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小説 「砂の女」 安部公房 星5つ

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砂の女
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1. 砂の女

もっと長生きしていればノーベル文学賞を受賞していたとも言われる、日本文学界の巨人の一人、安部公房の代表作です。二十以上の言語に翻訳され、1967年度のフランス最優秀外国文学賞を受賞しただけあって掛け値ない傑作でした。

砂に囲まれた生活という特異な状況をてこに、現代社会に生きる意味を再解釈したともいえる本作。その威力に、読めば魔術的な感動を覚えること間違いなしの名作です。

2. あらすじ

砂丘へ昆虫採集へ出かけた高校教師、仁木順平(にき じゅんぺい)。

砂丘の中にある部落で宿泊を頼んだところ、砂の穴の中にある一軒のあばら家に案内され、あろうことかその中に閉じ込められてしまう。あばら家の中に住む女との奇妙な共同生活が始まったが、当然、仁木は元の生活に帰ろうとあの手この手で脱出を試みる。

しかし、試みはことごとく失敗し、常に砂掻きをしなければ砂につぶされてしまう家で仁木は苦悶する。ところがある日、鋏とロープを使った仕掛けで仁木は穴から這い出ることに成功する。

一目散に逃走する仁木だったが、やがて追い立てる部落の住人達に捕まり、仁木は再び穴へ連れ戻されてしまう。

そうして季節が巡り、仁木は偶然の発見から桶を利用した溜水装置の研究に没頭するようになる。これさえあれば、砂の中でも水不足に悩まされることはないのだ。そんなある日、仁木は村人たちが縄梯子を外し忘れているのに気づく。

絶好の脱出機会だと喜ぶ仁木だったのだが......。

3. 感想

日本文学史上でも一、二を争う名作だと思います。

絶望的な状況の中で、主人公の心理が意外な方向に変わっていくのが非常に硬質かつ巧みな筆致で描かれており、まさに「没頭」してしまった作品でした。主人公が閉じ込められた家は常に砂丘の砂が上から横から迫ってきており、毎日毎日重労働の砂掻きをしなければ家自体が潰れてしまいます。

ただ砂掻きをするだけの日常。浪費される体力と時間。一般的な感覚では堪えがたく、仁木もまたそのような気持ちのもとで脱出を試み、そしてついに成功しかけ、しかし連れ戻されてしまいます。

そんな仁木には最後、脱出の大チャンスが訪れるのですが、あらすじから察せられる通り、仁木は脱出を選択しないのです。それよりも、自分が作った溜水装置を部落のみんなに吹聴してまわりたい、その気持ちが仁木を押しとどめます。

これは非常に不思議で、理解しがたい感覚に思えますが、本作の序盤~中盤で張り巡らされた伏線、仁木の心理が、この展開に異様な説得力を持たせます。そもそも、なぜ警察は仁木を捜しに来ないのでしょうか。それは、仁木が「しばらく旅行する」という旨の手紙を置いてきたからです。

旅行の内容をあえて秘密にしておくことで、「灰色の日常」を生きている同僚たちの嫉妬を買いたかった、というのがその理由です。

このように、この小説では随所で、仁木がいまの生活に満足していないこと。同僚とは上手くいっていないわけではないが仲が良いわけでもなく、教師という職業に魅力を感じているわけでもなく、ただ漫然と日常のルーチンを繰り返す「都市の労働者」であることが示唆されます。

「砂を掻くこと」

それは、一般的な感覚ではつまらなく、くだらないことです。しかし、私たちが普段やっている仕事もどうでしょう?やらなければ、どこかに小さな支障は生じます。確かに、社会としては必要なことではあります。

しかし、それは迫りくる砂が家を押しつぶしてしまうのを防ぐのとどのような違いがあるのでしょう?部落では、砂を掻くことが仕事です。搔かなければ家がつぶれ、掻けば報酬として水がもらえます。部落での水は貴重で、飲んだ瞬間には幸福がほとばしります。

また、家の中に住んでいる「女」も良い人です。出会いは強引ではありましたが、仁木と女は次第に夫婦のようになっていきます。砂丘に埋もれた家での生活。それは、我々の日常とどう意味的な違いがあるというのでしょう。

そう考ええると、最後、男が脱出ではなく溜水装置を見せびらかすことを選んだ心理も理解できるようになってきます。

誰かに自分の仕事を認めてもらうこと、仕事に意義を感じ、進んでやりたいと思うこと。

溜水装置よって、男の頭には部落での名声や賞賛が思い浮かんでいるに違いありません。まっとうな仕事は「良いこと」。まっとうな日常は「貴重なこと」。

そんな価値観が引いているラインにまでこの部落での生活がせりあがってきて、我々の心理、価値判断に、消えることない黒い一滴が落とされます。

「罰がなければ、逃げる楽しみもない」

本書の冒頭に書かれている言葉です。

我々が逃げたいと思うのは、その生活に価値や満足がないと思うからです。つまり、その生活が客観的にはどんなものであっても、そこに本人の価値や満足が見いだせれば、それが他人にとっては滑稽で異様なものであっても、逃げようとは思わないのではないでしょうか。

そして、砂にまみれた生活すら、誰もにとってそうなる可能性があるのです。

まさに、現代の都市生活者に文学の巨人が送る大傑作です。

☆☆☆☆☆(小説)安部公房
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明日も物語に魅せられて

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