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「はてしない物語」ミヒャエル・エンデ 評価:2点|いじめられっ子の成長を描くファンタジー冒険物語【海外児童文学】

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はてしない物語
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ドイツの児童文学者ミヒャエル・エンデの作品。

「モモ」と共に彼の代表作として扱われることが多い著作です。

児童文学といえど単行本で600ページを越える大作で、岩波少年文庫版では対象が「中学以上」となっている読み応えのある大作。

「ネバーエンディング・ストーリー」という題で映画化もされています。

感想としては、読み手を選ぶ作品だなという印象を受けました。

幻想的なファンタジー世界の造形は見事ですし、恵まれない環境で育った少年が力を手に入れて慢心し、やがてその慢心から身を滅ぼしかけるものの、それを克服して最後は真理に到達する、という物語も王道なりに楽しめます。

ただ、こうした「ヨーロッパ的ファンタジー世界」を受け入れる心持ちが最初からある人以外には展開が唐突で突拍子もなく思えるでしょうし、主人公の性格も万民に受け入れられる人物かといえばそうではないと感じました。

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あらすじ

バスチアン・バルタザール・ブックスは読書好きの小学生。

しかし、勉強も運動もからきしダメなうえデブでX脚なのでクラスメイトにいじめられている。

母親は既に亡くなり、そのことがきっかけで父親とのあいだにも溝が出来ていた。

そんなバスチアンはある日、「はてしない物語」という小説を手に入れる。

「虚無」に飲み込まれ滅亡の危機に瀕するファンタージエン国をアトレーユという勇敢な少年が救う物語なのだが、読み進めるうちにバスチアンは徐々に違和感を覚えていく。

小説を読みながら呟くバスチアンの声が、物語の展開に影響を与えているように感じられたからだ。

物語の終盤まで到達したとき、バスチアンの疑念は確信に変わる。

ファンタージエンの世界から呼ばれたバスチアン。

本の中に入ったバスチアンが描き出す、もう一つの「はてしない物語」が始まる…….。

感想

ちょっとファンタジーが「濃すぎる」印象ですね。

読んでいけば慣れていくのですが、序盤はあまりに唐突なファンタジー世界の説明に面食らいました。

架空の世界における自然や生物のだらだらとした外形説明が連発され、想像力を追随させるのがやっとです。

また、「ファンタージエン国はこういう国なので、こういう現象が起こるんだ」のようないかにも説明文的な説明文が多く、説明書を読んでいるかのような印象を受ける場面が頻出します。

翻訳の問題かもしれませんが、説明も物語の一部である限りは、説明文でありながら読者の興奮をかきたてるような工夫が欲しいところです。

本作の書き方では「そうなっているからそう」とまるで学校の規則を説明されているときのような、ルールが押し付けられている感があり、児童書ということも考慮に入れると相当に難ずべき点であるでしょう。

また、主人公が典型的ないじめられっ子という設定もそれほど意味を持っているとは感じられませんでした。

本作の中盤以降でバスチアンが戦うのは「慢心」や「奢り」といった人間なら誰でも持っている普遍的な感情であり、特に「いじめられっ子である」という点が重要ではなかったように感じられます。

もちろん、敬意を集めることや良い風貌を手に入れることに執着してしまうのは現実のバスチアンがいじめられていて見た目も醜悪ということがきっかけにはなっているのですが、極端ないじめられっ子で極端に見た目が悪いから~という感情を抱く、という展開では特段いじめられっ子でもなければ酷い容姿でもない一般的な読者の心理には訴求しないでしょう。

自己顕示欲や美貌への執着は一般的な人も持っている感情であるのですから、いじめられっ子の心理としてではなく、もっと普遍的な心理として描いた方が多くの読者にとって共感できる物語になるのではと思います。

ただ、こういった小説がそういった少年少女のためにある(対象にしている)というのは読書界隈の事情として否めません。

本作が世界的な大ヒット作となったのも、そもそも少年少女の読書層というのが、バスチアンと少なからず同じ境遇にある、バスチアンに共感するような人々であるということが原因になっているのでしょう。

しかし、個人的には、もっと一般的で普遍的な心理に訴求する作品でなければ、真理を突く文学としても劣位にある作品だと評価せざるを得ないと思いますし、娯楽を提供するエンターテイメントとしても、読者層の周縁化を押し進めてしまって読書界隈を却って縮小させてしまうと思うのです。

出版業界凋落の評判も聞こえて久しいところですが、あまりに周縁的な読者層ばかりを相手にしていてはビジネス規模が縮退していくのも仕方がないことでしょう。

1979年刊行の海外児童文学に対して言うことではないかもしれませんが、小説出版界隈には真理追及や娯楽の「王道になる」という意識が欠けていて、そのツケがいまになって回ってきているのではないでしょうか。

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