漫画 「電車男」 原秀則 星1つ

電車男
スポンサーリンク

1. 電車男

インターネット掲示板「2ちゃんねる」での書き込みをもとにした恋愛物語で、小説、漫画、映画、そしてテレビドラマと様々なメディアミックスを経て話題になりました。

特に伊藤淳史と伊東美咲主演のテレビドラマ版は大ヒットし、視聴率は平均で20%を越えたほどです。気弱なオタク男性と典型的な美女がひょんなことから出会い、恋に落ちていくというありがちな展開ながら、当時は現在よりも輪をかけてキワモノ扱いだったインターネット掲示板を物語のギミックとして使用したことが評判となりました。

インターネット住民たちに応援されながら恋愛を通じて成長していく主人公への共感と、インターネット住民たちが行う「インターネットを通じた応援」の独特さ、そして、主人公の行動から勇気を得て変わっていくインターネット住民たちの人生という二重三重の面白さが小気味のよいエンタメを提供しつつ、それでいて芯には真っすぐすぎるほどの純愛が据えられているという点で斬新だったのです。

さて、そんな「電車男」の、今回は漫画版を読んでみたのですが、感想としてはとても残念なものでした。私は「原作」であるインターネット掲示板への書き込みや準原作といえる小説版を読んだことがないのですが、それでも、これでは「電車男」の魅力を一切描いていないじゃないかと言えるような代物で、悪い意味での換骨奪胎メディアミックスとなっています。

2. あらすじ

主人公は秋葉系オタクの「電車男」。ある日、秋葉原から帰る電車で「電車男」は暴漢に出くわす。酔っぱらって女性に絡む暴漢に対し誰もが見てみぬふりをする中、「電車男」は勇気を振り絞って声を挙げ、その女性や乗客たちを助けるきっかけをつくったのだった。

そんな「電車男」の自宅に、後日、HERMESのティーカップが届けられる。送り主はあの車両に乗っていた美貌の若い女性。伝票には電話番号が記載されており、「電車男」は女性の意図について思い悩む。

パソコンの電源を点け、事の顛末を「2ちゃんねる」に書き込んだ「電車男」。彼の立てたスレへ馳せ参じたのは、お互いに顔も声も本名も知らないインターネット掲示板の住民たち。ティーカップにちなんで「エルメス」と掲示板内で呼ばれるようになったその女性へのアプローチを住民たちは「電車男」に勧めるのだが......。

3. 感想

読後の感想を一言で表すと「これがあの『電車男』か?」といったところ。あらゆる意味で薄口過ぎて、「電車男」のあらすじをなぞった別の何かになってしまっています。いや確かに、金持ちお嬢様の「エルメス」と出会って、「電車男」がちょっとずつ恋愛に前向きになっていって、インターネットの住民たちがそれを支えてという構図自体は間違いなく「電車男」なのですが、やはり何かが欠けています。

何が欠けているんだろう、とぼんやりと考えてみたのですが、整理するとそれは以下の三要素に分けられる気がします。

①オタク感がない

これは何も、アニメやゲーム、フィギュア好き描写が足りていないと言っているのではありません。本作の軸である恋愛についてのオタク感が足りないと思ったのです。

恋愛に奥手で女性と話したことはほとんどなく、服装にも無頓着。そんなオタクならではの生々しい描写が本作にはほどんどありません。「緊張する」「落ち込む」程度の抽象的な描写が多く、痛々しいほどに失敗してしまう会話や、髪を切るのにも服を買うのにも緊張して動揺してしまい奇妙な行動をとってしまうような、そういったパンチの効いたエピソードが挟まれないため、本作の「電車男」は単なる「ファッションオタク」になってしまっています。オタク趣味の物を収集し、オタクのような恰好をしているだけで、中身はいたって普通の男性なのです。「電車男」ならではの恥ずかしいばかりの極端さがそこにはありません。

そして、そういった困難を乗り越えた先にある女性との楽しい会話さえ、なんとなくの雰囲気描写がされるだけで、彼の中で生まれる「女性と会話して楽しい」という感情の手触りがまるでありません。とにかく描写が下手なんですよね。極度に抽象化された一般恋愛漫画を読んでいるように感じられ、「電車男」としてのディティールが皆無です。

