【政治学】おすすめ政治学本(政治過程論)ランキングベスト3【オールタイムベスト】
【日常雑記】人生がちょっとだけ変わる洗顔料を紹介する
読者の皆さん、洗顔料はお好きだろうか。わたしはちょっとだけ好きである。毎日洗顔料を使って洗顔をする、というのは女性にとっては当たり前のことかもしれないが、男性にとってはそうではないだろう。そんな風潮に抗ってでも、私は洗顔を勧めたい。小綺麗に見えるから? モテるから?もしかしたらそんな効果があるのかもしれない。けれども、私が洗顔を勧める最大の理由はそんなことではない。気持ち良いからである。汗をかいた後にシャワーを浴びたときだとか、サウナの後にコーヒー牛乳を飲んだときだとか、そういったときに「快感」を覚える方も少なくないだろう。実を言うと、洗顔料を使って洗顔をしたときの感覚はそれに近い。油脂や老廃物をぐいっと洗い流す清涼感が抜けるような感覚がクセになるなのである。しかし、手間やお金をかけ過ぎてはデメリットがメリットを上回るというもの。そこでお勧めするのがこの商品である。容量180gでお値段825円。1回5グラム使っても1ヶ月以上使えるし、多分、1回で5グラムも使わない(当社感覚調べ)。しかも、手間は顔に塗って洗い流すだけというお手軽さ。化粧水がどうとか、保湿クリームがどうとか、そんなことは...
低所得労働者にバラモン左翼政党以外の選択肢は存在するのか【政治雑記】
「21世紀の資本」で知られるトマ・ピケティ教授が左派政党支持者の属性変化について語っている。1950〜70年代にかけて、西側諸国における左派政党の票田は庶民階級だった。庶民階級とは所得・資産・学歴が低い層のことで、労働者階級と言い換えることもできる。しかし、80年代以降は様相が変わり、高学歴層が左派政党を支持するようになった。無料で見られる部分はここまでだが、この後の動きは政治に関心のある方ならばよく知っているだろう。80年代以降、各国の左派政党は金融自由化や国営・公営企業の民営化を推進するようになる。21世紀に入ると、左派政党の政策主眼はアイデンティティ・ポリティクスに移行していく。そこに再配分政策を掲げていた頃の面影はない。左派政党は社会民主主義政党からリベラル政党に変化した、と言えるだろう。そんな現代的左派政党を支持する高学歴者のことを、ピケティ教授はインドのカースト制度における上位階層になぞらえ「バラモン左翼」と呼んでいる。そして、こうした動きが顕著になるなかで、庶民階級は左派政党を支持しなくなっていく。庶民階級の票は困惑の中で彷徨い続けるものの、ちょうど4年前、トランプ大統領...
【政治雑記】COCOA失敗に感じるついに公共インフラ整備ができなくなった日本の惨状
厚生労働省がコロナ対策として製作した接触確認アプリCOCOA。しかし、肝心の接触通知機能に不具合があり、それが放置されてきたとして問題になっています。こういうニュースを見ると、日本は時代に応じた公共インフラ整備さえできなくなってしまったのだなと悲しくなります。昭和から平成前期にかけての「公共事業」といえば、道路敷設のような土木工事だったり、ハコモノづくりのような建設工事でした。こうした公共事業の功績については賛否ありますが、兎にも角にもモノ自体はできていたわけです。道路が陥没したり、橋梁が落下したり、ハコモノ施設が崩壊したり。そんな発展途上国のようなことは滅多に起きず、自動車が通らない道や橋であれ、利用者のいないハコモノであれ、とりあえずモノはしっかりしていたのです。特に土木関連のノウハウは世界でもかなり高いらしく、東日本大震災後の道路復旧速度なんかは技術の高さや管理体制の良さを示す例としてよく挙げられますよね。ただ、こういった土木・建築関係の技術を社会インフラ構築に使う機会は急激に縮小していくでしょう。消滅していくだけの地方に新しい道路やハコモノは必要なく、整備事業等も減少の一途。三...
