紫綬褒章を受章した少女漫画界の生ける伝説、萩尾望都。その代表作の一つとされているのがこの「ポーの一族」です。バンパネラ(バンパイア)として永遠の命を生き続ける少年エドガーを中心に、その周囲で起こる出来事をいかにも古風な少女漫画らしいファンシーさで描いた作品。1976年の小学館漫画賞少年少女部門を受賞しております。

「トーマの心臓」のレビューでは評判に恥じない文学性から星3つをつけましたが、「ポーの一族」は難解な作風の悪い面が強く出てしまっているように感じられ、悪い意味で「文学」してしまっている印象を受けました。



〇あらすじ

一所に留まることなく、各地を転々とする貴族、ポーツネル男爵家。ポーツネル夫妻とエドガー・ポーツネル、メリーベル・ポーツネル兄妹から成るこの4人家族には一所に留まれない理由があった。全員が人の血を吸って生きるバンパネラであり、何百年も生きてその姿を変化させないため、同じ人間と長く関わり合いになることができないのである。かれこれ100年以上、一家は旅を続けていた。

19世紀後半、そんなポーツネル家が訪れたのはイギリスにある海辺の新興都市。エドガーはそこで、街を牛耳る貿易商会の子息、アラン・トワイライトと出会う。アランに感じるものがあったエドガーは、養父であるポーツネル男爵に頼んでアランが通うセントウィンザーという学校に転入した。

当初は確執を起こしながらも、次第に惹かれあっていくエドガーとアラン。そして、メリーベルがアランの亡くなった元婚約者であるロゼッティに似ていることから、アランはメリーベルに好意を抱くようになっていく。

そんな中、ポーツネル家の正体に疑問を持つ人物が現れる。街の医師であるクリフォードは、ポーツネル夫妻の姿が鏡に映っていない場面を目撃してしまったのであった。バンパネラは鏡に映らない。猜疑心に揺れるクリフォード。深まる兄妹とアランの関係。嵐の夜、ついに事態が動き出して......。


〇感想

読み始めてまず感じるのは、独特のコマ割りや台詞使いでしょう。70年代の少女漫画特有の手法なのかもしれませんが、ほとんど説明なしに登場人物が次々と現れ、要領を得ない抽象的な会話に終始して場面が進むということがよく起こります。一コマ一コマの劇的な印象を重視するあまり、どの人物がどこからどのように動いてどうやって喋っているのか、何をやっているのかが非常にわかりづらい漫画で、読み進めるのに体力と精神力が必要としますし、話によっては筋を理解するのにさえかなりの解釈力を要する作品になっております。

トーマの心臓でもその傾向がありましたが、あちらはある程度主要登場人物が限定されているうえ、一つのギムナジウム内が舞台となっているため、すぐに理解できなくとも読んでいるうちに前のページで何が起こっていたのかが分かってくるということもありました。しかし、連作中短編形式である本作は作中で100年以上の時が流れ、舞台や登場人物たちもポンポンと変わっていくので、なかなかついていくので精一杯です。

それに輪をかけてこの物語を難解にしているのが、リアリティとは一線を画した幻想的な展開です。作中の場所(ヨーロッパ)や時代を考えてもあり得ない、昔のファンタジー系少女漫画独特の行動や台詞が満載で、もはや人間やバンパネラといった区別を越えた、もっと高尚な種族の物語を見ているようにも思われ、生々しさや人間らしさがほとんど感じられなくなっています。テーマらしき何かの輪郭があるにはあるのですが(孤独や運命でしょうか?)、なんとなくそれらしい雰囲気を漂わせるに留まり、中学生の恥ずかしい妄想をそのまま漫画にしたような場面やストーリーがしばしば見られます。

しかも、物語は時系列で掲載されておらず、全体像を理解するのには極めて不親切な順番で並べられており、これを面白いと感じてああだこうだと講釈を垂れ流すのはよほど偏狭な視点を持っていると言わざるをえません。

ただ、上述の要素が全て、「何かとてつもなく素晴らしい気がする作品の雰囲気」を醸すのに一躍買っているのは間違いありません。宝塚で舞台化も為されているらしいのですが、いかにも宝塚的な、雰囲気だけで進める歌劇を平面に書いてみたらこうなるのだろうなぁという納得はあります。雰囲気だけで歌詞にほとんど意味のない音楽がたまにあり、「ボーカルも楽器の一つとして捉えている」とまで言い切ってむしろそれを肯定的に考える方々もいるようですが、そういった音楽の漫画版と言えるかもしれません。

とはいえ、「リズムとメロディが心地よい」で済まされる音楽に対して、少なくとも漫画にはストーリーや登場人物に何らかの骨子を求める人が多いと思われますし、特に今日においては分かりやすくてインスタントに楽しみが得られる趣味(ソーシャルゲーム、ユーチューブ、「軽い」漫画やライトノベル)が溢れておりますので、この「ポーの一族」が斬新な作品として人気を得られる時代は過ぎ去ったと言えるでしょう。古典はいつの時代の人々の心にも届き、楽しませるものです。さすがにこの作風の作品が世代を超えて受け継がれていくのは無理があると感じました。

せめて表題作である「ポーの一族」だけ冒頭に出し、他の作品は時系列に収めるなど出来なかったのでしょうか。「ポーの一族」だけでも物語や登場人物たちの持つ背景に謎が多くばらまかれるので、それをさらに攪拌させるような話が後に続くのでは不要な混乱を招くだけでしょう。近年では少女漫画誌の発行部数下落が凄まじいことになっておりますが、一種の「読みづらさ」が少女漫画には伝統的に存在するような気がしていたところ、この作品が多くの漫画に影響を与えたと聞くにつけ、極端に「ニッチ」な方向に歩み出してしまう契機だったのではと思わざるを得ません。

少女漫画の歴史を「勉強」してみたい方は読んでみるのも良いのではないでしょうか。