インド系アメリカ人の作家、ジュンパ・ラヒリさんの小説。「インド系アメリカ人」という点がこの作家の特徴を端的に表しておりまして、アメリカに住むインド移民を主人公とした作品でアメリカ及びインドでも著名な作家となっております。

優れた筆致は確かで、星3つをつけようと思ったのですが、そこに至るにはやはり、小説(=フィクション)としての面白さがやや欠けているように思われました。描写や題材の選択は巧みなのですが、あくまで人生や日常の印象的な一場面を切り取った以上のものがなく、優れたノンフィクション(伝記・ドキュメンタリー・エッセイ)で代替できてしまう印象です。



〇あらすじ

・「停電の夜に」

シュクマールとショーバは夫婦であるものの、その間にはすきま風は吹いている。激しく対立するのではなく、お互いに不穏な空気を抱えながらも、それを口に出さず、上滑りするような会話と日常を過ごしていた。

そんなある日、計画停電の通知が二人の住む家に届く。電気のない、暗い夜。二人はテーブルを挟み、少しだけ踏み込んだ会話をするようになる。

ささやかな隠し事を打ち明けあう二人、少しだけ近づいた距離感で、それぞれが最後に明かすこととは......。


・「病気の通訳」

カパーシーは四十六歳、インドで観光案内タクシーの運転手として働いており、この日は二人の子供を持つ若いアメリカ人夫婦を案内していた。

いまではインドにべったりのカパーシーだが、かつては通訳として国際的に活躍することを夢見て勉強に没頭していた。そんなカパーシーの人生を変えたのは長男の病気。医療費を払うため、夢を諦め、目の前の実利ある仕事を得ようとした結果、この道に辿り着いたのだ。

いつものように観光案内をするカパーシーだが、やがて二つの考えに行きつく。一つ目は、このアメリカ人夫妻が実は上手くいっていないのではないかということ、そしてもう一つは、タクシー運転手であるカパーシーを無下に扱わず、写真を送りたいからと言って住所まで訊いてくる夫人の態度から連想されること。

やがて旅は終盤に差し掛かり、カパーシーは夫人と二人きりになる時間を得るのだが.......。


以上2編を含む9編を収録。


〇感想

江國香織さんを連想させる書きぶりです。大人の男女の会話、移民が外国で暮らすということ、人生に対する欲求不満、結婚も含めた他人と共に暮らすということの意味づけ。グローバル化が進み、価値観の変遷が著しい現代における人々の不安が日常生活に寄り添う形で描かれています。

あくまで日常生活に寄り添う形で、というのがこの作家の傑出したところであり、気まずい取り繕うばかりの会話の空気感や、漠然とした焦燥や不安というものを文章として描き出すのが非常に上手く、文筆家ここにありといった筆力を感じます。また、老若男女の誰をも主人公にできるということも実力を裏打ちしており、女性作家ながら中年男性を主人公にした「病気の通訳」でO・ヘンリ賞やヘミングウェイ賞、ピューリッツァー賞を獲得していることが彼女の作家としての特長を示しています。

しかしながら、彼女の優れた点はそこだけである、日常生活や人生の一場面の切り取り方が上手いというだけであるというのが私の思うところです。切なさ、優しさ、冷たさ、温かさ。短編集だからというのもあるのでしょうが、まるでプロの写真家がシャッターを切るように、そういった感情が迸る一瞬を文章に映す技量は見事です。ただ、そこにはフィクションである必要性(=嘘である必要性)がまるでありません。この小説に出てくる人々はきっとアメリカやインドのどこかに存在していて、こんな体験をしたんだろうなと思わせられるというのは逆に、そういった人々を取材したドキュメンタリーで代替されてしまう作品であることを示しています。

それどころか、ドキュメンタリーのようなノンフィクションはまさに現実であり、そこにある感情、楽しみや悲しみは本物で、実際に人々の胸を温めたり痛めたりしたものですが、小説はあくまで嘘に過ぎません。作者の妄想なのです。

だからこそ、フィクションでしか表現できないこと、あるいは、小説という形式でしか表現できないことが表現されているというのが名著(=☆3つ)の最低ラインであるわけです。SFやファンタジーはその嘘設定を上手く使うことで現実にはあり得ない側面から人々の胸を衝いて感動させることができますし、「信頼できない語り手」など、小説でしかできない手法もまた現実や他の娯楽・芸術では体験できない感動を与えてくれます。

対して、この作品にはそういった要素が一切ありません。この作品に出てくる話は全て、「べつに現実でもよかった」ことに過ぎません。

そうなると、小説として高評価を与えることは難しいと言わざるを得ません。

単なる娯楽として読むのには不足のない小説です。しかし、文学としての価値を考えるとき、この作品の文学界における足跡はすぐに消え去ってしまうことでしょう。