②インターネット感がない

インターネットの住民たちやその書き込みに全くリアル感がないんですよね。単に気のいい友人たちが恋愛を励ましてくれているというだけで、的を射ていたり見当はずれだったりが極端な言説や、匿名掲示板での恋愛談義だからこそ生まれる論争の生々しさがありません。

ネットスラングの使い方もとりあえず使ってみましたという程度で、インターネット掲示板独特の下品な皮肉だったり、AA(アスキーアート)を使った軽妙で芸術的な激励や祝福など、「2ちゃんねる」的な面白さがまるでないのです。

気弱な男性と美貌の女性の格差恋愛モノという王道ではあるけれども凡庸な設定に、「電車男」ならではの独自性を与えているのがこの「インターネット感」なのですから、この有様では「恋愛物語A」としか呼びようがありません。

③恋愛ドラマ感がない

いわゆる「恋愛漫画(恋物語)」であるはずなのに、その恋愛そのものが全く山あり谷ありではないのです。

端的に、二人の恋を妨害するものがなさすぎます。

ドラマ版では「電車男」がオタクであることをエルメスに打ち明けてドン引きされるシーンなど、インターネット界隈と現実との差異を上手く使ったオタクの恋愛物語独特の波乱があったりしましたが、そういった描写が一切省かれていて、逆に、なぜ残余の「非波乱万丈」部分に漫画版作者が価値を感じたのか全く理解できません。

特に、「一般女性」あるいは「一般よりもさらに高位の存在、高嶺の花の美女」として描かれるはずの「エルメス」があまりにも「電車男」にとって都合よく描かれ過ぎです。連絡を取り合うのでもデートでも「電車男」に対して不思議なほど積極的でやたらにリードしますし、オタク趣味やインターネット掲示板を使っていることにも寛容すぎます。

私は別に、一般的普遍的な観点として女性がデートをリードすべきでないとも、オタクは迫害されるべきだとも言いたいわけではありません。ただ、こと「電車男」においては、オタク男性である「電車男」を葛藤させ、苦難を乗り越えさせなければ何の面白みもないのに、そういった葛藤や苦難がほとんどなくあまりにスムーズに恋愛が進行してしまうのです。

「エルメス」側の心理描写としてもそうで、自分が付き合う相手として「電車男」はかなり異質なはずで、「エルメス」の周囲の「世間」からすればたいへん奇妙な存在のはず。そこから「本当にこれでいいのだろうか」のような心理が生まれたり、「電車男」を試したりするような態度が生まれてもいいはずですし、恋愛独特の感情の起伏から「電車男」に却って冷たくしてしまったり酷いことを言ってもいいはずです。そうでもなければ、「恋愛物語」である意味がないでしょう。特段「癒し」を前面に押し出したイチャイチャ甘々がテーマの作品でもないのであれば、やはり、恋愛物語ならではの一定の緊張感は最低限の価値を持った作品としての条件だと思います。

4. 結論

長々と書いてしまいましたが、結論としては、これは「電車男」ではないし、そればかりか、最低限の水準を満たした「オタク物語」でもなければ「恋愛物語」でもないというところです。

そんな感想を抱きながら後書き代わりの対談を読んだところ(漫画版作者の原秀則さんと若き日の武田真治さんの対談です。いまや筋肉体操で有名ですね。当時は舞台版で「電車男」を演じていたようです)、原秀則さんが致命的な発言をしていたので、やっぱりなと思いました。

そう。原秀則さんは敢えて、原作のちょっとしたドロドロ感をカットして本作をイチャイチャ恋愛モノとして描いたというのです。違います。「電車男」はそんな話ではないのです。「電車男」は確かに純愛物語ですが、同時に「オタク」で「インターネット」で「エルメス」な物語であり、それ相応の生々しさや恥ずかしさ、ドロドロさがあったからこそ凡庸でどこにでもあるような純愛物語とは一線を画した成功を得たのです。

あの「電車男」をもう一度感じたい、あるいは、「電車男」なるインターネット史上に名を残した伝説の作品をいまからでも見てみたい、そう思う人は、少なくともこの漫画版だけは避けて欲しいものです。

コメント