1948年公開のイタリア映画。
猥雑で混沌とした終戦直後のイタリアを舞台に、父子が盗まれた自転車を探すという物語です。
写実性(つくりものっぽくなさ)を重視した「ネオ・レアレズモ」という当時の潮流を代表する作品の一つで、アカデミー賞の名誉賞(現:アカデミー国際長編映画賞)を受賞しています。
とはいえ、普通の映画だった、というのが率直な個人的感想です。
ようやく仕事にありついた男が仕事道具である自転車を盗まれ、それを必死に探して回るというやりきれない筋書きや、哀愁溢れるラストシーンなどは良かったものの、ひたすらにローマの街中をうろうろするだけの部分はやや退屈でした。
あらすじ
舞台は終戦直後のローマ市街。
失業中のアントニオ・リッチだが、ついに役所のポスター貼りという仕事を得ることができた。
仕事道具として自転車が必要だと言われたアントニオは、何とかお金を工面して質屋から自転車を取り戻し、意気揚々と仕事を始める。
しかし、開始早々、アントニオの自転車は泥棒に盗まれてしまう。
慌てて追いかけるも泥棒の姿を見失ってしまい、失意に暮れるアントニオ。
自転車がなければ、仕事を続けることはできない。
再度の失業を回避するため、アントニオは息子とともに自転車探しを始めるのだが……。
感想
「ネオ・リアリズモ」の映画だけあって終戦直後のローマが生々しく描かれており、人々の貧しく世俗的な生活ぶりが印象的です。
失業者の群れ、流行する怪しい占い、政府に対して団結して抗議する左翼政党、広場で開かれる闇市。
絶望的で、投げやりで、享楽的で、短絡的な空気感が画面から醸し出されます。
そんな状況下で、ようやく仕事にありついたアントニオ。
しかし、すぐに自転車が盗まれ、その喜びも束の間に終わってしまう。
ここまでの展開はそれなりに起伏があり、独特の空気感もあって楽しく鑑賞できました。
ただ、ここから先は凡庸な映画になってしまいます。
僅かな手がかりと憶測をもとに闇市を巡って自転車を探し、最後は犯人と思しき人間のもとにたどり着くも、盗みの証拠がなくアントニオは自転車奪還を諦める。
ただそれだけのことに、この映画はほとんどの時間を割きます。
物語は淡々と進み、上にも下にも感情を動かされる場面がありません。
最終盤、自転車奪還を諦めたアントニオが、街中に停めてある自転車を見て、自分も盗んでしまおうかと逡巡する。
このあたりで物語に哀愁が復活し、俄然面白くなるのですが、そのままラストシーンになだれ込んで本作は終了してしまいます。
中盤をもっと圧縮して中編映画くらいにしておけばまだ勢いを失わずにいられたかもしれないと感じてしまいます。
最終盤における惨めさの表現が上手いだけに、惜しい作品だという感想です。
もちろん、終戦直後の雰囲気を生身で知っていれば、本作が持つ「リアリズム」的な側面の迫真性を感じられたのかもしれません。
ただ、残念ながら私は戦後生まれの世代であり、当時の空気を吸ったことがありません。
加えて、「知らない」世代にも分かるようにするほど超時代性のある演出にも乏しい作品です。
それゆえ、本作の中盤からは、古い映画だな、古い時代だな、以上のものを感じることはできませんでした。
というわけで、本作の評価は2点(平均的な作品)とします。
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