列に並んだ兵士たちが一斉射撃を行った後、その兵士たちが他の兵士たちのあいだ走って最後列へ後退し、二列目だった兵士たちが最前列となって再び一斉射撃を行うという教練で、一列目が発射しているあいだに二列目が装填、というサイクルが上手く回ると間断ない連続一斉射撃を行うことができ、その威力は戦場において目覚ましいものがありました。

その他にも、マウリッツは軍隊の戦術単位を従来より細かく分割し、550人の大隊、その下に中隊、小隊という単位を作って管理するなど、いわゆる「軍隊」をつくりあげていったのです。

このマウリッツ式の軍隊構築・教練はヨーロッパ中に広がっていき、軍隊が強烈に「軍隊化」していきました。伴い、戦場における個々の兵士の勇敢さや狡猾さの重要度が急速に低下し、軍隊としての練度が重要になっていきました。

そして、そういったルーチティン的教練によって味方がバタバタと倒れても規律通り動き、命令が部隊から部隊へと迅速に伝わるようになっていきます。その一方、そうやって軍隊が心理的な機械化を施される一方、ルーティンは兵士たちの感情に想定外の効果を生み出し始めます。出身地から引き剥がされて軍属となり、異なるバックグラウンドを持つがゆえに仲間意識が希薄だった兵士たちのあいだに社会的紐帯が生まれ、一体感を覚え始めたのです。このマス的な感情的一体性を軍隊が帯び始めたのもこの時代の特徴です。 

さらに、軍隊の「軍隊化」は装備品にも及びます。武器や制服等の支給品が標準化されて補給が効きやすくなり、その副次的効果として手工業者でも大量生産しやすくなったことで生産コストが下がっていきました(ただし、標準化によって規格変更の際には装備品の一斉交換が必要となったため、新規武器の開発に手を出しづらくなり、武器の発達を遅らせた側面もあります)。

もちろん、標準化されたのは武器だけではありません。「教練」によって同質的な兵士を多数生み出せるようになり、加えて、戦術的にも同質的な兵士しか必要でなくなったことから、兵士さえも「標準化」され、交換可能な存在となったのです。税金から給料を払い、不足する兵士を補充していく。まさに、官僚的な軍隊運営が本格化していきました。

第五章では、18世紀におけるヨーロッパ諸国の成長と領土拡大、その中における軍事組織の進化が語られます。

18世紀の特に前半において、ヨーロッパ諸国は急速な領土拡大に成功していきます。第四章で述べたような質的変容を経た強力な軍隊は数で劣っていてもヨーロッパ外では連戦連勝を果たし、次々に植民地を獲得するのです。植民地の増大は交易を促進し、交易の拡大からヨーロッパ諸国は富を得て、それを常備軍の強化に使うことでその軍事的優位はますます強固になっていきました。

また、植民地となった新大陸からはトウモロコシやジャガイモのような生育条件の緩い炭水化物食物がもたらされ、小麦も豊作が続きました。交易の拡大による富の増加と食糧事情の大幅な改善が汎ヨーロッパ的な経済成長を促します。

しかし、18世紀後半になると、富と食糧の増加が生み出した急速な人口増加がヨーロッパに混乱を生み始めます。人口が急速に増加しているにもかかわらず、北西ヨーロッパ(イギリス・フランス・エルベ川以西のドイツ)には開墾可能な土地がほとんど残っておりませんでしたので、溢れだした田舎の人口が職を求めて都市に流入したり、農地を求めてアメリカ大陸等への移住し始めたのです。

なお、中央・東ヨーロッパはまだ開墾可能な土地がありましたので、人口増加は生産量増大とのサイクルを生み出し、さらに経済成長と人口増加を加速させました。これが徴兵を容易にして水をあけられていたイギリス・フランスに追いつく機会をもたらします。東ヨーロッパではロシアがその力を増していきましたが、なにより、中央ヨーロッパではプロイセンが急速に台頭します。

さて、植民地の拡大と交易の促進は全ヨーロッパに好影響を与えましたが、その中でもとりわけ圧倒的な利益を得て大国としての地位を確立したのがイギリスとフランスでした。両国は強力な軍隊を保持していただけではなく、税制にも特徴があり、金持ちに重税を課して財政を維持しようとするのではなく、税率に限度を設けて国全体から薄く広く徴税していたのです。その結果、強力な軍隊の庇護が期待できるうえ税率が低いということから腕利きの商人たちが集まるようになり、経済成長と軍拡の好サイクルという果実を最も多く得ることができました。商人たちを引き抜かれた格好になったオランダやイタリアが相対的に出遅れる格好となります。

ただ、拡大していく軍隊にも三つの要素によって次第にその強力化の限界が見え始めます。

一つ目は指揮の制約です。当時、軍隊は兵員数が約5万人以上になると指揮官がその動きを統制することが困難になっておりました。小型望遠鏡で戦場を一望し、副官に馬を速駆けさせて命令を伝えさせるというスタイルでは5万人までの指揮が限度だったのです。

