慶応大学教授でアメリカ文化研究が専門の鈴木透教授の著書。「民主主義と巨大ビジネスのはざまで」というサブタイトル通り、政治や経済との関わりが意識された内容でした。帯には伝説の野球選手であるベーブ・ルースや、近年興隆するアメリカ女子サッカーの一場面を捉えた写真と共にトランプ大統領がプロレスのイベントに参加する写真も掲載されており、本の雰囲気が伝わってきます。

ただ、内容の質としては、知識面においてWikipedia記事の寄せ集め、論理面においてやや強引なこじつけが多くみられました。「アメリカ・スポーツ・政治・ビジネス」に関心があってある程度の知識がある人は読む必要がなく、そうでない人にわざわざ推奨するほどの本でもないというのが正直な感想です。



〇感想

本書の目次は以下の通り。

序章   スポーツの近代化とアメリカ
第1章 南北戦争と国技野球の誕生
第2章 科学的経営管理手法とフットボールの「アメリカ化」
第3章 宗教・移民・バスケットボール
第4章 人種の壁への挑戦
第5章 女性解放とスポーツ
第6章 地域の公共財としてのスポーツ
第7章 資本主義化のスポーツ倫理
第8章 メディアが変えるスポーツ
第9章 アメリカの夢を支える搾取の構造
第10章  アメリカ型競技の孤立主義とパックス・アメリカーナ
第11章   記憶装置としてのスポーツイベント
第12章  トランプ現象とプロレス
終章   スポーツ・アメリカ的創造力・近代社会


序章と終章を除き3章ごとに「部」で区切られており、第1章~第3章は「第1部 アメリカ型競技の生い立ち」、第4章~第6章は「第2部 スポーツの民主化と社会改革」、第7章~第9章は「第3部 スポーツビジネスの功罪」、第10章~第12章は「第4部 スポーツと社会の新たな共振」と銘打たれています。本記事ではこの「部」ごとに感想を述べていきます。


・第1部 アメリカ型競技の生い立ち

序章     スポーツの近代化とアメリカ
第1章 南北戦争と国技野球の誕生
第2章 科学的経営管理手法とフットボールの「アメリカ化」
第3章 宗教・移民・バスケットボール

関連が強いので便宜的に序章も含めました。それぞれの章のタイトルの通り、野球、アメリカンフットボール、バスケットボールというアメリカを代表する3大スポーツがいかに普及し、どのようにルールが整えられていったのかということが論じられています。

南北戦争中の娯楽として兵士のあいだで人気を博した野球、大学スポーツとして発展したアメリカンフットボール、YMCAによるキリスト教布教手段として移民や貧困層のあいだにも広がっていったバスケットボール。非常にあっさりとではありますが、そういった普及経路の違いについて記述されているのは面白く、新しい発見になりました。

問題はルールの形成過程について記されている箇所で、例えば野球ならば、一騎打ち主体(投手対野手)の前近代戦争と組織戦中心(専業と分業・選手交代)の近代戦争の要素を併せ持つ、という論調なのですが、明確に戦争様式を野球ルールが参照したという証拠や論理は示されません。あくまで時代背景とマッチしているだろうという著者の想像に過ぎず、ほぼ居酒屋談義レベルの俗論でしかありません。ルールの制定過程を掘り下げたいのならば、当時の文献や記録を調べ、緻密にその発展を描き出してこそ、どのような社会的要素から(そもそも遠大な社会的要素からの影響があったのかさえ分かりませんが)影響を受けたのかが分かるはずですし、そこを掘り下げるのが研究というもののはずです。

こういった「想像」で話を進める傾向はアメリカンフットボールやバスケットボールの章でも如実に出ておりまして、アメリカンフットボールが野球よりも分業が徹底されているのは管理主義的な工業の発展が背景にあるだとか、粗暴性を回避するためにバスケットボールはコンタクトが少なく、罰則の強化が図られたであるとか、どうにもこじつけらしき論理が多発します。バスケットボールのルール制定における、狭い体育館で運動量を確保するための工夫というのが唯一説得的に感じられた部分です。


確かにアメリカの政治情勢や経済のIT化に注目が集まる昨今ですので、本の「売り方」としてもこのあたりを強調したかったのかもしれませんが、却って新書としての価値を損なっているように思われました。


・第2部 スポーツの民主化と社会改革

第4章 人種の壁への挑戦
第5章 女性解放とスポーツ
第6章 地域の公共財としてのスポーツ

第4章、第5章はスポーツとマイノリティの関わり、第6章はアメリカの地域文化としてのスポーツについて論じられています。能力主義を重視するアメリカのスポーツだったけれども、女性や黒人に対して門戸を開くことには消極的で、ナチスドイツや共産圏との争いの中で一時的に「黒人・女性もアメリカで活躍していますよ」ということを押し出すために黒人や女性を使うことはあっても決してメインストリームになれなかったということが第4章と第5章のざっくりとした内容です。言っていることは分かるのですが、新書なんかを読む人やマイノリティ関連のことに興味がある人にはお馴染みの内容で、「スポーツでもそうだったんだ」という感想に留まり、淡々と読み進めてしまう章でした。

