人気小説家である森見登美彦さんの同名小説を映画化した作品で、監督は「台風のノルダ」(文化庁メディア芸術祭アニメーション部門新人賞受賞、2016年地上波放送)や「陽なたのアオシグレ」(第17回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門審査委員会推薦作品)で頭角を現してきた新進気鋭の石田監督が務めています。制作も2011年設立のスタジオコロリドが手がけるなど、インディーズ色の濃い布陣。こういった映画が大手から配給され、上映館数もそれなりに確保できるのは近年のアニメ映画ブームによるところが大きいのでしょう。

感想としては、イマイチだったが、そもそもジブリや人気版権もの(ポケモン、ドラえもん、コナン、クレしん、アンパンマン)ではないアニメ映画とはこんなものである、というところでしょうか。「時をかける少女」が当初ミニシアターでの上映のみだったということに以前触れましたが、そういったこれまでのアニメ映画が置かれていた環境ベースでは上出来の作品。しかし、細田守や新海誠がメジャーになり、数々のヒット作が生まれる中でメインストリーム化していった現在では物足りなさが大きいですね。「君の名は。」が普段アニメ映画を観ない層も巻き込んでブームを起こしましたが、その勢いの中で本作のような作品も出てくれば「こんなもんか」となり、アニメ映画のプレゼンスも妥当な位置に落ち着いてくるでしょう。



〇あらすじ

アオヤマ君は非常に研究熱心な小学4年生。気になったことは何でもノートに書き留め、観察と探求を怠らない。そんなアオヤマ君にも気になる人がいて、それは同級生のハマモトさん、ではなく、近所の歯科医院に勤める「お姉さん」。歯科医院に通うアオヤマくんとの仲は、喫茶店で一緒にチェスを指すくらいには進展している。

そんなある日、アオヤマ君の住む街に突如、ペンギンの群れが現れる。北極や南極からは程遠い街での大量発生はニュースにもなり、街は大混乱。そしてもちろん、アオヤマ君はペンギン大量発生の原因調査を開始する。しかし、研究仲間の級友であるウチダ君と一緒に街中を歩き回って探索するものの、ペンギンたちが森に向かって歩いていくことくらいしか分からない。

難航する研究。ところが、ひょんなことからアオヤマ君はペンギンの「出どころ」を発見してしまう。「お姉さん」の投げたコーラの缶が姿を変え、ペンギンになってしまうのである。

同じ頃、ハマモトさんに誘われ、アオヤマくんは「海」の研究も始めることになる。それは一般的な意味の海ではなく、裏山を抜けた先の草原に浮かぶ、水の球体のことだった。

「お姉さん」の正体は何なのか、「海」とペンギンに関係はあるのか、そして、アオヤマ君の恋の行方は......。ひと夏の冒険を描く、ファンタジー色溢れる物語。


〇感想

どうしても不自然な表現や描写が目につきます。アオヤマ君の喋り方や、「お姉さん」がアオヤマ君と親しげに喋って子供の遊びに付き合い、あまつさえ海に誘うところなどはリアリティの欠片もありません。もちろん、アオヤマ君の喋り方はアニメ主人公の「キャラ付け・誇張」として狙ったものであり、「お姉さん」が厳密には人間でないことを考慮すれば設定上は許されるのかもしれませんが、それでは、そういった「設定」がこの物語にいったいどんな効果を生んでいるというのでしょうか。ただ奇妙なだけで、リアリティや共感、日常との近さを感じないうえ、特段、惹きこまれるような魅力もありません。

また、同級生や学校の描写にしても何をしたかったのかがさっぱり分からないというところ。スズキ君たち「ガキ大将」ポジションの生徒が行うイジメも古臭いですし、アオヤマ君の単純なほら話に引っかかるほどスズキ君が「単細胞」な人物に描かれるのもステレオタイプ過ぎます。幼稚園児向けの作品か、そうでなければ「ドラえもん」のようなステレオタイプを楽しむまでに昇華された作品でなければ許されないでしょう。加えて、教室でチェスが流行っている、というのもほとんどの観客にとって違和感しかなかったのではないでしょうか。いつの時代においてもチェスを嗜むのは教室の隅の変わり者であり、主流派の行うことではありません。ところがこの作品では、チェスの強いハマモトさんが級友たちの敬意を集めており、スズキ君がそこでつまらなそうにしているという構図。殊に小学4年生の教室なのですから、スズキ君のようなタイプが「流行の遊び・最先端の遊び」を牽引しているべきであり、また、それも男子の間だけで、女子には別の流行がある(もちろんチェスなどではありません)というのが自然でしょう。それをチェスに置き換えたのは脚本の都合意外に特段の事情があるように思えず、「観客に理解を求める」という甘えた構造になっています。

それどころか、この作品にはスマートフォンさえ登場しませんし、パソコンの姿は確認できるもののインターネットについての言及が全くありません。それは大人たちの社会を描くのにも不自然ですし、子供たちの間を席巻しているオンラインコンテンツ(Youtube、ソーシャルゲームなど)がないのもあまりにリアリティを欠いていて、どの世代から見てもおかしな舞台設定になってしまっています。たとえ「インターネット以前・スマートフォン以前」の年代という裏設定があるにしろ、それを全く活かせていません。なんらかの効果を狙って別の時代を描いているのでなければ、視聴者が身近に感じ、共感できるような舞台設定にしておくべきです。そうでなければ感情移入させることは困難でしょう。