次に、補給の制約です。食料や馬の飼い葉は運搬が非常に難しく、当時最高の機動力を誇ったプロイセン陸軍ですら10日行軍したらパン焼きかまどが追い付くのを10日待つという速度でしか進軍できませんでした。

最後は組織の制約です。当時の軍隊はまだ傭兵キャプテン集合体組織の域を脱しておらず、兵員の徴募や給料支払い、支給品補充はそれぞれのキャプテンが行っており、軍隊内での任用や昇進も非常に人為的で買官制度さえ公式に存在していたのです。

これらの制約に対し、最初に打破の兆候を見せたのがフランスでした。フランスは長期間、陸戦最強国の地位にあったのですが、新興国プロイセンや仇敵イギリスに連敗したことをきっかけに軍の内部で戦術と軍政における議論が活発になり、改革案が各派閥で戦わせられるようになります。その結果、様々な改革が断行されていきます。

まずは指揮系統に関する改革です。フランス軍は他国に先駆けて正確な地図作製技術を発達させ、それをもとに地形を把握し、そして、そのような地形とそれに合わせた兵站を熟知した参謀を育成していきます。参謀たちは利用可能な地形や兵站に合わせて作戦を事前準備し、書面による命令を予め出しておくことで実際の戦場における軍隊の効率的な動きを実現しました。また、それまで指揮官(=キャプテン)によりバラバラだった軍隊の指揮単位を1万2千人の「師団」に統一して編成し直すことで、命令が通りやすく、そしてあらかじめ考えた作戦通りに軍隊を動かしやすくしたのです。 

補給という面では、上述した兵站に関する作戦ももちろんですが、道路建設や運河建設の進行、それらの技術革新により補給路が整えられていきました。 

そして、組織の制約という面でも大規模な改革が行われました。兵員徴募はキャプテンではなく国王が雇用した徴募官の仕事となり、給料や支給品も公に決められるようになりました。さらに、昇進のルールが整備・公開され、透明性のある実力主義的な任用が行われていくようになります。

これらの以外にも、当時主流だったプロイセン式横隊戦術への有力な対抗策として散兵戦術を取り入れたり、大砲の性能を劇的に改良したりと、フランス軍では最強の地位を取り戻すべく強化が進んでいきます。

ところが、十八世紀の終盤に経済と軍隊の拡大を止める決定的な出来事が発生します。北西ヨーロッパ、その中でも特にイギリスから押し出された人口によって急成長を遂げていた地域がイギリス本国に対して戦争を起こして勝利してしまうのです。

このアメリカ独立戦争に対し、アメリカと対立したイギリスも、アメリカを支援したフランスも身の丈に合わない巨額の軍事支出を行ってしまいます。さらに、イギリスに至っては13植民地との交易を失うことでその経済活動には縮小という一撃が加えられます。財政危機に陥った両国は軍事予算の拡大もできなくなり、急激な財政支出の縮小は両国に不況をもたらしました。そして、この不況こそが「戦争の世界史」を次のステップへと進めていきます。

第六章では、フランス革命が各国の軍隊や経済に及ぼした影響が語られます。

上述の通り、18世後半のヨーロッパでは爆発的な人口増加が起きており、特に西北ヨーロッパにおいては開墾可能な土地の不足により都市への急速な人口流入が起こっていました。

都市人口が増大する中、アメリカ独立戦争を契機に財政がひっ迫したフランス政府は増税や財政支出削減で財政再建を目論みます。

しかし、それらは却って不況を呼び、都市部での不満は増大。ついに革命が勃発し、陸軍でさえも革命の戦列に加わっていきました。これにはフランス陸軍の構造的な要因があり、まず、どんなに功績を挙げても貴族ではない者の昇進は下士官止まりであり、下士官たちのあいだには不満が溜まっていました。しかも、下士官たちは軍隊内で読み書きを教わっていたため、革命思想の理解者、そして兵士たちへの伝達者となれたのです。さらに、兵士たちは普段、市街地に宿営していたのですが、副業として手工職人仕事に従事する者も珍しくなく、兵士たちが市民たちの抱く不満に共感しやすい環境にあったのです。

そして、革命義勇軍は市民志願兵から成っておりましたが、彼らに軍事教練を施した存在こそ、正規軍の古参下士官たちであり、それゆえに革命義勇軍は軍隊としての力を急速に発展させていきました。やがて革命義勇軍と正規軍が統合されると、新フランス陸軍の将校には旧正規軍の古参下士官が昇進して就任したのです。さらに革命が進行し、ついに国民総動員令が発令されると、全土に失業が広がっていたという背景もあり、若者たちは次々と喜んで軍隊に加入していきました。

しかし、そうやって成立した大規模軍隊が行うのは都市での略奪行為ばかりでした。ところが、「革命を輸出して諸国民を専制から解放する」という大義名分のもとで国外侵略が始まると、国外から略奪した富が国内に流入するようになり、フランス経済は回復していきます。

