それは寿命が短かったからだと思う。
厚生労働省の調査によると、1947年における0歳児の平均余命は男性50歳で女性54歳。
人によってはこれより早く亡くなっていたわけだから、いまとは人生の感覚が随分違うだろう。
平均余命の年次推移|厚生労働省
平均余命の年次推移について紹介しています。
ちなみに、江戸時代の平均寿命は30歳代だったらしい。
乳幼児死亡率の高さが平均を押し下げている可能性は否めない。
それでも、今日の楽しみを我慢して将来に備えるだとか、他者との長期的な関係のために何かをしてあげるとか、そういった思考にはなりづらい寿命であると思う。
誰もが「いま、ここ」を享楽的に生きたくなる誘引がいまよりもずっと大きい時代において、真面目に勤勉に実直に生きる、ということは難しかったのだろう。
だからこそ、そういう人は尊敬されたし、職場とかで「使える」人材だった。
(職場といったって、農家や自営業、その他肉体労働がもっと多かった時代だったはずである)
一方で、寿命を考えれば考えるほど保守的に生きてしまう時代が現代である。
大学進学率は50%を超え、育児についての気遣いもかなり求められるため、子女の教育にも随分時間を使ってしまうことになる。
いまを我慢して将来に備える選択が「普通」な時代。
だからこそ、いまここを享楽的に生きていたり、過度にも思えるリスクを獲る人は輝いて見える。
要するに、希少性の問題なわけだ。
「生き様がブランドになる」
どこかのインフルエンサーがそう言っていた。
それは現代特有のことではなくて、いつの時代だって生き様はブランドになっていた。
きっと、昔は真面目な人が希少なスーパースターだったんだよ。
明日死ぬかもしれない社会で真面目に生きる。
それは神聖で勇気のある生き様。
少なくとも、周囲の人からはそう見えていたんじゃないかな。
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