【創作論】「1518! イチゴーイチハチ!」の設定から考える、現代の学園漫画において生徒の多様性を描く困難
「1518! イチゴーイチハチ!」という漫画が好きです。王道の青春学園漫画であり、真摯に楽しく高校生活を謳歌する登場人物たちの姿に胸をうたれる作品になっております。そんな「1518! イチゴーイチハチ!」の舞台になっているのが「松栢学院大付属武蔵第一高校」という埼玉県の私立高校。コースが偏差値順に「選抜」「特進」「情報」の3つに別れており、それぞれのコース内でクラスが組まれています。「情報」にはスポーツ推薦で入学した生徒も多いため、スポーツコースと茶化されたりもするという設定。本作は生徒会活動を中心に描いた作品ですので、それぞれのコースから集まった生徒会役員たちが友情を深めていく物語になっております。読んでいるあいだは夢中になって気づかなかったのですが、あらためてこの設定を眺めると、上手く考えたなと思います。現実問題として、都市部であればあるほど一つの高校には同質な生徒が集まりやすい傾向があります。普通科の高校は偏差値ごとに階層が細かく区切られているため、知能や家庭環境の似通った生徒が集まりやすくなっており、工業や商業、情報系や芸術系といった特色ある学科にはその学科に惹きつけられるよう...
【現代社会】コロナ禍における大企業・自治体間における従業員の貸し借りについて
コロナウイルスが流行し始めて以降、大企業間及び大企業・自治体間で社員の貸し借りが行われています。ググれば膨大なソースが出てきますので記事引用等は省きますが、製造業のあいだで工員の貸し借りをしたり、航空会社から地方自治体にCAを出向させることが多いようです。何故このようなことをするのでしょうか。一方では人手が余っており、一方では人手が不足しているから、というのは尤もらしい理屈です。しかし、人手不足側は他企業から人を借りずとも、新規に独自採用する手もあるはず。その手を使わない理由は以下の3点にあるのでしょう。コロナが落ち着くと同時にお互いの需給が戻る社会的批難を受けづらい社会人としての「しきたり」を身につけている①コロナが落ち着くと同時に需給が戻る貸す側も借りる側も、コロナウイルス流行の影響で一時的に人員過剰/不足が起こっているということを理解しています。ということは、コロナ収束と同時にその過剰/不足は解消されると予想されます。再び人員が必要/不要になったタイミングで、つまり、お互いにとって最も都合の良いタイミングで労働力を回収/返品できることが確実なため「コロナの影響によって」人員過剰/...
【現代社会】昔は真面目な人が偉いとされていたのはなぜか【雑記】
それは寿命が短かったからだと思う。厚生労働省の調査によると、1947年における0歳児の平均余命は男性50歳で女性54歳。人によってはこれより早く亡くなっていたわけだから、いまとは人生の感覚が随分違うだろう。ちなみに、江戸時代の平均寿命は30歳代だったらしい。乳幼児死亡率の高さが平均を押し下げている可能性は否めない。それでも、今日の楽しみを我慢して将来に備えるだとか、他者との長期的な関係のために何かをしてあげるとか、そういった思考にはなりづらい寿命であると思う。誰もが「いま、ここ」を享楽的に生きたくなる誘引がいまよりもずっと大きい時代において、真面目に勤勉に実直に生きる、ということは難しかったのだろう。だからこそ、そういう人は尊敬されたし、職場とかで「使える」人材だった。(職場といったって、農家や自営業、その他肉体労働がもっと多かった時代だったはずである)一方で、寿命を考えれば考えるほど保守的に生きてしまう時代が現代である。大学進学率は50%を超え、育児についての気遣いもかなり求められるため、子女の教育にも随分時間を使ってしまうことになる。いまを我慢して将来に備える選択が「普通」な時代。...
