アニメ映画 「虹色ほたる 〜永遠の夏休み〜」 監督:宇田鋼之介 星2つ

虹色ほたる 〜永遠の夏休み〜
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1. 虹色ほたる ~永遠の夏休み~

川口雅幸さんの同名小説を映画化した作品。子供向けアニメシリーズの映画化以外ではアニメ映画がまだ珍しかった2012年の公開作品です。挑戦的な作画とテーマで挑んでいるからか、興行的には振るいませんでした。

個人的にはそういった挑戦的な部分はかなり気に入ったのですが、いかんせん物語の進行や小道具の使い方が拙く感じました。特にラストシーンは全てをぶち壊すような酷い出来で、これさえなんとかすればもう少し良い評判を得られたのではと思います。

2. あらすじ

小学6年生のユウタはバスに乗り、山奥まで昆虫採集に出かける。そこで出会ったのは一人の老人。喉の渇きを訴えるその人物にスポーツドリンクを渡すと、彼は礼を言って去っていった。

そして帰り道。突然の豪雨に襲われたユウタは途中で足を滑らせて崖から転落してしまう。転落のさなか、老人の声を聞いたユウタ。目覚めると、ユウタは無傷で高原に寝そべっていた。そこで出会ったのはさえ子という少女で、高原からは存在するはずのない村が見下ろせるのだった。後にユウタが気づくのは、その村が、現代ではダムに沈んでしまった、かつて存在した山の中の村だということ。ユウタはタイムスリップし、その村のそばに降り立ったのである。

戸惑いながらも、村の生活を楽しみ始めるユウタ。しかし、村人によるとこの村は今年にもダムになってしまうらしい。そう、ユウタがタイムスリップしたのはちょうど、村が存在した最後の年だったのである。懸命に最後の夏を過ごす村の子供たち。そんな中、ユウタはさえ子の秘密を知ってしまう。実は、彼女もまたタイムスリップしてきた子供で……。

3. 感想

見始めは独特の絵柄が気になりますが、次第に目に馴染み、逆にこれでないとこの映画は表現できないなと思わさせられるようになってきます。というのも、昭和の山村の夏風景に非常にマッチした絵柄になっていて、タイムスリップ後にユウタが村の子供たちと「遊ぶ」躍動感を素晴らしく演出しています。森での昆虫採集、川遊び、もぎたての野菜をかじる、など、自然の色彩の中で素朴な少年少女が走り回る姿を描くのにもうってつけですし、古民家や神社の内装もあの懐かしい匂い(いぐさの匂い?)が漂ってきそうなほどです。同じ「暑い」といっても、心のからの歓喜をもって「暑い」といえるような夏を体現しています。全体的に子供たちが「仲良すぎ」なきらいがありますが(さすがにもう少しギスギスすることもあるでしょう)、それが物語の本題ではありませんし、何より村にとっては客人であるユウタの視点を視聴者が追体験していると考えればさほど不自然でもないでしょう。ユウタの最も親しくなった少年、ケンゾーとの別れのシーンは「餞別を交換する」という王道の粋があり、率直に表現することがこの映画が持つ夏の爽やかさをより引き立てています。

ただ、この映画の良いところはその一点のみにつきます。物語を進めるための重要な設定として、①「ユウタの父はかつて交通事故死している」、②「さえ子はその事故に巻き込まれて入院しており、病室から(健康な状態で)タイムスリップしている」という2点があるのですが、全く活かしきれていません。夏が終わって元の時代に帰るとさえ子は死んでしまうことが仄めかされるのですが、だからといってユウタは解決のための核心的な行動は起こさないのです。さえ子を連れて蛍を見に行くということはするのですが、ただ蛍を見て「一生懸命光って呼び合おう」という謎の約束をするだけです。さえ子の事故設定がなくとも、ひと夏を思い出深く過ごしたにも関わらず夏が終わればもうユウタとさえ子は会えないこと(ユウタは夏が終われば元の時代に帰るので)は確定的なのですから、二人で祭りを抜け出し、特別な場所で特別な想い出を作って別れを惜しむのにはそれで十分だったはずです。それどころか、とってつけたような交通事故の設定描写に時間を割くくらいならば、村で何か事件が起きて、それがきっかけでユウタとさえ子が親密になる描写を入れたほうが二人の別れに対する感動が深くなったでしょう。事故そのものはユウタとさえ子のコントロール外で起こったことであり、二人にはどうしようもないことです。それよりも、お互いの行動によってもたらされた感情が二人の絆を深くしたような過程を踏むべきだったはずです。もっと言えば、「ユウタの父親が」事故死していることやそれにさえ子が巻き込まれたという設定は完全に死んでいます。普通に赤の他人でも成り立ってしまっている、無意味な設定です。

また、題名にもなっている「虹色ほたる」の活かし方も雑です。かつて水不足の際に偶然見つけた湧き水のそばで老神主が見たという虹色に光る蛍。村を救った象徴のように語られたのですから、今度もダム建設による村の破壊や、そこまでいかなくても、村から離散していく子供たちの友情の綻びに対して「虹色ほたる」が何らかの役割を果たすのかと思いきや、現代に帰ってから脈絡もなく登場し、ユウタとさえ子の再開時に意味のないイルミネーション効果を果たすだけです。奇跡をアニメーション的に表現するのですから、べつに蛍を出さなくとも虹色の輝きが二人を包んだって良いでしょう。まさか「虹色ほたる」が何の伏線にもなっておらず、何の意味も持たされないとは思いませんでした。

そして、最も難じられるべきは、現代に帰って以降の展開です。上述したように現代に帰ってからユウタとさえ子は再会するのですが、タイムスリップが終わればさえ子が死んでしまうということを途中で示したにも関わらず、なんの言い訳もないままさえ子は視力を失っただけの状態で再登場します。けばけばしいだけの光が二人を包み、最後に白地に黒抜きの字で映画のキャッチコピーがデカデカと書かれて終了。こんな酷いラストシーンもなかなかないでしょう。映画のキャッチコピーは映画全体で表現するものであって、最後に画面全体に文字で出してしまえばしらけるのもいいところです。あり得ないとは思いながらも、制作過程での消し忘れを疑ってしまいます。

このように、良い描写力を持ちながらも脚本と演出が決定的に悪いせいで全体を劣化させているのがこの映画の特徴であり、物語の根幹に関わる部分での失点が大きいのはもちろんなのですが、より踏み込んだ、細かい部分でももう少しどうにかできないかと思われる箇所があります。例えば、ダムに沈む前の「最後の夏」という設定。上述したように、「夏」という要素は描写において惹きつけられるものになっているのですが、「最後の」というところは活かされていません。もちろん、「最後」だから街の花火大会にケンゾーを誘う女の子が出てきたり、「最後」だから村の祭りで子供たちの描いた絵を貼った灯篭を使うなど、無理矢理ねじ込んでいなくもないのですが、普通に考えれば「最後」でなくても全然あり得ることばかりです。なかなか誘えなかったデートに誘うきっかけは古今東西の作品にいくらでもパターンがありますし、子供たちが灯篭に絵を描くのだって、何周年記念とか、特別なイベントがあるとかでも代替できます。「ダムに沈んでしまう村で最後の夏を過ごす子供たち」という非常にキャッチ―な舞台設定がありながら、その固有要素を全く活かせていません。

4. 結論

映画として重要な要素である「絵(画)」や「動き」については評価できるので星1つにはしませんが、物語面ではやや問題があり過ぎると感じました。

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