コミカルな作風ながらアニメ業界の光陰を絶妙に表現しているアニメ「SHIROBAKO」。その感想第3弾です。その①では主人公格の5人、その②では周囲の脇役(特にベテラン勢)を中心に記述いたしましたが、今回はもう少し視点を広く持ち、「お仕事」アニメとしてのSHIROBAKOに焦点を当てていきたいと思います。

宮森あおいが「武蔵野アニメーション」に就職し、アニメ業界人/社会人としての苦しみや喜びを体験していく、というのがこの物語の最も簡潔な紹介になることは前編でも述べましたが、アニメーション業界に関わらず、「仕事」一般にまつわる多くの真実を抉りだしているのがこの作品の特徴。リアルな事例を出して視聴者に生々しさを感じさせながら、フィクションのエンターテイメントとしての見せ方も優秀であり、むしろその相乗効果が傑作に仕立て上げているといえるでしょう。



〇あらすじ(第23話)

7年ぶりの元請け作品、「えくそだすっ!」が好評だったこともあり、大人気漫画「第3飛行少女隊」の制作を請け負うことができた武蔵野アニメーション。様々なトラブルに見舞われながらもなんとか最終話の絵コンテが上がり、収録まで済ませた矢先、事件が起こる。

原作者の野亀先生が最終話の展開を拒否。制作やり直しを要請してきたのだった。

粗雑な対応で野亀先生に取り次いでくれない出版社の編集。しかし、木下監督は彼から渡された手紙に、野亀先生のメールアドレスを発見する。

アポイントを取り、夜鷹書房へと向かう木下監督。夜鷹書房の妨害、すれ違う監督と原作者の意思。しかし、全てが噛み合ったとき、くすぶり続ける坂木しずかのもとに一本の電話が舞い込む......。

5人でまた、アニメーション作品をつくる。元アニメーション同好会員たちは高校生活で誓った想いを果たすことができるのか......。


〇感想

アニメに限らず、ストーリーを作るにはその要素として「トラブル」がほとんど100%必須になるのは疑いようがありません。そしてもちろん、「トラブル」の様相は作品の特徴によって異なります。まさに地球や人類が滅びようとしていることが「トラブル」という作品もあるでしょうし、逆に日常系と呼ばれる作品ならば、むしろ現実の日常でさえ「トラブル」とは見なされないくらい小さな出来事を「トラブル」として捉え、それを取り巻くキャラクターの反応などから笑いや癒しの要素を発生させていくことが求められるのでしょう。

そこまで極端ではない、「現実寄り」とされているストーリーであっても、「トラブル」はサイバー犯罪であったり恋愛・結婚関係のもつれであったりと、現実世界でニュースになったり、人生における大きな決断を伴うものだったりします。これらは確かに「現実的」ではありますが、サイバー犯罪などはニュースの中の出来事というのが正直なところの現実感覚であり、恋愛・結婚関係の事柄は、逆に個々人の人生にとっては十分に「特別なこと」になってしまいます。

「世界を救う」作品でも、「日常系」の作品でも、「サイバー犯罪やテロ」の作品でも、「恋愛・結婚」の作品でも見ることができない、しかし、私たちの現実の日常を確かに蝕む重大な物事、それは何でしょうか。

納期遅れ、意思疎通の齟齬、人材不足、怠惰によるクオリティの低下、上司・取引先の気まぐれ。SHIROBAKOにおける事件の発端はいつもこれらの要素であり、そしてこれらの要素こそ、私たちを日常的にいつも苦しめる要素であります。夥しい数のフィクション作品の中でも、これらの要素を適切な大きさ/小ささで描けている作品としてSHIROBAKOは群を抜いています。

登場人物の多くにモデルが存在することもあってか、SHIROBAKOの中においてこのようなトラブルを起こす人間は限られています(太郎、平岡、茶沢、木下監督、スタジオタイタニック......)し、太郎や茶沢などはやや誇張気味に描かれていることがあえて強調されてはいます。しかし、第11話で武蔵野アニメーションが新人を雇うときの矢野エリカの台詞「うちはタローでも雇うんだから」が極めて良いアクセントになっている点は強調されるべきでしょう。作品を通じて、タローは一貫して「フィクション作品だからこその非現実的トラブルメーカー」の役割を担わされているように見えますし、彼のコミカルな挙動は視聴者にそういう「役者」だと彼を認識させています。現実ならクビか窓際に置かれて誰からも相手にされなくなる、そう直感的に思えなくもありません。