【中森明菜】「セカンド・ラブ」という曲の歌詞に感動した話【昭和歌謡】
1980年代アイドルの筆頭といえば松田聖子さんが挙げられると思いますが、松田聖子さんと双璧を成した存在として中森明菜さんも非常に有名です。私は1980年代を生きたことがないので当時の感覚ついては造詣がないのですが、人気では常に松田聖子さんに次ぐ二番手であり、松田聖子さんが光ならば、中森明菜さんは影というような、まるで漫画の設定かと思われるような対称性を持つ二人だったようです。そんな中森明菜さんのサードシングルにして代表曲が「セカンド・ラブ」という曲です。歌詞の冒頭、私が感動した箇所を引用しましょう。恋も二度目なら 少しは上手に愛のメッセージ 伝えたいたったこれだけのフレーズなのですが、恋愛について歌った女性歌手の曲としては非常に斬新な表現になっています。通常、恋愛について歌った曲は2種類に分けられます。一つ目は、積極性や性愛に対する奔放さを前面に押し出した曲です。女性が男性に対して積極的にアプローチをかける様子だったり、世間の目や抑圧的な価値観に反抗してでも性的な事柄への素直な欲求を表明する自分、というものが表現されます。中森明菜さんもセカンドシングルである「少女A」はこのタイプの曲だ...
【眞子さま佳子さま】皇族の子女たちは「普通」に憧れを抱き続けるのだろうか
「ローマの休日」というタイトルの映画をご存知の方も多いでしょう。堅苦しい王族生活に嫌気が差した王女アンが、欧州外遊中にローマ市街へと逃亡。偶然出会った一人の男性とデートをして過ごし、その中で成長するという物語です。本作の公開は1953年ですが、王女が王族生活に嫌気がさす、なんて感覚を表現した点において時代を先取りした映画になっております。少なくとも第二次世界大戦以前の世界であったならば、アン王女も「王族生活に嫌気がさす」なんてことはなかったでしょう。一般市民のほうが貧しくて自由もなく、王侯貴族のほうが豊かで自由に振舞えた時代だったのですから。しかし、多くの一般市民が豊かさや自由を手に入れた現代においては、アン王女が王族生活に嫌気がさしてしまったように、むしろ皇族・王族が一般市民的な生活に憧れを抱く世界が訪れております。例えば、イギリス王室を離脱したハリー元王子とメーガン元妃の胸中には王室生活の息苦しさがあったことは確かでしょう。(もちろん「苦しいことなんて一切ゴメンだ、組織になんて貢献したくない。自分を満足させるためだけに生きたい」なんて我儘は大人が表明するべき感情ではありません。イギ...
【大企業病研究】日本の大企業が新卒一括採用を続ける理由について
就活シーズン真っ只中ということで、2022卒の大学生たちはセミナーや面談・面接に飛び回っているのではないでしょうか。といっても、コロナ禍の中ではオンライン面接等が主流になりつつあるという話も聞きますので、今年はステイホームな就活になっているのかもしれませんね。さて、そんな「就活」ですが、大量の新卒者を大学卒業直後の4月1日に一斉入社させる「新卒一括採用」というシステムが日本独特であることはよく知られています。この新卒一括採用制度には根強い批判もあるのですが、本稿では、なぜこの新卒一括採用制度が惰性のように延々と続けられるのかという理由について考察していきます。結論から述べますと、それは「新卒一括採用による失敗が経営者の視界に入りづらいから」です。新卒一括採用された若者たちはまず、最も下っ端の人員として各部署に配属されます。このとき、あまり芳しくない新卒者が採用され、ある部署に配属されたとしても、その悪影響は経営者に対して自動的に秘匿されます。なぜなら、その職場の管理職・中堅層は、業務のパフォーマンスを落とさないよう、その新卒者の落ち度を補おうとするからです。新卒者が大きなミスをしていた...
【政治雑記】モリカケや河合夫妻の贈賄では内閣支持率が決定的に下がらなかった理由を考える
朝日新聞が森友学園問題を最初に報じたのは2017年の2月、同じく加計学園問題を報じたのは2017年の5月、週刊文春が河合夫妻の贈賄問題を最初に報じたのは2019年の10月です。下のグラフを見ていただくと分かる通り、モリカケ問題発覚直後には内閣支持率が下落しておりますが、2、3ヶ月もすれば元の水準に戻っています。また、河合夫妻の贈収賄では支持率がほとんど動くことはなく、内閣支持率が下がり始めるのはコロナウイルスに起因する緊急事態宣言が発令されるあたりからです。NHKのホームページより()筆者切抜モリカケ問題には様々な見方があるとは思いますが、自民党にやましいことが一つもなかったと考えている人は流石にいないでしょう。森友学園問題に関しては公文書改竄も為されていたようで、財務省の職員が自殺しているという事実もかなり衝撃的です。そして、河合夫妻の問題についても、程度の差こそあれ自民党が悪いことをしたんだろうという認識は多くの人々が共有するところだとは思います。それではなぜ、それなりの問題にも関わらず、内閣支持率は決定的に下がらないのでしょうか。その理由はおそらく、自民党なんだからこういう不祥事...
