【大人になりたい夏の旅】映画「菊次郎の夏」北野武 評価:3点 【日本映画】

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追記 あまりにも清潔なふりをする現代社会について

本作を鑑賞していてまず驚くのは、菊次郎が繰り出す蛮行の数々です。

旅費として渡されたお金は競輪で使い切ってしまい、その後は、タクシーを盗み、服を盗み、食料を盗み、ヒッチハイクでは嘘をついて同情を誘ったりする始末。

自動車の窓ガラスに石を投げつけたり、罠を仕掛けて車輪をパンクさせたりとやりたい放題です。

しかも、めちゃくちゃ悪くて外道なことをしているという感覚ではなく、彼はあくまで自然体に蛮行を実施していきます。

そして、柔らかな夏の雰囲気を強調したカメラ回しと音楽により、彼の蛮行にはどこか温かな郷愁すら漂っているのが本作独特の不可思議な空気を形作るのです。

おそらく、こういった蛮行に「郷愁」を抱かせようというのは、北野監督が意図して試みていることなのだでしょう。

「三丁目の夕日」批判、あるいは「昔は良かった」批判によく用いられる論法として、「昔のほうが治安は悪かったし、人々は倫理を欠いていた」というものがあります。

治安については事実であって、犯罪率は年々低下し、日本の治安は破竹の勢いで向上し続けています。

まるで「絆」の希薄化に反比例するように治安が良くなっているのが面白いところですよね。

人々は傷つけ合わなくなっているし、助け合わなくもなっています。

そして、治安はもちろん、清潔感においても現代社会はかなり神経質になっているように感じられます。

唾吐き、野ション、悪態、喧嘩、諸々の汚い行為の数々。

ぎりぎり2000年代くらいまでは、こういった行為をよく街中で見かけた気がしますし、こういった行為が世の中であり得ることだという態度で人々は暮らし、メディアもそれを受け入れていたような気がします。

しかし、2010年代から現在にかけて、そのような行為は「存在しない」ことにされ、それが目撃されたりメディアで取り上げられる際にも、とんでもない腫れ物扱いをするような傾向が出てきました。

菊次郎のような、汚くて卑怯で、競馬場にたくさんいるようなおじさん。

そんな普通の存在が過度に不可視化されている気がします。

他人と関わることをよしとせず(ごく一部の「健全」な関わり方だけが良しとされる)、ちょっとした悪行も許されない(炎上したりする)。

その結果、とんでもなくお行儀が良くて脱臭された清潔な人間だけが社会から求められる。

けれども、人間関係の中で生臭く泥臭い事象は避けられないし、誰かと密接な関係を築いていくうえで、自分自身の怠惰な部分や汚い部分をさらけ出さないことは難しい。

だから、人々は関わり合いにならないようにして上辺だけの関係になっていく。

私は主に21世紀を生きてきた人間ですが、まさにこの20年間において、ともすればリーマンショックや東日本大震災以上に、社会の風潮を転換させてきたのはこの「清潔化」なのかもしれないとさえ思います。

その意味で、1999年公開の本作は、人間の汚くて幼い部分が認知されていた社会における、そんな社会の特徴を最後の意地的に残している作品として観ることもできると思います。

もし、菊次郎が現代的な清潔人間であったならば、渡されたお金を競輪につぎ込んだりせず、正男との旅は行儀の良い新幹線旅行になっていたでしょう。

何らかの事情でお金を失くしてしまったとしても、いったん帰宅して再度お金を工面したことでしょう。

有り金を全て競輪につぎ込んだ挙げ句、意地を張って盗品のタクシーで目的地を目指したりしないのです。

そして、行儀の良い新幹線旅行にならなかったからこそ、旅の道中では様々な出会いがあり、多くの事件が起きます。

1999年を小学生として生きている正男、これから21世紀を生きていくことになる正男にとって、これは殊更貴重な経験になったのではないでしょうか。

正男には両親がおらず、家にはお金がないので「綺麗な」旅行には行けません。

けれども、両親が揃っている家庭で、定形化された綺麗な旅をした同級生より、正男はきっと強く逞しくなったことでしょう。

世の中はいま、生まれの格差がその後の人生を強く規定する社会になっております。

中産階級〜富裕層の家に生まれた子供が、私立の中高一貫校に行き、有名大学に入って、また高所得者になっていく。

高収入の家庭は単にお金を持っているだけでなく、良い学校や良い習い事に行かせるという知恵やリテラシーを持っていますし、良い学校では良い人間関係が築かれ、将来に対する視野が広がるような様々な仕掛けを体験することができます。

だからこそ、高収入だったり、地位が高かったり、自己実現感が強い仕事に就くことができます。

その後も、両親が持つ多大な資産と自分自身の高収入の併せ技で、様々なライフイベントを有利にこなしていくのです。

もし、いまの清潔すぎる社会が続けば、そんな人々の勝利が続くでしょう。

しかし、ひとたび混沌が訪れれば、清潔な社会に順応しすぎた人々が零落し、意地汚いほどの打たれ強さを持った人々が再び社会の主流となる時代が来るかもしれません。

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