他にも、アオヤマ君が「お姉さん」からもハマモトさんからも好意を持たれている理由が不明で、完全にご都合脚本・設定になっています。また、「お姉さん」のおっぱいに対するアオヤマくんの言及やカメラワークは物語の進行上全く不要で、伏線などにもなっていないにも関わらずむやみに強調されており、意味不明を通り越して不快に感じる人もいると思います。やたらに広い裏山の中の草原、「海」の存在に最終盤まで気づかない大人たち、海辺の喫茶店で「お姉さん」とアオヤマ君がチェスをするなど、とにかく私たちの日常から考えて親しみを持てるシーンがあまりにも少なく、「よくわからない映像と会話が2時間続いた」と感じてしまう人も少なくないでしょう。「~は~を象徴している」や「~の婉曲的な表現」などは映画の制作・視聴文脈に通じている人ならば何となく分かるかもしれませんが、そうでない大多数の人にとっては理解不能で苦痛でしょう。

ただ、こういった表現上・設定上の違和感はまだ些細なもので、物語の根幹となるペンギンと海、そして「お姉さん」の関係が曖昧で投げっぱなしのまま終わってしまうのが最大の良くないところ。無論、後付けで色々想像を差しはさめば整合性のあるストーリーを描くこともできなくはないですし、「映画とはそういうもの」という玄人めいた意見があるのは分かりますが、それではニッチでマイナーな偏執狂映画の括りを出ません。「世界に穴が開いていて、それが世界を飲みこもうとしている。ペンギンはそれを修理するために生まれてきた」と言われたって普通の人はぽかんとするだけですし、「そのペンギンを生むお姉さんは人間ではなく、穴の消滅とともに消滅してしまう」という謎の設定が混乱に輪をかけます。ジャバウォックやコウモリはもはや何が言いたいのか想像も難しいレベルです。

エヴァンゲリオン以来の風潮なのかもしれませんが、アニメであることに甘えて意味不明なことをしても(むしろする方が)盛りあがるという考え方は原則として間違っています。これはエヴァが残した負の遺恨の一つでしょう。もちろん、考察余地や残った謎があってもいいのですが、それを除いたうえでも良い物語が成立していなければ何時間もの視聴に堪えられません(最終話や近年の映画版はともかく、TV放映版の中盤までならばエヴァは謎要素が分からなくても面白く観れますよね)。これは「君の名は。」が人気で他の「2匹目のどじょう」的作品がイマイチ振るわない構造にある程度共通することで、「君の名は。」は未解決の謎やSF的矛盾がありながらも、大筋では視聴者の当然抱く疑問や期待には作中で明確にアンサーし続けました。恋愛的側面、街を救う冒険的側面、コメディ的側面。これらの「盛り上がり要素」については全てが理解可能な形で提示されています。「大筋のストーリーや盛り上がりポイントは直感的に理解でき、未解決の謎があることや矛盾は考察で気づく作品」と「大筋のストーリーに未解決の謎や矛盾が張りついていて、その場その場でどう盛り上がれば良いか分からない作品」は全く違うものです。後から考察して分かる謎や矛盾に自ら意味を与えて初めて大筋のストーリーが理解できる作品が本作であり、これでは良い作品とはいえません。良い作品とはその場の盛り上がりで楽しく、なおかつ考察して楽しい作品なのです。次点はその場の盛り上がりだけは楽しく、考察要素はない作品(少なくともその場は楽しい)、最後が本作のような作品で、解釈を施すのも面倒になり、分かったとしても徒労感があります。

さらには、そういった要素を全て脳内想像で補完できたとしてもなおこの作品には視聴を難ずる点があります。それは、「どうせ解決するんだろう」感、あるいは、「それは重要か?」感です。上述のように、この作品にはあまりに虚構の要素、ファンタジー的要素が多すぎ、視聴者も現実とこの作品を結び付けることを途中で放棄するに違いありません。これは、なにもかもが架空の世界の物語である、と。そうなれば、たとえ「現実的には」絶望的な状況が訪れたり、「もし現実なら」大切なものが失われる瞬間にあってさえ、(理屈抜きの超自然的な方法で)どうせ解決するんだろうと考えてしまいますし、実際に本作ではそのような方法が執られます。これでは感動とはほど遠いでしょう。

とはいえ、確かに、「あまりにもファンタジー」で「考察ありき」な作品は、例えば一部の深夜アニメのファンには需要があるのでしょうし、アオヤマ君やお姉さんをはじめとした登場人物たちの半ば非現実的な言動はむしろ森見登美彦さんのファンならば「これこそ」という感じかもしれません。

そういったところまで考慮に入れれば、「ターゲットが中途半端だった作品」ともいえると思います。夏休みの親子層を狙ったのか、それとも、コアな小説/アニメファンを狙ったのか。どちらにしろ中途半端になってしまった印象。前者に受け入れられるには「この程度の完成度ではとても」という作品で新興アニメ―ションへの失望を与えてしまいますし、後者にアピールするならばもっとエキセントリックにしなければならなかったでしょう。

ここまで設定や物語については散々言ってきましたが、逆に作画や声はなかなか良かったと思います。「お姉さん」の声も最初は違和感がありましたが、ステレオタイプなアニメ声でないのが却って良いですね。「お姉さん」の現実感を唯一支えたのは蒼井優さんだったと思います。この点には星を一つ付加しても良いでしょう。

アニメ映画の流行がある中で、本作でも全国上映されるようなボーナス状態に業界はあるといえます。だからこそ、下手な作品を出してアニメ映画のメインストリーム化を妨げるようなことはしてほしくありません。先人たちが踏みならしてきた「ペンギン・ハイウェイ」をもっと見習い、今後はより良い作品を作ってほしいところです。