【日常雑記】ぺこぱの漫才の革新性について語る
「M-1グランプリ2019」での決勝進出以降、人気芸人の座を手に入れたぺこぱですが、あらためてM-1での漫才を鑑賞すると、その漫才としての革新性には驚きを禁じえません。そもそも、漫才は「ボケ」が馬鹿げた発言や行動を見せ、それに対して「ツッコミ」が常識的な発言をすることで「ボケ」を諌めるという形式が王道とされています。しかしながら、ぺこぱの漫才では「ボケ」が常識外れなのではないかと思われるような言動をしたあと、「ツッコミ」が「常識は変わりつつある」という現状分析を表明して笑いを誘うわけです。「ツッコミ」が常識的な発言をする、という面白さの枠組みを変えないままに、ツッコミ方に全く新しい方法をもたらし、それまでのツッコミを一瞬にして古いものに変えてしまった。その衝撃はいつ見ても新鮮なものです。ぺこぱの漫才を見て以降、他の漫才師の漫才を観るときには「そのボケに対する否定的なツッコミは、果たして現代における『常識』的発言なのか」という視点でつい見てしまうようになりました。また、時代を取り入れる難しさ、特にある種のポリティカル・コレクトネス的な風潮を漫才に取り入れることの難しさに正面突破で成功した...
【大人になれ、オトコになれ】映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」庵野秀明 評価:3点【アニメ映画】
1990年代に放映されたアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の劇場版であり、原作を再構築(リビルド)した作品として製作されております。90年代の作品ではあるものの、凄まじい人気はいまでも健在。現実世界でも様々なコラボが行われているため、アニメ好きという方でなくとも名前くらいは知っているのではないでしょうか。そんな名作のリメイクである映画シリーズは4部作となっており、これまで3作品が公開されております。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」舞楽における幕構成の概念「序破急」からタイトルが取られており、公開年はそれぞれ、2007年、2009年、2012年と、長い時間をかけて製作されているシリーズになっております。ファンの方々の忍耐強さと、人気の根強さが伺えますね。そんな三作品を視聴してみたのですが、特に「序」と「破」は良作だと感じました。頼りなくて幼稚な自己認識・世間理解しか持っていなかった少年が大人の「オトコ」になっていく。その過程を生々しく迫力満点に描写している側面に文学性すら感じる作品です。(本記事では「序」の感想を述べ、「破」以...
【思春期の蹉跌】Adoの「うっせえわ」は良い曲だが、有線では流さないであげてほしい
Adoの「うっせえわ」という曲が流行しているようです。思春期の少年少女を彷彿とさせる非常に反抗的な歌詞が特徴的で、尾崎豊の「卒業」やチェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」を連想する方々もいらっしゃるとのこと。個人的にも、この「うっせえわ」という曲は非常に好みで、流行していることを喜ばしく思っています。メロディも歌詞も特段良いなどどは感じないのですが、現代を生きる十代の少年少女たちだってこのような曲が好きなのだと思うと、日本からはまだ一番大切なものが失われていないのだと感じます。ところで、この「うっせえわ」が店内の有線放送で流れているのを耳にしたのですが、思わず苦笑してしまって、さすがに有線では流さないであげて欲しいと感じました。本当にこの曲が好きな少年少女にとって、人が集まる場所でこの曲を聞くことほど気恥ずかしいこともないでしょう。学校という社会、あるいは、家庭という地獄からも逃れた場所で、自分の抱える不満や鬱憤を代弁してくれる作品。そんな楽曲は、部屋の中で一人で聞くのが正しく効用的で耽美であるのです。あんな歌詞とメロディの曲が、「流行ってますよ」なんて顔して公共のBGMに供されてし...