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「涼宮ハルヒの直観」谷川流 評価:1点|9年半ぶりに出版されたシリーズ最新作は深い失望を伴うミステリ風の駄作【ライトノベル】

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涼宮ハルヒの直観
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幼い頃、父親に連れられて行った野球場で、観戦に来た何万人という人間を目の前にしたとき、ハルヒは絶望したのです。

利発で快活で、人間関係の中心的な人物で、まるで世界は自分のものみたいで、全ては自分の思い通りになるのだと言わんばかりに人生を謳歌していた小学生のハルヒ。

しかし、野球場の観客席に座ってはじめて、自分が世界の中で非常にちっぽけな存在でしかないことにハルヒは気づくのです。

帰宅後に自室で世界の人口を調べながら電卓を叩く少女時代のハルヒ。

「何万人」という数でさえ世界人口の何十万分の一でしかないことを知り、少女は悲しみに打ちひしがれます。

それから、世界に何とか影響を与えたい、自分の存在を世界にアピールしたいという想いに囚われ、ハルヒは奇行を連発するようになるのです。

疎まれようが蔑まれようが奇行をやめないハルヒに、ある日、神様が「無意識に世界を改変できる」能力を与える。

けれども、それは「無意識」下で起こることだから、本人はその能力に気づいていない。

一方、ハルヒの周囲に現れた宇宙人・未来人・超能力者は事態の重大さに気づいていて、宇宙人は自らのボスである「情報統合思念体」からハルヒの利用可能性を探るために派遣され、未来人は自らの未来に繋がる世界の道筋を改変から守るという任務を帯びて現代に降り立ち、超能力者は決定的な改変による現在世界の崩壊を防ぐために獅子奮迅する。

宇宙人・未来人・超能力者は、当初はハルヒを脅威と見なして警戒していましたが、一緒に学園生活を送る中でハルヒの持つ勇気や優しさに気づいていき、その感情は次第に親愛へと変わっていく。

そして、ハルヒに対する立場の違いからお互いに疑心暗鬼だった宇宙人・未来人・超能力者同士も、SOS団(主人公のキョン、ヒロインのハルヒ、宇宙人の長門有希、未来人の朝比奈みくる、超能力の古泉一樹の5人から成る非公式の部活動)での活動を通じて信頼を深め合い、何の変哲もない存在なのにハルヒに好かれているという理由でSOS団に加入しているキョンとも特別な友情を育んでいきます。

「偶然同じ場所に集まった人間」であり、背負っている任務や立場の違いから潜在的には対立関係にある登場人物立ちが、奇妙だけれど深い関係を築いていく。

その過程の描き方こそ、本シリーズの魅力だったはずです。

第1巻「涼宮ハルヒの憂鬱」において、ハルヒの過去や考え方を知り、ハルヒの深い部分を理解することで、単なる奇行少女ではないんだとキョンがハルヒへの認識を改めていく過程。

夏合宿で偽の犯人を無意識にでっち上げようとしたり、文化祭でトラブルに見舞われたバンドを助けるため代役として舞台に上がったりと、元来の優しさや勇気によって周囲に良い影響を与えようとし始めるハルヒを見て、SOS団の団員たちがハルヒを「脅威」から「友達」だと認めていく過程。

そして、ハルヒが無意識に巻き起こす様々な事件を解決する中で、お互いを特別な存在だと見なしていくハルヒを除く四人の絆。

そういった、波乱の中で少しずつ人間関係が育まれていく様子こそ本作の根源的魅力であり、だからこそ、多くのSSは人間関係に焦点を当てていたのです。

さらに、そうやって友情を育みながらも、宇宙人・未来人・超能力者にはそれぞれ背負う使命があり、その使命と友情の狭間で葛藤する際には並々ならない苦悩を見せます。

朝比奈さんが悲しげな表情で「禁則事項」ですという場面や、第4巻「涼宮ハルヒの消失」全編において描かれる長門有希の暴走する心情、古泉が時おり口にする、キョンの怒りを買うほどの強硬策的な解決手段。

こうした「関係性」や「感情」を巧みに描いたヒューマンドラマ的側面こそが「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズの本質であり、「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズが好きだと公言される際には、SF設定やミステリ的な謎解き要素よりもこういった側面が強調されることが大多数だったはずです。

世界を必要以上に冷笑的で斜めに見てしまうような年頃、幼い空想主義者から未熟な現実主義者へと変化していく過程にあってなお、心の底では非現実的な出来事を望んでいる時期。

幼いころに抱いていた万能感が打ち砕かれ、自分は世界の隅でひっそりと生きる小さな存在でしかないのだと知って絶望する時期。

そんな、思春期という時期ならではの行き過ぎた感情を巧みに描写することで、「思春期」真っただ中の現役中高校生から、かつて「思春期」を過ごしていた大人たちまでもを深い共感で魅了する作品。

特別な時間を一緒に過ごすことを通じて育まれる友情がある一方、与えられた冷徹な任務と芽生え始めた暖かな友情のはざまでの葛藤もある。

題材はぶっ飛んでいるのに、内容はどこか現実的で、迫真性のあるスリリングな感情の波に晒され続けることで興奮のやむことがない作品。

人間の情熱や葛藤がこれでもかと描かれる、純文学的な側面すらある作品。

それが「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズだったはずです。

また、長門有希や古泉一樹、朝比奈みくるがその任務を果たそうと努力する場面も、一般的に注目されることは少ないかもしれませんが、個人的には好きな要素でした。

ときに敵(朝倉涼子)の襲撃からキョンを守り、ときに世界を小さく改変してハルヒによる大改変を阻止していく長門有希。

いつも先んじて手を打ちながらハルヒの機嫌を取り続け、閉鎖空間では心身を削りながら文字通りの戦闘を行う古泉一樹。

そして、それ以上に、個人的に好みだったのは、朝比奈さんの頑張りです。

バニーガールのコスプレをさせられても、何も事情を知らないまま昏睡させられても、B級映画撮影のために汚い溜池に飛び込むことになっても、パソコンを得るためにセクハラの対象にされても、いつだって故郷である未来のため彼女は懸命に耐えています。

ことさら英雄的でないぶん、惨めさが際立っていて、そこが切なさを際立たせます。

本作はライトノベルではあるのですが、バニーガールのコスプレだとか、溜池に飛び込むことだとかを、ある程度現実的に深刻なことだと作中で捉えているところに良い味があるんですよね。

自分が守りたい世界のために、その熱意を言葉少なに、これ見よがしなことはせず、静かな行動や態度で示す。

大声で叫びながら必殺技を出す作品との際立った違いであり、粋な魅力です。

さて、随分と長い前置きになってしまいましたが、これくらいの想いが「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズを語る前提にあるのだということを示したからこそ、本作に対する評価1点という結論も納得して頂けると確信しております。

本作収録のエピソードはどれもミステリ仕立てであり、特に「鶴屋さんの挑戦」の前半部では、登場人物たちのミステリ談義という形式を採ってミステリの作法が読者に対して長々と解説されます。

しかし、これまでのシリーズ作品と同様に、本作で提示されるミステリや推理はそれぞれの分野の一流作品には当然ながら及ばない程度のクオリティです。

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