小説 「細雪(中)」 谷崎潤一郎 星3つ

細雪
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1. 細雪(中)

今日でも読書子に愛され続ける谷崎潤一郎の大長編、「細雪」。斜陽の旧家、蒔岡家の三女である雪子の縁談を中心に話が進んだ上巻から変わって、中巻では四女である妙子を襲う波乱が中心に描かれます。上巻の感想はこちら。

上巻はいかにも昔といった雰囲気のお見合いが中心なので、「旧い小説を読む」という意識でいればそこまで違和感を覚えないのですが、ついに妙子という現代的な人物にスポットが当たることで、谷崎がこの小説に仕込んだ興味深いギミックが見えてきます。

2. あらすじ

蒔岡家の三女である雪子のお見合いが相次いで破談となる中、雪子が縁付くまでは結婚できない立場である四女の妙子は人形作りに打ち込んでいた。百貨店にも出品されるほどの腕前である妙子の人形作りは趣味の範囲を超えた域に達しており、専用の仕事場を持って弟子をとるほど本人も力を入れている。

そんな妙子が洋裁にも興味を持ち始めたらしい、という話が蒔岡家次女である幸子の耳に入ったのは、雪子と野村のお見合いが破談になってしばらくしてから。本人はフランスに留学して本格的に勉強し、将来はその道で生計を立てていけるようになりたいとのこと。

蒔岡家の令嬢が職業婦人、そんなことはさせられないと周囲からは反対の声が挙がる。妙子には貴金属商の三男である奥畑という恋人もあり、結婚すれば頼っていけるのに。しかし、妙子は将来も奥畑に頼れる保証はないと言い張る。奥畑のお坊ちゃん気質で奔放なところを知っている幸子は、これにも一理あると思い、妙子を留学させることへの思いは揺れていた。幸子の夫である貞之助も、戦時下には女性もしっかりしなければならないと妙子を支援する意見を述べている。

そんな中、妙子のもう一つの趣味である山村舞(上方流の日本舞踊)の発表会が開催されることになった。その会場に現れたのが、蒔岡家を得意先としている写真屋の青年、板倉。妙子の人形製作でも展覧用の写真を撮ったりしていて、旧家の蒔岡家の面々とは身分の違いこそあれ気さくに言葉を交わす仲だった。

そして、発表会が終わって一ヶ月後。幸子たちの住む阪神間を猛烈な豪雨が襲う。大洪水の中、洋裁の学校へ行った妙子の行方だけが知れない。蒔岡家とその周囲に動揺が走る中、板倉がとった行動とは……。

3. 感想

上巻が三女雪子の縁談中心だったのに対し、中巻は四女妙子の恋愛が軸になります。人形製作も洋裁も舞も才能があり努力を怠らない妙子。しかし、普段の振る舞いはやや旧家としての品位に欠ける部分があり、かつては奥畑との駆け落ち騒動まで起こしたことがある(いまでは一応、仲が認められ、特に奥畑は妙子と結婚することを確信している)ので、幸子は妙子よりも雪子を評価している。とはいえ、あまりに引っ込み思案で電話の応対もろくにできず、家に引きこもって悦子と遊んでばかりいる雪子と、才気と向上心に溢れた妙子の対比を見ると、現代の視点から見れば妙子がやや可哀想に思えてしまうのではないでしょうか。姉妹で結婚の順番を待たなければならないという風習に縛られているのも、この時代では当然だったのでしょうが、妙子がフラストレーションを感じていてもおかしくないと思ってしまいます。

そうした、時代による物事の見方の違いを感じるという意味で、あるいは、価値観の岐路にあったこの1930年代を観察するという意味で、この中巻の展開は興味深いものになっています。大雨と大洪水の中、幸子の夫である貞之助が妙子を探しに行くも、入れ違いで妙子は帰ってくる。妙子は水に囲まれた洋裁学院で身動きがとれなくなっており、浸水に命の危機を感じていたのだが、そこを救出したのが妙子に恋する板倉だったというストーリー。一方、婚約者であるはずの奥畑は蒔岡家を訪ねたものの、大雨にも関わらずスーツにステッキのいで立ちで、服が汚れるから外を歩きたくない、そして結局、妙子を助けに遠出したりはしない。

現代の話ならば、「奥畑なんて早く振ってしまって板倉に乗り換えろ」といったところでしょう。葛藤があるとすれば、一介の写真屋に過ぎない板倉と貴金属商の坊ちゃんである奥畑の資産の差でしょうか。とはいえ、そこで悩むだけのフィクション作品など面白くないでしょう。そんな物語ならば、本作は古典になどなっていないはずです。

この「細雪」の面白いところは、「蒔岡家の妙子と写真屋の板倉では身分が釣り合わない」という論点について、語り手である幸子が極めて敏感に反応し、板倉など論外だと断じるところです。もちろん、周囲からも反対の雰囲気が挙がるのですが、最も強硬な反対派は幸子自身であり、地の文として、それが当たり前であるかのようにこの恋愛を批難する感情が叩きつけられます。妙子が洋裁や留学、自活などと言っていた本心も実は板倉との結婚に備えたものであることが仄めかされると、幸子の感情は一層高ぶるばかりです。一方で、夫で婿養子の貞之助があまり身分差に拘っていないのもポイントで、語り手であるにも関わらず、幸子が少しずつ「浮いて」いる空気が伝わってくるのです。

幸子に感情移入しっぱなしであったり、この時代はこんなもんだ、という頭で読み進めてしまっていると見落としてしまうと思うのですが、妙子が職業においても恋愛においても自らの道を切り拓いていこうとする姿と、雪子があくまで名家の令嬢として保護されながら、望み薄い我儘縁談に連れられて行く様子の対比を物語の骨格にしつつ、それを実のところ旧い価値観の体現者である幸子に、あたかも彼女が中立的であるかのように錯覚させる筆致で物事を語らせるという技巧に「細雪」の本質があるのだと思います。ある種、「信頼できない語り手」のバリエーションともいえるでしょう。蒔岡家全盛を朧気ながら知っていて、旧い習慣の中でお見合い結婚した幸子。そんな幸子が、旧習の立場から、激動する時代の激変する価値観について行けずに語っている。そんな見方をして初めて、きっと時代の流れに敏感だった谷崎がこの小説で表現したかったことに到達できるのではないでしょうか。表面上は幸子に思わず共感し、妙子を批難したい俗世間の人々向けの鬱憤晴らしエンタメ作品、しかし、その実、旧習の中で報われず、もがく人々への賛歌と熱い同情。事実、中巻の最後、板倉は医者の拙い治療が元で亡くなってしまいます。医者の評判、という言葉が作中にも多く登場するのですが、身分が低いものは多少なりお金があっても良い医者に係れない、「医者の評判を知っている」という文化資本関係に参入できていないから、という姿をありありと見せつけながら板倉は死んでいくのです。

旧習に囚われた零落の蒔岡家、その令嬢である雪子が縁談に苦戦する様子を描いた上巻。新しい時代を代表するような妙子の職業観や恋愛と、それを快く思っていない、自分では「常識人代表」のつもりの幸子が描き出された中巻。そして下巻では、雪子と妙子、それぞれの意味深長な結末が描かれます。

下巻に続く

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