北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授で、ロシア外交や中露関係に詳しい岩下明裕氏の著書です。

述べられている「事実」は興味深いものも多いのですが、本書に理論として優れている部分があるかと言われればその点はイマイチだったと思います。



〇概要

本書は大きく二つのパートに分かれています。

前半部分では、1950年代から2000年代にかけて中国とソ連(ロシア)がどのように国境での領土問題を解決したのかという歴史的経緯が示され、岩下教授は特に両国が法的観点に依らず折半的な妥協を繰り返すことで問題を解決してきたという側面を強調します。

後半部分では、前半部分で岩下教授が強調した中ソ(中露)両国の交渉過程に見られた折半という工夫を日露間でも応用すべきだとの観点から、陸地面積や海の権益を考慮したうえでの三島返還を軸にした交渉が主張されています。


〇感想

政治学というよりも歴史学の本だと思って読むべきでしょう。

前半部分において語られる中ソの交渉過程は確かに一般にはあまり知られていないもので、「基本は折半」「難しいところは後回し」「領土を確定しても住民の漁業権等には配慮する」など、中ソ(中露)が強硬な立場に拘泥せず、現実的な妥結を繰り返した過程はその事実だけでも確かに面白いものです。本書の星2つはひとえにこの知識を得たことに対して捧げたものであります。

しかし、肝心の「なぜ中ソ(中露)はそのような選択肢を取りえたか」という部分についてはほとんど解説がありません。国境問題では双方にそれぞれ言い分があり、それを貫こうとするから解決しない、というのが一般的な様相かと思われます。言い分を撤回したり変更したりしようにも、地元住民や国粋的な強硬派から反発を受けてしまって政権運営が上手くいかなくなるのがオチでしょう。

筆者は一応の答えとして、「①発端が満州国による領土変更だった部分もあること」「②中国やソ連(ロシア)は国民に対して情報統制できること」を挙げていますが、①については、清ソ間の条約に端を発する問題もあったのになぜそこに妥協を見いだせたのか、また、満州国起源のものだとしても重要な島などでは両国は理屈をつけて妥協しないのではないかという疑問があります。②についても、交渉の途中でロシア沿海州の知事が猛反発してモスクワの議会にも働きかけ、交渉を頓挫させようとするのですか、ここでもなぜその試みが失敗に終わったのか、どのように知事を説得したのかが必ずしも明確にはなっていません。

特に2000年代の交渉においては、「私も驚いたことに」と、岩下教授自身も予想できていなかったことを吐露されており、どのような理論や法則をもって領土問題が解決されるのかについて岩下教授自身もまだ手探りなのではないかという印象を受けます。

さて、後半部分ですが、前述のとおり「折半」を軸に三島返還論が主張されます。終戦直後の日ソにおける交渉過程や海洋の権益などを理由に三島返還でも日本にとっては十分な結果であること、また、元島民や北海道民の意見をもとに三頭返還でも反発が少ないことを岩下教授は三頭返還論主張の妥当性として挙げています。

しかし、それでロシアが納得するか否かはまた別の話ですし、日本において情報統制は不可能です。岩下教授自身も本書の中で述べられている通り、ガラス張りの交渉の中で、どのレベルにせよ「現実的妥結」が可能かどうかはかなり疑問が残ってしまいます。

政治学が演繹的あるいは帰納的に考える、つまり、抽象的な理論・概念と個々の事件をリンクさせようとするのに対し、歴史学は一つ一つの事件の特殊性、「歴史は繰り返さない」をベースに考える傾向があると私は聞いています。

しかし、本書の場合、中ソ(中露)交渉を非常に歴史学的に考察しているにも関わらず、その中ソ(中露)交渉から特殊性を引いて法則性を炙りだすという作業を行わないままに日露交渉へあてはめようとしているところに無理があるのではないでしょうか。

タイトルは「北方領土問題」ですが、どちらかというと戦後中ソの領土問題解決に興味があるというマニアックな人にこそオススメできる本だと思います。