しかし、本当の現実を振り返ったとき、果たしてその直感は正しいといえるでしょうか。一般的な会社の、一般的な職場。常に業務量キャパシティ一杯すれすれかオーバー気味。そんな中では、「非現実的なほどのトラブルメーカー」にさえ仕事が回り、彼が起こすトラブルを含め「業務」として全体で解決されなければならないという光景の方が「普通」ではないでしょうか。そして、「うちはそんなトラブルメーカーでも雇うのだから、況や」という程度の採用基準で採られた新人ばかりが入ってくる。そうして、「普通」に考えたらあり得ない「普通」が職場で常態化する。極めて現実的で生々しく、説得的な状況ではないでしょうか。太郎はもちろん、やる気を失っている平岡のような仕事ぶりの人間は一定数存在しますし、おざなり対応の茶沢も、大量の案件を持つ大手出版社の編集が弱小アニメーション会社に対してとる態度としては、SHIROBAKOほどあからさまにではないにせよ、暗に無下にする程度として外してはいないのだと思います。

こういった、私たちの現実的な意味での「日常」を取り巻く問題を、大げさすぎるほどには誇張せず、低俗なギャグテイストに堕したりもさせずに表現している。そのバランス感覚には脱帽せざるを得ません。ある程度シリアスなフィクション作品のネタにするには凄まじく小さな問題に見えて、しかし、それが「アニメが放送されない(落とす・総集編・作画崩壊)」という社会にもインパクトを与える事象に繋がってしまう。やっていることは小さいのに、妙に社会的影響力があってストレスにさらされる。そんな私たちの「仕事」環境をよく捉えています。それを何とか解決しようと奮闘する主人公、宮森あおいに自分自身を重ねてしまう人も多いのではないでしょうか。

このように表現しますと、例えば最終話の上高地でのカーチェイスシーンや、木下監督の夜鷹書房突入など、とても「現実」とはかけ離れた手法で物事を解決させてしまう場面もこの作品には存在します。しかし、これらのシーンこそがSHIROBAKOの最も巧みな部分なのです。

高速道路をパトカーに追われながらスピード違反で走る、編集者のあまりの粗雑さで出版社と大モメし、原作者へ直談判に行く。前者はコンプライアンスの問題として、後者はまさにこのアニメを制作しているのが出版社に依存するアニメーション業界の人々であるからという理由によって、そのままには表現できません。「本当にやってしまった、本当はやってはいけないこと。本当に起きてしまった、とても本当に起きたとは言えないこと」。それがこうした「ギャグ」で表現されているのだと個人的には思っています。あと10~20km/hだけ速度を上げれば間に合うかもしれない。そんなとき、自分を抑えられる人はなかなかいないでしょう。

そういった意味では、例えば第2クールから絵麻の後輩アニメーターとしてスポットライトが当たる久乃木愛も「描いてはいけないことを描く」ための人物だと思っています。極端なコミュニケーション力不足の人間が周囲を苛つかせるというシーンは、深刻に描いてしまえばあまりに不快で、その苛つきを悪態によって表現してしまえば、より不快なシーン、ほとんど真剣な「苛め」のシーンになってしまうでしょう。アニメだからこそできる、コミカルで愛らしい「コミュ障」を登場させることで、職場の現実を映しながらエンターテイメントにしているのだと思います。

また、「アニメ関係者がつくるアニメーション制作現場アニメ」という点から見ると、アニメ作りの大変さを描きつつも、「俺たちこんなに可哀想」というような「愚痴」テイストになっていないのも好感が持てます。そういった本音の本音、怨嗟を出さないようにするのは、人間心理として難しいものです。

純粋な「お仕事」アニメとして大成功を収めた日本アニメ史上唯一の作品と呼んでも良いのはないかと思われるこのSHIROBAKO。まだまだ語り足りないのですが、続きはその④に譲ります。