1970年代から令和の現在にかけて第一線で活躍し続ける純文学作家、宮本輝さんの作品。
1970~80年代には「泥の河」で太宰治賞、「螢側」で芥川賞、「優駿」で吉川英治文学賞を獲得し、2010年代にも「骸骨ビルの庭」で司馬遼太郎賞、「流転の海」で毎日芸術賞を獲得しており、その勢いは留まるところを知りません。
その功績が認められ、2010年には紫綬褒章、2020年には旭日小綬章を授与されるなど、格の違う文化的功労者という立場を確固たるものにしています。
そんな宮本輝さんの作品の中でも、本作は無冠の作品。
松田聖子さんの「青いフォトグラフ」を主題歌にドラマ化がされており、人気作であることは間違いないのですが、宮本さんの代表作と呼ぶ人はすくないでしょう。
しかしながら、私の個人的な読書経験史上において、本作は一、二を争う名作として燦然と輝いております。
新設大学の一期生として入学した主人公を中心とした、せつなくて情熱的な青春群像劇。
「青春小説」というカテゴリにおいて、日本の小説史上1番の面白さと趣深さを持っていると言っても過言ではない作品です。
あらすじ
主人公の椎名燎平(しいな りょうへい)は大阪府茨木市に新設された私立大学の一期生。
一年前、受験に失敗して浪人生活を始めた燎平だったが、直後に家業が傾いたため就職活動を行い、秋には就職先が決まっていた。
しかし、そのときちょうど、家業への融資を申し出てくれる人が現れたのである。
ろくに受験勉強もしていないのに進路が進学へと切り替わり、本来の志望校とは似ても似つかぬ大学へと入学することになった燎平。
けだるい心意気のまま入学手続きのために大学事務局を訪れた燎平は、そこで一人の新入生と出会う。
彫りの深い、人目を魅く顔だちをしているその女性の名前は佐野夏子(さの なつこ)。
燎平は彼女に一目惚れしたのだった。
そして始まった大学生活。
燎平の周囲には様々な人間が集まり、燎平は様々な事件に巻き込まれていく。
初日に出会い、一緒にテニス部を創部することになった金子慎一(かねこ しんいち)とのあいだに結ばれる篤く若々しい友情。
高校時代には関西ジュニアのチャンピオンに輝くも、精神病を患って一時はテニスを引退、燎平と金子が立ち上げたテニス部にて復帰を果たす安斎克己(あんざい かつき)が辿る数奇な運命。
新設されたテニス部における数少ない小学生からの経験者であり、夏子よりも美人ではないが、夏子よりも男たちを惹きつける女性、星野祐子(ほしの ゆうこ)が持つ魅力に打ちのめされていく男子部員たち。
燎平に「覇道のテニス」を説いて燎平の強さを引き出していく同級生の貝谷朝海(かいたに あさみ)、野球の道を諦めてフォークソング歌手としての大成を目指す「ガリバー」が歌い上げる哀愁の歌声、恋敵として燎平の前に立ちはだかる田岡幸一郎(たおか こういちろう)。
散りゆく青春が放つ、最後にして最大の輝きがここにある。
感想
こんなにも面白くて感動的な小説があるのかと驚いてしまった作品です。
椎名燎平という青年の、四年間にわたる大学生活の軌跡を描いた作品なのですが、まさに青春小説のお手本にして最高傑作と呼ぶに相応しい逸品となっております。
テニスと恋愛を中心としたエピソードが連なりながら物語を形成していく、半ば連作短編的な構成になっているのですが、一つ一つのエピソードに凝縮されている青春の歓喜と哀切が非常に濃密であり、読んでるあいだじゅう感情を揺さぶられ続けてページを捲る手が全く止まらないほどです。
隅から隅まで美点ばかりでどこから語ればよいのかわかりませんが、まずは一番好きなエピソードから紹介したいと思います。
それは、田岡と駆け落ちした夏子を「救出」するため燎平が志摩プラザホテルを訪れる話です。
婚約者のいる男である田岡と、良家のお嬢さんである夏子。
そんな二人が、三重県は志摩のホテルに行ってしまった。
ショックを受けた夏子の母、美保子は燎平に電話をかけて自宅に呼び寄せます。
事態を穏便に澄ましたい美保子は燎平を遣って夏子を保護したい、けれども、娘の醜態を晒している状況で、その救出を一介の大学生男子に面と向かって頼むなんて惨め過ぎてできない。
そんな美保子が、紅茶入りのブランデーを燎平に注ぎながら、どこまでも遠回しな口ぶりで燎平を志摩へと向かわせようとする場面に漂う、重苦しくて儚い熱情と悲哀には興奮が止まりません。
遠回しにな表現で物事を頼むだとか、それを明示的ではない態度で承諾するだとか、そういった、人間の会話が持つ生々しい「間」を表現する技術が実に長けている作品なのです。
そして、燎平は志摩へ行き、海辺で夏子と語り合います。
「でも、いまは違う。もう何遍も何遍も、田岡さんに抱かれたわ。真っ裸にされて、何遍も何遍も田岡さんに」
大人になっていく男女がこの時期にしか醸すことができない、純粋と背徳の妙味が詰まった会話と、そこから生み出される二人の微妙で絶妙な距離感。
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