また、第6章ではスポーツが地域の中心として発展し、人々の関心を集めている様子が描かれているのですが、逆にそうでない地域やスポーツが世界(特に先進国)にあるのでしょうかというのが純粋な問いです。アメリカが都市を中心に発展してきたこと、連邦政府にも州政府にもスポーツにお金を出すインセンティブがあまりなかったため(ここの論理も怪しいのですが)、富裕層が金持ち批判をかわすために文化事業に投資したこと、フランチャイズ制度を採ったことなどが経緯や理由として列挙されていますが、そもそも地域スポーツのアメリカ的特徴についての記述が薄いために、アメリカの地域スポーツが辿ってきた経路をいくら強調されてもあまり意味を感じません。大学スポーツや地域のボウリングリーグ、そして新競技を生み出す創造力についても節を割いていますが、そのアメリカ的独自性の根拠は本書に記載がなく残念です。
 

・第3部 スポーツビジネスの功罪

第7章 資本主義化のスポーツ倫理
第8章 メディアが変えるスポーツ
第9章 アメリカの夢を支える搾取の構造

スポーツとビジネスの関連性ということで、まず第7章では大学スポーツのビジネス化や勝つためのドーピング蔓延などについて記載されています。そのあたりは「まぁ、そうなるだろうな」という論理と結論ばかりだったのですが、NFL引退後の選手の脳震盪の多さがアメリカンフットボール選手だったことと関連しているという医師の告発をNFLが無視し続けたことなどはなかなか極端で衝撃ではありました。

第8章ではメディアとの関連が論じられており、CMを挟むためのインターバルがわざわざ用意されているだとか、メディア業界の勢力図変化に合わせた試合日程の変更など、プロスポーツがあくまでメディアによるエンターテイメントなのだという例が多く紹介されています。ここも「まぁそうなるだろうな」ということ、普通に予想できることばかりが書いてあるので読んでいて物足りなくなります。雑学的知識が増えたという程度の感想です。

第9章はネイティブ・アメリカン、黒人、女性とスポーツの関係が論じられています。ネイティブ・アメリカンに関連するチーム名がネイティブ・アメリカンを蔑んでいるのではないかという議論や、貧困層の黒人にとってスポーツがアメリカンドリームを掴む数少ない手段であり、それが心理的に埋めこまれているため、夢破れてにっちもさっちもいかなくなることがあること、「魅せる」女性スポーツとしてのランジェリーフットボールの興隆にまつわる問題が紹介されています。あくまで紹介にとどまり、この分野に興味があって本書を手に取った人にとっては既知の内容ばかりでしょう。

この部に限らず、全般的に様々な知識を浅く広く紹介する形式になっているため、どうにもWikipediaや無料ニュースサイトの記事の寄せ集めのような形に本書全体がなってしまっています。


・第4部 スポーツと社会の新たな共振

第10章  アメリカ型競技の孤立主義とパックス・アメリカーナ
第11章   記憶装置としてのスポーツイベント
第12章  トランプ現象とプロレス
終章   スポーツ・アメリカ的創造力・近代社会

最近の社会動向とスポーツの関係が論じられており、第10章では野球やアメリカンフットボールといった、アメリカではメジャーだが世界ではマイナーという競技の世界進出の話が論じられます。本書の悪いところが強く出てしまっている章で、要はこれらの競技がアメリカ側の独善的な態度によって国際化に失敗しているということなのですが、これを戦後の多国籍軍や冷戦構造における大国アメリカの振舞いに根拠もなく重ねているのです。確かに、直感的、主観的、感情論的には重ね合わせたくなるのも分かりますが、スポーツの分野でなぜアメリカが国際化の失敗をきたしたのかについての説明にはなっておらず、もちろん、外交や軍事の分野からこれらのスポーツ界が何らかの影響を受けたという論拠も示されません。

第11章はボストン・マラソンでテロが起こり多くの犠牲者が出たことの追悼イベントや、メジャーリーグ初の黒人選手であるジャッキー・ロビンソンを記念するイベントなど、社会的事象がスポーツイベントに組み込まれていることが紹介されています。例によって単なる知識の紹介であり、しかも、アメリカ独自ともいえないことです。ただ、野球やアメリカンフットボールの試合の合間に地元で活躍している人々が招待されてその功績についてのプレゼンテーションが行われることがよくあるというのは新鮮で印象的でした。警察官、消防士、軍人が典型だそうですが、教育や社会福祉関係、地域に貢献する財団の関係者なども招かれるというのは印象的でしたね。イベントといえば全国的知名度の芸能人を招くことが日本では多いとは思いますが、地域密着度を上げ、チームと愛郷心の紐づけを強めるにはこういった催しも良いのではないでしょうか。

第12章は一度人気を失っていたプロレスが最近盛り上がりを見せているという話とトランプ政治を絡めたもので、それ自体がやはり印象論の世界を出ない代物です。トランプ大統領とプロレス界の繋がりが文中で示唆されておりますが、トランプ大統領は当然、様々な業界と繋がている人物であり、プロレスやスポーツがその中でどのような地位を占めているのかを論じなければ意味がありません。



全体として、新しい知識が多少得られたものの、分析が非常に薄く、論拠のない論理が平然と展開される場面に辟易とさせられることが多かった読書でした。また、知識と言っても上述のようにWikipediaや無料ニュースサイトの寄せ集めに過ぎないものが多く、きっとこの本を手に取るような人にとっては前提知識とまで言えることばかりだと思います。

そもそも233頁を14章で分割しているので内容の薄さも仕方ないかもしれませんが、大学教授を起用して一つのテーマで書くのですから、もう少し濃密な本にできなかったのかという印象があります。