1. 利己的な遺伝子
タイトルからして衝撃的な、そして内容はもっと衝撃的な、ダーウィニズムの立場から書かれた生物学の一般書です。
我々が生物について持っている印象や誤解を吹き飛ばす一方、この本自体の内容も誤解されやすいもので、久しぶりにかなり慎重な読書を要した本でした。
2. 概要
日々、多くの生物個体が生まれたり死んだりしており、また、多くの種が滅んだり生まれたりしている。(種が生まれるのはまれかもしれない)。それを目の当たりにして私たちが思うのは、自然淘汰は個体や種の単位で働いているというものである。
確かに、動物の群れや親子が見せる、「愛情」に満ち溢れているかのような行動。それは私たちに種単位での生存を生物が目指しているという「群淘汰」を思い起こさせ、一方、共食いまでする生物を見ては、淘汰はやはり個体単位なのだと感じさせられる。
しかし、実際に、淘汰はそのどちらでもなく、遺伝子(を代表とする自己複製子)の単位で働いている。死の危険を鑑みず特攻を行う働き蜂、他の鳥に自らの子の世話をさせるカッコウ、継子殺しをするライオン、性交の相手の首を撥ねるキリギリス。動物の行動は、「遺伝子にそうプログラムされたから」を着想点にすると全てを整合的に説明できる。なぜなら、いま生き残っている形質を発現する遺伝子こそ、適応できた遺伝子だからだ。
とはいえ、これは遺伝子が意思を持つということを意味しない。遺伝子は完全に無自覚的に形質を発現させるからである。
しかし、環境に適応した形質だけが生存していくことから、あたかも、遺伝子が生物個体という乗り物を乗り継ぎ、次の代、次の代へと自分のコピーを残していくサバイバルゲームをしているように見えるのである。
生物が見せる、時に面白く、時に奇妙な動態を遺伝子という斬新な切り口から論じる名著。
3. 感想
非常に面白く読めました。誰もが人生で一回は読むべき本だと思います。
本著の出発点は常に一つ。環境に適応し、自らのコピーの生存率を結果的に高めた遺伝子が生き残っている、というものです。細胞分裂をご存知の方ならば、遺伝子が自らを「複製する」という表現の意味がお分かりかと思います。
そして、「複製」された遺伝子は、基本的に個体に同じ形質を発現させます。ゆえに、個体の生存と繁殖に有利に働く形質を発現させた遺伝子がその数を増やしていくのです。生物が見せる、血縁に対する扱い(同じ遺伝子を持つ親子兄弟間の「愛情」や、繁殖能力のない個体が見せる奇異な行動(ミツバチなど))もすべてこれで説明できるというのが著者の立場です。
例えば、自分自身は100%自分の遺伝子で作られていますが、親子兄弟もそれぞれ、同じ遺伝子の複製を50%持っています。そう考えると、ある一匹の親子兄弟の生存率が20ポイント上昇し、自分の生存率が8%しか低下しない行動ならば、遺伝子の立場からするとそれを実行するよう生命個体をプログラミングするべきで、実際にそうプログラミングした遺伝子が生き残っているという具合にです。
しかし、著者が言いたいのは、遺伝子が意思を持っているということでも、遺伝子が全てを決定するということでもありません。あくまで、生物個体は遺伝子の「利己的な」影響を免れえないということです。
動物や植物から、バクテリア、プランクトンまで、生物の行動の説明から情緒的なものを抜き去り、論理的整合性と客観性を求めたい。生きているものの行動に何らかの法則性がないか探ってみたい。少しでもそう思ったことのある方々にとって、生物学界をリードする議論の一つを知る著作としてオススメです。
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