その後、数量と士気で勝るフランス軍はベルギーやプロイセン、オーストリアを次々と破り、連戦連勝を果たしていきます。そんな破竹のフランス軍を止めたのが、ロシアとスペイン・ポルトガルへのイギリス派遣軍です。フランス軍の敗因は補給手段の乏しさ。馬車での輸送と現地掠奪に食糧補給を頼っていたフランス軍は、農民が貧困かつ後方基地が遠くなってしまうロシアやスペイン・ポルトガルにおいて満足な補給ができず、栄養失調で衰えた兵士たちで戦い惨敗を喫するのです。

対照的に、ロシアは自国領土に張り巡らせた水路・氷路で小型船やソリを効率的に使用して物資を運搬し、イギリス派遣軍も本国からの海上輸送を活用して食糧調達を容易にしておりました。加えて、大部隊のフランス軍とは対照的にイギリス軍は少数精鋭だったためそもそも食糧への依存度が低く、富裕なため現地農民から掠奪するのではなく取引を行うことで持続的効率的な現地調達も行っていました。

次にイギリスへと視線を向けると、こちらはフランスとは異なる経路でアメリカ独立戦争後の不況を乗り越えました。都市の失業者を回収する手段としては軍隊の徴募も重要な役割を果たしましたが、救貧法の運営改革により困窮者は救貧院への入院なしで様々な手当てが受けられるようになり、都市部での治安維持の大きな一助となったのです。そして、フランス革命後にはヨーロッパ全土で起こった対仏戦からも利益を得ます。イギリス自身の軍事支出増はもとより、ロシアやオーストリア、プロイセンといった諸外国からの武器購入がイギリス経済に対する需要を拡大して経済を上向かせました。失業者の多くが軍隊のほか工業部門でも吸収され、製鉄業など様々な分野で新技術の開発が大いに進展したのです。

特に、この工業部門における失業者の吸収と工業技術の向上とがイギリスとフランスの運命を大きく分けたと本書は主張します。イギリスがあくまで自国内の工場に対して戦争需要に対する生産を振り向けられたのに対し、フランスはリエージュやトリノ、ベルギーやアルザスといった新獲得した工業地帯がそのままフランス軍に対する武器生産を担ってしまったため、フランス国内での工業需要の発生が限定的だったのです。そのため、イギリスと比較してフランス人自身が工業部門で雇用される機会が少なく、フランス工業の技術発展もそれほど進まなかったのです。これにより、両国における産業革命の進展には大きな差が生じました。

最後に、もう一つの大国、プロイセンの辿った運命を紹介しましょう。ナポレオン戦争後のプロイセンでは軍制改革が進行します。プロイセン国王ヴィルヘルム三世はフランスへの敗北を腰抜け貴族のせいだと考えていたため、平民出身の改革派将校シャルンホストを重用するようになります。シャルンホストの改革は一進一退でしたが、士官候補生学校を設立し、そこで卒業試験を課してそれを士官への任用資格にするといった実力制による士官登用方法を確立したり、参謀本部を設立して戦略や戦術の綿密な事前シミュレートをさせ、指揮官たちの助言役としての参謀を育成するなど、プロイセン軍をフランス軍にも似た姿に変えていきました。

4. 感想

まず第四章において「教練」の重要性が強調されていたのが印象的でしたね。でも確かに、寄せ集めの武装集団を「軍隊」にしていく過程では全体に同一の規律を持たせるということが重要なわけで、そう考えると「軍隊」の基礎に「教練」があるという考え方はすんなりと受け入れられます。

また、そういった「教練」によってもたらされた新戦術が一斉射撃と「背進」の組み合わせというのも面白いです。確かに、火縄銃部隊が騎士やパイク兵よりも優れた功績を残すためには、なによりこういった規律正しい動きが必要になりますよね。パラパラと銃を撃って三々五々に装填しているようではそのあいだに突撃されて部隊は壊滅してしまいます。

第五章、第六章では大航海時代からフランス革命までのダイナミックなヨーロッパの歴史が記述されますが、技術革新よりも人口増加や税制に経済成長の源を求める点に歴史書としての誠実さを感じます。また、軍事面の記述においても、派手な戦略や戦術より地形把握や兵站、軍内部の制度が軍隊の強さの要であるという主張になっており、本書の「正統派」的な側面、俗本ではない面が表れているといえるでしょう。それにしても、薄く広く徴税すること(あるいは薄く広く負担を広げること)、実力主義的な制度をつくることはどんな場面であれ現代社会でもなかなか難しいですし、逆にそれができれば組織がどんどん上向いていくということが歴史的にも証明されているのが面白いと感じました。

その他では、フランス革命後にフランス国内経済の回復をもたらした原資が他国市民・農民からの掠奪だということ、戦争で生じた工業需要の「振り向け」によってイギリス・フランス間の工業力に差が付き始めるという点は意外ながら納得できる観点として新鮮でした。

「その3」に続く

長くなってしまったので「その3」に続きます。

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